115 家族の時間 その②
幸せな一時を過ごした後、3人で食器を片して、それから入浴を済ませてきた。
「ふう……」
火照った体を夜気に晒しながら帰宅すると、リーベは入り口脇に置いていた魔法のランプを手に取った。カチッとつまみを捻ると、ガラス板の向こうでルーンが煌めいた。この青白い光を見ると1日の終わりを実感させられる。今日という日が終わってしまうのは悲しいが、それは素敵な明日を迎えるのに必要なことなのだ。
リーベはランプに照らし出された両親の顔を目に焼き付けながら挨拶をする。
「お父さん、お母さん、おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい」
「ちゃんと寝るんだぞ」
2人は明日の営業のため、これから仕込みをするのだ。娘として手伝いたい思いに駆られるが、リーベは明日のために英気を養わねばならないのだ
(……明日か…………)
「……うん。おやすみなさい」
リーベはホールを出て、2階の居住区へ至る階段を上り始める。1段上るたびに階段が僅かに軋み、その物悲しい響きに胸が切なくなるが、全ては自分の定めた道を行くためなのだ。
リーベは心の帯を締めると自室に入り、パジャマに着替えてベッドに潜った。そして愛犬を両手で掴み、「おいで」と抱き寄せる。
ダンクを抱きしめると大きな頭に鼻先を埋め、その日だまりのような匂いを胸いっぱいに取り込んだ。
「ダンク。このお部屋とも今日でお別れだよ? 寂しくない?」
「…………」
飼い主の問い掛けに対し、彼はむっつりと口を噤んだまま答えようとしなかった。彼も男の子である故、泣きの混じった声を聞かれたくはないのだとリーベは悟った。
「わたしは寂しいよ。……でも、ダンクが一緒にいてくれるんだから……だから、ダンクも寂しさを抱え込まないでね?」
「…………」
問い掛けを最後に、寝室には沈黙が流れた。それは彼女の心を悲しみで包むようで、とても堪えがたいものだった。
リーベはすぐにジッとしてられなくなってベッドから身を起こし、スリッパに足を通した。それから暗闇の中ペタペタと床を踏み鳴らし、ダンクと共に隣室を目指す。
「お邪魔しま~す」
そーっと踏み入ったのは両親の寝室だった。しかし2人は今、明日の仕込みをしているからここにはおらず、彼女を出迎えてくれたのは両親の優しい匂いだけだった。だがリーベの孤独感を拭うにはそれでも十分であり、彼女は穏やかな気持ちで両親のベッドの縁に腰掛けた。そうしてダンクを胸に抱くと両親が来てくれるのを待つことにした。
「今日はみんなで寝ようね?」
「…………」
ダンクは相変わらず無口だが、その表情は先ほどにくらべ和らいでいた。
時間が流れ、リーベの意識が朦朧としていく中、両親のしゃべり声と足音が聞こえてきた。
「――リーベは今頃グースカ寝てるだろうさ」
「そうかしら? 不安で眠れてないんじゃ」
「アイツの睡眠欲の強さは知ってるだろ? 今頃ダンクと2人で夢の中だろう――てうおっ⁉」
「きゃ! ……リーベったら、脅かさないで頂戴」
重たくなった頭には母の声が一拍遅れて響いた。
そのつもりはなかったが、彼女は両親をおどろかせてしまった。
「えへへ、ごめんなさ――ふぁああ……」
欠伸に言葉を遮られると両親は顔を見合わせ、くすくすと笑った。
「ふふ、リーベ? もしかして眠れなかったの?」
「あ、うん……寂しくって……」
「そう……」
シェーンは微笑むと娘の隣に腰掛け、我が子をそっと抱きしめた。一方でエルガーは娘の前に立って頭をゴシゴシと撫でてくれる。そうして分け与えられた温もりが、リーベの不安定な心を宥めてくれる。
「お父さん……お母さん…………今日は一緒に寝てもいい?」
(こんなお願いをするのは何年ぶりかな?)
彼女は成人している故に恥じらいがあった。
だがしかし、今の彼女には2人の温もりが必要だったのだ。
「ああ、いいぞ」
「ふふ。3人で寝るのも久しぶりね」
未熟な自分を、両親は微笑んで受け入れてくれた。それが嬉しくて嬉しくて、リーベは涙腺が刺激され、大粒の涙が滲んでくる。母はその繊細な指先でこれを拭うと「さ、横になりなさい」と促す。
「……うん」
こうして2人の寝床に潜り込むと彼女は身も心も温かくなった。それはダンクも同じで、飼い主の腕の中で嬉しそうにしている。
「ふふ! なんかちょっと、恥ずかしいや」
「お前ももう大人だもんな」
そう言いながらエルガーはパジャマに着替えることなく娘の隣にやって来る。
「あれ? お父さんは着替えないの?」
「ん? ああ、俺は私服の方がよく寝れるんだ」
彼ははそう答えながらも、背後でパジャマに着替えている妻の姿をチラチラと見ていた。
「もーっ、お父さんったら!」
「はは! 旦那の特権だぞ?」
「あら? 何の話をしているの?」
「お父さんったらね、お母さんが着替えてるのをチラチラ見てるの!」
「まあ! ……もう、仕方ない人」
批難しつつも、シェーンはまんざらでもなかった。その様子に娘は、仕方ないのは母も同じだと思った。
そんな出来事を経て、一家はようやく3人で横になった。
ダブルサイズのベッドは大人3人で眠るには手狭で、エルガーは横臥する羽目になった。
「苦しくない?」
「ああ。俺はいつもこの向きで寝てるからな?」
「へえ、そうなんだ」
そんなやりとりをしていると、エルガーは娘の腕の中で眠るダンクを撫でた。
「ダンクも連れて行くのか?」
「うん! ダンクも行きたいって」
「ははは、そうか」
エルガーは愉快そうに笑うと穏やかな顔をしてダンクをもう1度撫でた。
「大事にしてくれてるんだな」
するとシェーンがくすりと笑って続く。
「ほんと、初めて会ったときは『本物じゃなきゃやだー!』って投げ捨ててたのにね」
「うっ! それは……」
思い出すのは5歳の頃。リーベは友人の飼い犬に心を奪われ、自分も犬を飼いたいと駄々をこねたのだ。しかし、彼女の生家は食堂を営んでいるため、動物など飼ってはならないのだ。
そんな中、エルガーがわざわざ王都へ向かって連れてきたのがダンクだ。
母の言うように、当時の幼いリーベはダンクを部屋の隅へ投げ捨ててしまった。
その事実が、自分の罪が彼女の胸を押しつぶしていく。
「うう、ごめんね、ダンク……」
リーベは無言で不服を表す彼をギュッと抱きしめ、許しを請うた。
「ふふ。でも、今じゃこんなに大切にしてるんだもの。ダンクも許してくれるわよ。ねえ?」
「…………」
お母さんに撫でられた途端、ダンクは上機嫌になった。その様子にリーベは申し訳ないやら愛おしいやら、酷く混沌とした気持ちになった。それを整理しようとした時、リーベは1人でに語り出していた。
「……わたしがこの子を受け入れたのは妥協したからじゃないよ。この子が本物のワンちゃんだからだよ。ボール遊びとかけっこが大好きで、もふもふされるのが好きで……そんな子だから、わたしはダンクが好きになれたの。お父さん……ダンクを連れてきてくれて、ありがとうね」
「リーベ……くう!」
その言葉にエルガーは感動させられ、反射的に娘を抱きしめていた。それからこめかみに口をブチュッと押しつける。
その感触がぞわりと背筋を這い回り、リーベはこそばゆくて仕方なくなった。
「ひゃ! もお、気持ち悪いよ~!」
そう訴えると、左隣からいたずらな笑い声が聞こえてきた。
「ふふ、私も混ぜて頂戴」
すると母までもがキスしてきた。父みたいなぞわっとする感じではないものの、こそばゆいことには変わりない。
「もお、やめてよ~!」
リーベが悶えながらも必死に訴える最中、腕の中でダンクが笑っている気がした。




