106 デッドオアアライブ
カナバミスライムの除去作業から一夜明けた早朝。リーベは父に体を揺すられ、目覚めた。
「うう……眠い……」
「今日も鍛錬があるんだろ?」
「うん……ふぁああ……」
大きくあくびをしながら体を起こそうとしたその時、リーベの全身に疼痛が走る。
「うっ!」
「なんだ、筋肉痛か?」
「うん……昨日、重い物たくさん持ったからだ……」
冒険の際、彼女はいつも重たい荷物を背負って長距離を歩いているものだから、体の丈夫さには多少の自信があった。しかし、昨日の重いものを持ち上げ、運び、下ろすという一連の動作の繰り返しによって、存外痛めつけられていたのだ。
(これは慢心するなと言う天からのお告げなのかもしれない)
「なあに。フェアのやつに治癒魔法を掛けてもらえば一発さ」
「でも絶対、回復薬を飲まされるんだよね……」
「あ」
エルガーは哀れむような遠い目をした。
「諦めろ」
「はあああ……」
身支度を終え、ホールに降りてきたリーベは厨房で働く母に呼びかける。
「おはよ~」
あくび混じりの気が抜けた声に対し、シェーンは凜とした声で挨拶を返してくれた。
「あら、おはよ。調子はどう? 筋肉痛とか酷いんじゃない?」
「もう全身ずっきずきだよ」
「ふふ。それだけ頑張ったのね。後でフェアさんに癒やしてもらいなさい」
「……は~い」
回復薬のことはこの際、考えないことにした。
かぶりを振って恐ろしい想像を払いのけると、エルガーが朝食を配膳しているのに気付く。
「あ、わたしも手伝うよ」
言いながら料理を取りに厨房へ向かおうとしたが、「もう終わるから、お前は掛けて休んでな」と言われてしまった。そこに若干の申し訳なさを抱くも、痛み軋む体のため、リーベはその気遣いを受け入れることにした。
程なくして配膳は終わり、家族3人(ダンクはまだ夢の中だ)で朝食を始める。
「いただきます」
リーベはラタトゥイユを頬張る。多種多様な野菜を一緒くたに煮込んだこの料理は味が良いだけでなく、栄養も豊富だった。飲み込んだ途端、昨日の過酷な労働で疲労しきった体が癒やされるかのようで、彼女はまるでお風呂に浸かっているような心地よさを感じた。
「はあ……染みる」
「なんだ、じじ臭いぞ?」
エルガーが声を上げて笑う一方、シェーンは口元を隠して上品に笑っていた。
「ふふ、昨日はよほど大変だったみたいね。今日くらい、お休みにしてもいいのにね」
「まあ冒険に出るわけじゃないんだし、魔法使いの体力を気にしても仕方ないだろうさ」
「でもねえ……」
母が心配して娘を見る。
「お母さんの料理のお陰で元気出たから、大丈夫だよ」
リーベが笑んで見せると、母の瞳から不安の色が消え、平素の穏やかな色合いへと変わっていった。
それからは一家団欒の穏やかな一時が流れていたが、ふとリーベが時計を見るといつもより遅いことに気付く。話しに夢中で気付けなかったのだ。
「あ、いけない! おじさんたちが来ちゃう!」
牛乳を飲み干すと彼女は食器を片付けに掛かるが、エルガーが「俺がやるからお前は歯ぁ磨いてこい」と言ってくれる。
「ありがと」
短く例を言うと、リーベは洗面所へ向けて掛けだした。その最中、体中の筋肉が痛んだが、当初よりはずっと小さなものに思えた。
「お、お待たせしました~」
慌てて外へ飛び出すと、退屈そうに空を見上げていたヴァールが「遅いぞ」と遅刻を咎める。
「ご、ごめん。つい話し込んじゃって」
「たく、冒険者が時間にルーズじゃ困るぜ?」
彼がため息をつく一方、フェアさ微笑んでリーベを迎える。
「おはようございます。今朝の体調は如何ですか?」
「昨日重い物運んだんで、体中あちこちが痛くて……」
「そうですか。では治癒魔法を掛けますので、まずはこちらをお飲みください」
そう言って手渡してきたのは小さな瓶で、中にはドロッとした液体が詰まっている。
「……回復薬ですか?」
「ええ。治癒魔法には体力を消耗しますので、事前に飲んでおくと良いでしょう。さあ」
彼は笑顔で言うが、彼女にとってそれはとても困難なことだった。
救いを求めてヴァールを見るも目を背けられ、フロイデに至っては野良猫と戯れていて、そもそも彼女の存在に気が付いていなかった。
「…………」
(ええい、ままよ!)
「ごくごく……」
舌触りはザラザラとしていて植物の繊維を感じる。それが舌を這いずるように滑り、喉を目指してく感触は恐ろしく不快なものだった。また味も酷く、リンゴを腐らせたみたいな味がした。
「うえええ……!」
「ふふ。飲み終わったようですし、魔法を掛けますね」
フェアは小瓶を受け取ると代わりに手を差し出してきた。リーベはその上に手を被せる。
「そうです。さあ、楽にしてください」
直後、手と手の間から、ぽわーっとした優しい光が放たれる。リーベが光をぼんやりと見つめている内、全身の痛みが和らいでいった。その間隔は入浴時に疲労が抜けていくのと似た感覚であり、彼女は陶然とした心地に包まれた。
「具合は如何ですか?」
問われて体を動かしてみると、痛みは全くなかった。
「痛みもありませんし、気分も大丈夫です」
「それは良かった」
「ありがとうございます、フェアさん」
「いいえ。では、具合も良くなったところで、練習場へ参りましょうか」
「そうだな。いくぞ、フロイデ」
ヴァールが言うと彼はむくりと立ち上がり、今まで戯れていた白猫に手を振る。
「バイバイ」
「みゃお!」
フロイデは白猫に背を向け、師匠の背中を追うも、ふと立ち止まる。
「……リーベちゃんは?」
「さっきからいましたよ?」
リーベが答えると、彼はビクッと跳ね上がった。
(……わたしって、そんなに陰が薄いのだろうか?)
ちょっと悲しくなった。




