099 ひみつのさくせん
裏口から出て、通りの方へ振り向くと、そこには仲間たちの姿があった。
「お待たせ~」
手を振りながら駆け寄ると、フロイデが「遅い……!」と頬を膨らませた。彼はお腹に両手を当てていた。考えるまでもなく、腹ぺこなのだ。
「す、すみません。仮眠のつもりががっつり寝ちゃって――」
言いながらリーベは空が真っ暗なのに気付いた。
「うわ、真っ暗!」
(寝過ごした……!)
驚いていると、フェアがくすりと笑った。
「開店直後にお邪魔するわけにもいきませんし――」
「それにリーベはどうせ寝てるだろうって訳で遅く来たんだ」
実際そうなのだが、彼らの中で自分=寝坊助の図式が成り立ってしまっているのがどうにも歯痒いと、リーベは閉口した。
「むう……」
「ま、お陰でフロイデの機嫌を損ねちまったがな」
ヴァールが笑う一方、フロイデは「早く行こ……!」と我慢の限界を訴える。
「そうですね。行きましょうか」
フェアが言うと同時に、フロイデが「ふんふん……!」と鼻息荒く店舗へ向けて歩き出した。残る3人は目を合わせて笑うと、小さな背中を追う。
カランとカウベルが鳴り響くと、オーダーを料理人に伝えていたおエルガーが出迎えてくれた。
「へいらっしゃ――って、来たなリーベ」
彼はさして驚いた風もなくそう言った。
平然たるその様に、驚かすはずが、むしろリーベの方が驚かされてしまった。あんぐりと口を開けていると、いたずら好きなヴァールが「気取られんなよって言っただろ?」と残念そうにため息をついた。
「ど、どうしてわたしが来るって知ってたの?」
「ん? ああ、ヴァールの贔屓の店って言ったら、うちしかないだろ?」
「あ……」
(もっと言い方を工夫するべきだった……)
悔しさが募る中、フロイデが「開いてる……?」と、いつになく強きに問い掛ける。
「お、おう。奥が空いてるから、そこに掛けてくれ」
するとフロイデはトコトコと1人歩いて行った。
「フロイデのヤツ、なんかあったのか?」
エルガーがひそひそと問い掛けると、フェアが「お腹が空いているだけですよ」と笑って答える。
「はは。それなら立ち話してるのは酷だな。さっさと席について、オーダーを決めてくれ」
「ええ。そうさせていただきます」
こうしてリーベたちは指定された食卓へと向かった。道中、たまたま来店していたサラ婦人が好奇心いっぱいに問うてきたが、フロイデの空腹のため、リーベはなるべく早く会話を切り上げた。
そうして席に着いたリーベは、不思議な心地に胸をときめかせていた。
「ふう……わたしがお客さんになるなんて、想像したこともなかったよ」
「そりゃ、お前んちだからな。そら、お前は何食うんだ?」
「もちろん、トマト煮だよ。おじさんは?」
「俺もトマト煮だ。フェアもそうだろう?」
「ええ。せっかくエーアステに来たのですからね」
フェアが微笑みながら、フロイデに目線を向ける。それに倣ってリーベも見やるとメニューとにらめっこをしている姿が目に飛び込んできた。
「決まりませんか?」
「……トマト煮も食べたい、けど、シチューの方が食べたい気もする……」
悩ましげに繰り出されたその言葉にリーベは大いに共感した。そんな中、フェアが提案する。
「では私のトマト煮を分けて差し上げますので、あなたはシチューを選ぶと良いでしょう」
「いいの……!」
フロイデが無邪気に目を輝かせる。その輝きはフェアが頷くと一層のものとなった。
「ふふ、良かったですね」
「たく、そんなガキ見てえに燥いで……んじゃ、注文するぞ」
「うん……!」
ヴァールは木の幹と見紛うほどに太く逞しい腕を掲げ、店員を呼んだ。
「お、決まったか?」
エプロンの裾を蹴飛ばしながらやって来たエルガーは、メモとペンを手に、オーダーを伺う。
「ああ。トマト煮3つと、クリームシチュー。バゲットで。あと取り皿1枚」
「ほいほいほいっと、他には?」
「以上だ」
「んじゃ、少し待っててくれ」
『どうだ』とでも言いたげな得意げな目線を娘であり、以前の給仕をしていたリーベに寄越すと、彼はカウンターへ引き返していった。
「ふふ。すっかり給仕が板に付いたようですね」
フェアが言うとヴァールが頷く。
「『俺は戦う以外に能がない』なんて言ってたのが嘘みたいだな」
「え、そんなこと言ってたの?」
「ああ」
「ここだけの話、引退される直前は結構ナーバスになっていたんですよ?」
「へえ……」
リーベは若干のショックを受けつつも父を見た。陽気に接客するその姿からはそんな不安はみじんも感じ取れないが、今まで戦うことを生業にしてきた彼にとって、戦いを捨てることは身を切るのに等しい事柄なのだ。
「へいお待ち!」
呆然と開かれた視界の中、エルガーはサラ婦人に料理を提供した。そうして多少の会話をする姿は切実な事情を知って尚、生き生きとして見え、リーベはホッと胸を撫で下ろした。途端――
ぐうううう……
腹の鳴る音が大きく響くと、ヴァールはにやりとリーベを見た。
「わ、わたしじゃないよ!」
そう弁明したとき、隣に掛けていたフロイデがバタリと食卓に突っ伏した。
「フロイデさん?」
「お腹、空いた……」
(確かに夕食にはやや遅い時間だけれども、それほどかな?)
「お昼、食べなかったんですか?」
「美味しく、食べたかった、から……」
『食いしん坊の癖にそんなことするからー』と、口に出そうになったが、リーベはどうにか堪えた。と、その時、視界にエルガーがトレイを手にやって来るのが見えた。
「へいお待ち!」
と、彼が料理を配膳していくのをフロイデは目を輝かせて見つめていた。しかし置かれたものがトマト煮であるのに気付くと、目に見えて落胆した。
「はは! 今持ってくっからそう落ち込むなよ」
そうしてやっと彼のシチューが到着すると再び盛大にお腹を鳴らす。
「バゲットもあるからちょっと待ってろ」
エーアステでは全てのメニューに標準で丸パンが付いてくるが、バゲットに変更することもできる。油と塩と香草で調味され、ザクザクに焼いたそれは何のメニューにでも合うため、いつも飛ぶように注文されるのだ。
持ってこられたそれは焼きたてで、香ばしい香りと共に熱気を放っている。
「これで全部だよな?」
「ええ。ありがとうございます」
フェアが言うとエルガーは笑う。
「はは、お前らに飯を出すのは変な感じがするな」
彼は娘に何かを言おうと目線を向けたが、他の客に呼ばれて飛んで行った。
その様子にリーベは後任である父がエーアステの給仕として、立派に努めているのだなと実感させられた。




