010 孫弟子の実力
お茶が終わるなり、ヴァールは言う。
「んじゃ、いつものアレ、やるか」
意気揚々とドアへ向けて歩き出すが、エルガーが待ったを掛ける。
「悪いが、俺はもう引退したんだ。鍛練ならお前らだけで――」
「別に冒険に出るわけではありませんし、そのくらい、良いではありませんか?」
シェーンがそう言うと、エルガーは頬を緩めた。
「そうだ――いや! いかん!」
首を振って必死に堪えているのが可愛そうで、リーベは口を挟んだ。
「お母さんの言うとおりだよ! それに、『助言くらいはしてやる』って、自分で言ったじゃない?」
「うぬぬ……そうだな」
娘の一言によってエルガーは納得した。すると1番弟子が「そうこなくちゃ!」と指を鳴らした。
「ご迷惑をおかけします」
フェアが丁重に言う傍ら、ヴァールが弟子に言う。
「そういう事だから、フロイデ、師匠に情けねえとこ見せんじゃねえぞ?」
「うん……!」
彼は「ふんすっ!」と意気込みを露わにした。
男性陣が出て行くと、女性陣は茶器の片付けに取り掛かる。
しかしリーベは、みんなについていきたいという思いでいっぱいで、注意散漫になっていた。
「あ」
カップがコテッと倒れて、テーブルに転がる。危うく落ちそうになるが、持ち手のお陰で事なきを得た。
「ふう……セーフ」
安堵の溜め息をつくと、シェーンが言う。
「リーベもお父さんと一緒に行ったら?」
「……でも」
「片付けぐらい私1人で十分よ。いつもお手伝い頑張ってくれてるんだから、休みの今日くらい、羽を伸ばしてきたら?」
優しい言葉に背中を押されると、リーベはその気になった。それでもなお、母1人に仕事を押しつけるのがためらわれたが、大好きなおじさんたちがいる期間は限られているのだと、そちらを優先することに決めた。
「ありがとう、行ってきます!」
エルガーは弟子が尋ねて来たときはいつも、街の東門の外で稽古をつけている。
それを知っていたリーベは一直線に東門へやって来た。
「やあ、リーベちゃん。こんにちは」
門番のサイラスが目を細めて穏やかに挨拶する。
「こんにちは」
「リーベちゃんも見学かい?」
「はい。……ん? 『も』ってどういう事ですか?」
「それは行って見れば分かるよ」
苦笑するその姿に、リーベは一層不思議になるのだった。
「あの、通っても良いですか?」
「もちろん。ただ、門の前でも街の外だから。気を付けてね?」
「はい。ありがとうございます」
サイラスが門を小さく開けた。リーベはその隙間からするりと向こう側へ出る。
テルドルは高山地帯にあり、必然的に坂が多い。東門を抜けたそこも例に漏れず、緩やかな傾斜を経て麓へと続いている。周囲にはポツポツと木が生えている以外は何もなく、剣の鍛練をするには持ってこいの環境だ。
本来なら静かな場所だがしかし、今は観衆で賑わっている。
彼らは皆、道端で鍛練をしているエルガーたちを見ていた。いつもはこうはならないが、引退騒動の直後であるからして、皆の関心を集めたのだった。
「なるほど……」
リーベは乾いた笑いを発しつつも、その輪に交じる。
エルガーたち師弟3人の見守る先ではフロイデが真剣を構えている。
切っ先を天に、頭の真横に据える。左足を前にしており、引いた右足は体に対してほぼ垂直で、この後にどんな動作をするか、剣術に通じていないリーベでも子細に渡って思い起こせるほど、彼の構えは模範的だった。
感心しつつ彼の顔を見ると、そこには先程までのあどけなさはなかった。まるで職人のような厳然な面持ちであり、遠目に見守る彼女までもが緊張させられた。
「…………」
彼に注目していると、その呼吸が長いのに気付いた。それが極度に集中しているが故であることをリーベはすぐに悟った。次の瞬間――
「――っ!」
ヒュンと空気が裂かれ、彼の10メートルほど前方にある茂みが音を立てた。
剣の達人は斬撃を飛ばす事が出来るが、あの若さでその片鱗を見せるなんて並ではない。
「……すごい…………」
そう呟いた時、観衆からは拍手が上がった。
「あのチビ、中々やるじゃねえか」
「ああ。ヴァールさんが弟子に取るだけはあるな」
観衆に交じっていたボリスとバートが言う。冒険者故に声が大きく、それを耳にしたでフロイデは真っ赤になって俯いた。
はにかむその姿は少年らしいもので、リーベは彼の二面性に大いに感心を抱いた。と、その時、エルガーが彼女に気付く。
「おう、リーベ!」
リーベが手を振り返しながら駆け寄ると、フロイデは顔を背ける。
「お前も見てただろう、コイツは大したもんだ!」
「ほんと! 遠くの樹を揺らしちゃうなんて凄いです!」
素直に褒めると、フロイデは耳まで赤くなった。そんな照れ屋な彼を見かねてか、フェアが言う。
「ふふ、倒れられても困りますから、お手柔らかにお願いしますね?」
「はは、そうしとくか」
エルガーが笑っていると、脇からヴァールが師匠に木剣を差し出した。
「師匠、コイツに一つ、手本を見せてやってくれ」
「ああ、もちろんだ」
木剣はフロイデの長剣よりもやや短く、刃渡り70センチとほどだ。訓練用のそれは刃に相当する部分が厚く、丸まっている。さらに言えば、剣戟のために凹んでいたりもする。そんな使い込まれた一品を手に、フロイデと場所を入れ代わる。
するとガヤガヤしていた観衆が静まり返る。
静寂の中、エルガーはフロイデと同様に顔の脇に剣を構えるがしかし、その姿から受ける威圧感はまるで違う。
片やあどけない少年、片や背恰好の良い壮齢の男子……違いが出るのは当たり前だが、そうではない。まるで全身が一振りの剣であるような威圧感を放っている。
「――っ!」
一瞬、気迫を放ったかと思えば、既に振り抜いていた。それから数秒の間を経て、バサッと微かな音を立ててフロイデが揺らした茂みが切り裂かれる。こんもりとした輪郭は袈裟に裂かれており、その異様は誰の目にも明らかだった。
「…………」
その様にリーベは唖然とさせられた。
真剣で同じ事をやっている場面を見たことはあったものの、長さ・重量・鋭さのいずれでも劣る木剣で実現できるなんて思っても見なかった。
そんな彼女の隣ではフロイデがあんぐりと口を開いている。
その目にはリーベ以上に衝撃的なものとして映っていた。
「……すご――」
「うおおおっ!」
「さっすが、俺たちの英雄だぜ!」
「これで辞めるって嘘だろ!」
フロイデの驚嘆は観衆の拍手喝采によってかき消された。
その大音量にギョッとした彼だが、アウェー感に沈むことなく、むしろキラキラとした畏敬の眼差しを大師へと向ける。
「どうやればできる、の……!」
エルガーはその変容に目を丸くしたが、すぐに人の良い笑みを浮かべる。
「そうだな……お前は基礎が出来てるから、ヴァールの指導に耳を傾けて、ひたむきにやることだ」
「やってる……!」
「はは! そうか……だったら、焦らずじっくりやるこった!」
エルガーが小さな頭をわしゃわしゃすると、フロイデは飼い慣らされた猫のように黙って愛撫を受けた。
「こりゃ、育て甲斐のあるヤツを見つけてきたな!」
そう言って弟子2人へ視線を投げる。
「見つけてきた……まあ、そうだな」
ヴァールは妙に歯切れの悪い言葉を発した。




