114 家族の時間 その①
挨拶回りを終えて帰宅すると、両親がホールでリーベの帰りを待っていた。
「ただいまー」
帰宅を告げたとき、2人が囲む食卓の上にはバスケットと魔法瓶が置いてあるのに気がつく。不思議に思い、問い掛けようと口を形作るが、母シェーンに先を越された。
「あら、おかえりなさい。ちゃんとみんなにご挨拶できた?」
「もちろんだよ」
母の問い掛けにリーベは胸を張って答える。
(まったく、子供扱いして!)
「爺さんのとこにも行ったんだよな?」
「うん。2人とも『がんばれ』って言ってくれたよ」
娘の答えに父エルガーは「そうか」と微笑んだ。
その笑みに温かいものがこみ上げてきて、気付けばリーベも微笑んでいた。
そうして和やかな空気が場を満たす中、シェーンが立ち上がる。
「さ、ピクニックに行くわよ」
「ピクニック?」
唐突に出てきた単語に娘が首を傾げル一方、シェーン卓上に置かれたバスケットを見やる。
「もうずっとやってないでしょ? だからこの機会に行きたいなって」
エーアステ一家は数年前まで春が来るたびにピクニックをしていたのだが、いつの間にかやらなくなってしまった。だからリーベはとても懐かしい気持ちになった。
「たしかにね……」
リーベが冒険者になってしまった以上、ピクニックをする機会は早々訪れないだろう。一生なんてこともあり得る。そう実感すると、リーベはこのピクニックがとても重大なイベントに思えてきた。
「うん、行こう! ――あ、ちょっと待ってて」
言うやわたしは2階に駆け上がり、ダンクを連れてきた。
「ねえ、ダンクも連れてっていい?」
すると彼をこのお家に連れてきてくれた当人が上機嫌に笑う。
「ははは! もちろんいいぞ。だけど落とすなよ?」
「うん。ダンクに痛い思いなんてさせないよ」
「ふふ、大切にしてるのね」
「1番の友達だからね。それより、早く行かないと日が暮れちゃうよ」
「おっと、そうだな」
エルガーがバスケットと魔法瓶を抱える中、リーベは一足早く外に出た。
「ダンク、久々のお外だね~」
「…………」
リーベが愛犬と戯れる中、両親が外に出てきた。
几帳面なシェーンはドアを施錠するとちゃんとしまってるかどうか、ノブをガチャガチャと捻る。そうしてようやく安心できたのか、「よし」と小さく呟く。
「さ、行きましょうか」
「そうだな」
「うん!」
一家がピクニックをするべくに向かった先は街の外――ではなく、北の展望台だ。
あの忌まわしい一件以来、特別敬遠していたわけではないが、なんとなく来ないでいた場所だ。それだけにリーベは胸がざわついたが、腕の中のダンクと、何より父の存在が彼女を安心させてくれた。
「心配するな。またアイツが来ても俺がやっつけてやる」
「お父さん……うん。わたしもお父さんとお母さんを護るよ」
「まあ!」
「はは。リーベ、お前も言うようになったな」
「えへへ」
そんなやりとりをしながら一家は丘を登った。頂上までは1分も要さず、3人と1匹はその眺望に容易くありつけた。
「わあ! 良い眺め!」
眼下には昼下がりの街並みが広がり、灰白色のそれらの向こうには青々と高原が広がる。その周囲には濃淡の陰影を湛えた山々が連なっている。そして視界の中心、そして最奥にはグラ・ジオール山が佇み、その東方には大きな影を落としていた。
「この景色はテルドルの宝よ?」
「あ、わたしもフロイデさんに同じこと言った」
「あら、そうなの?」
「誰も思うことは一緒だな」
笑いながらもエルガーは腰を下ろした。それに合わせて妻子は腰を下ろし、車座になった。真ん中に置かれたバスケットをエルガーがバスケットを開けると、中にはサンドイッチがあった。パンの白にトマトの赤、レタスの緑と彩りが豊かで、リーベの欲求を刺激する。
ぐうううう……
「――っ⁉」
慌ててお腹を押さえるも、両親はクスクスと声を忍ばせて笑っていた。
「さ、リーベもお腹を空かせていることですし、いただきましょ」
「そうだな」
エルガーはガサゴソとバスケットを漁り、シェーンは魔法瓶から木のカップへコポコポと茶を注ぎ始めた。一方、手持ち無沙汰になったリーベはダンクを撫でながら2人を見守っていると、エルガーが「ほらよ」と蒸し鶏を模したクッションを手渡してきた。
「あ」
「ダンクは鶏が好きなんだったよな?」
「うん」
昔ダンクとおままごとをしていた時にシェーンが縫ってあげたものだ。
リーベは懐かしく思いつつもそれを受けとり、「お食べ」と、ダンクの口元に当てがう。するとエルガーが陽気に笑った。
「はは。こりゃ、王都から連れてきた甲斐があるな」
「ほんとうね」
両親が微笑んで言うが、リーベは若干気恥ずかしい思いをした。
(15歳にもなって……大人にもなってごっこ遊びだなんて……それでも、わたしの中ではダンクは立派なトイプードルだし、彼が食べている蒸し鶏も本物なのだ。それをわかってくれる両親を持てて……つくづくわたしは恵まれているよ)
それを実感した途端、リーベは両親と別れることが悲しくなっていった。
「……うう」
視界に涙が滲む中、父が「泣くなリーベ」と言う。
「これが最後じゃねえんだから」
「でも……寂しいよ」
「リーベ……」
エルガーは娘の名前を呟いたきり口を噤んでしまった。楽しいピクニックのはずが、父を悲しませてしまったことにリーベは悔恨を抱いた。そんな時、ヴァールの言葉が脳裏に過る。
『お前は悲しい思い出を最後にこの街を出ていきたいか?』
(……そうだ。こんな悲しい思い出を残しちゃだめだ。わたしたちがお互いを思い浮かべたとき、真っ先に切なさが胸に起こるなんて、そんな残酷なこと、あっちゃいけない)
「…………」
リーベはこみ上げてくる感情を抑え込み、どうにか笑みを繕う。
「あー、わたしお腹空いちゃったよ」
「お、お昼まだだったものね……はい、お茶よ」
「ありがと」
シェーンが茶の入ったカップを娘に渡す傍ら、エルガーが言う。
「晩飯が近いからな。食べ過ぎるなよ?」
「どうだろう? 最近すごい運動してるから、お腹の虫が我慢してくれないかも」
「ふふ、ならたくさんお食べ」
母がバスケットを差し出す。
「うん!」
リーベがサンドイッチに手を伸ばし掛けたとき、温かい風がそよぎ、一家の間を吹き抜けていく。その心地良さに先ほどまでの悲しさは薄れ、穏やかな気持ちになれた。
「温かいね」
腰を下ろしながら言うと「春だからな」とお父さんが言う。
「わたし、春が1番好きだよ」
「私もよ。お父さんは?」
「俺は夏が1番だな」
「はは! お父さんらしい!」
「そうか?」
「そうだよ! お母さんもそう思うでしょ?」
「ええ。お父さんは夏っぽいわ」
「はは、そうか。俺は夏の男なんだな」
言葉を交わすことでリーベの胸に暖かいものが込み上げてくる。
これが愛情でであることを彼女はよく知っていた。




