101 もふもふタイム
真っ暗な空の下、街頭に照らされた3人の姿が見える。
背が高いせいで1人だけ明かりに強く照らし出され、顔を青白く染めたヴァール。眠気と必死に戦っているフロイデと、息子を寝室まで送る母親のような格好のフェア。3人は皆、冒険者だが、今に限ってはとてもそうは見えなかった。
「明日は朝から肉体労働だかんな。今日の疲れはしっかり取っておけよ」
「うん。任せて」
休むことは大得意だ。
「んじゃ、また明日な。良い夢見ろよ」
「さようなら」
「バイ、バイ……」
「はい、また明日」
3人と分かれると未だ食堂で働いている両親に、明日も早いから先に休むと伝え、それから自室に下がった。
「ただいま、ダンク」
「…………」
大きな頭を撫でつつ、リーベはこれから着替える為、ダンクを壁側に向かせた。
着替えを終えると、彼女はダンクを抱いて横になった。
「ふふ、ダンク。今日はもふもふタイムの日だよ?」
「…………」
飼い主の放った一言にダンクは閉口した。
もふもふタイムとは月に1度、リーベがダンクを気の済むまでもふり倒す時間のことだ。彼はもふもふされるのが好きだが、本気のもふもふに耐えられるほど強くはないのだ。故にダンクはこの拒否権がない時間を恐れていた。
「いくよ? もふもふーっ!」
リーベはダンクの後頭部に両手を回し、巻き毛がちな体毛を撫で回す。
その手触りはソキウスの絹のような撫で心地とは違って若干ゴワゴワしている。しかし、それはモフリティが低いことを表すのではない。指に絡みつくような体毛は、それにしか味わえない質感を持っている。つまり、個性の違いだ。
もふもふ、もふもふ。
「ふふ、まだまだ、こんなもんじゃないよ?」
「…………」
ダンクを後ろから抱きしめ、ぽっこりとしたお腹を撫で回す。
もふもふ、もふもふ。
「あれ? ダンク、また大きくなったんじゃない?」
「…………」
心外だとばかりに口を閉ざすダンク。しかし、リーベの手が顎の下に伸びるとたまらず身を震わせる。
「ふふふ、ここがいいんでしょ? ほらほら!」
「…………」
くすぐったがるダンクをいじめ倒すと、リーベは満足してホッと一息ついて、彼と一緒に横になった。
「ふふふ、良いもふもふだったよ?」
「…………」
憔悴気味のダンクを抱きしめると、リーベはランプの明かりを消し、まぶたを下ろし、空想の世界へと旅立った。
今夜の舞台は湖畔の草地だ。2人はボール遊びをしていたが、リーベが制球を誤り、湖面へ向けて大暴投してしまった。
『ああ⁉』
ぽちゃんと音を立てて湖面に浮かぶボール。それはそのままゆっくりと揺らめき、対岸を目指して流れていく。
『……ごめんね、ダンク。もうボール遊びはおしまいだよ』
ダンクはしょげてしまうかに思われたが、しかし、犬としての本能なのか、ボールを追いかけ始めた。
『きゃん!』
『だ、ダンク! 危ないから戻っておいで!』
そう呼びかける間にもダンクは湖に飛び込んでしまった。
『ダンク!』
溺れてしまうと思い、慌てて駆け寄るも、なんとダンクは泳いでいたのだ。そう、犬かきだ。
本来、大地を蹴るために付いている足で一所懸命水を掻く姿の愛らしいこと。リーベの心配は興奮へと変わっていく。
『す、すごい!』
彼女が手を叩いて応援し始めたその時、ダンクはボールを咥え、起用に180度回転し、飼い主の元を目指し始める。
『頑張って! もうちょっとだよ!』
パシャパシャと水を掻き出すことしばらく、ダンクは畔までたどり着いた。リーベは服が濡れることも厭わず、濡れて一回り小さくなった愛犬を抱き上げる。
『凄いよダンク! 泳げたんだね』
『きゃん!』
ポトリとボールが落ちる。弾みでまた湖に飛んで行ってしまうかもしれないと危惧したリーベは、ボールを足で踏みつけた。しかし、それがいけなかった。
『きゃ!』
足を取られて尻餅をついてしまった。
『いてて……』
『きゃんきゃん!』
まるで笑い声を上げるかのようなその響きに、リーベはつられて笑ってしまう。そうして笑い合っている間にも空は暗くなり、闇色の空には星屑がちりばめられた。
そんなロマンチックな光景を前に、リーベの心は感傷的になっていく。
『……ねえダンク。わたしね、もうすぐテルドルを出て行かなきゃいけないの』
『きゅうん?』
『これから王都っていうとても素敵なところに行くんだけどね、そこにはお父さんもお母さんもいなくて、わたし、とってもさみしいの。だからダンクには王都についてきて欲しいんだ。お願いできる?』
『きゃん!』
末尾まで聞かずに発せられたその返事にリーベは救われた心地だった。だからお礼に、その小さな頭にキスをした。濡れてしまったくせっけが鼻先をくすぐって、思わずくしゃみをしてしまう。そして2人はまた、笑うのだった。




