転生猫は虚空を見詰める
「猫って、たまに何もない場所をじっと見詰めている事あるよねえ」
我が主人、アンの友人であるミヤが、クッキーを手に取りながら、我を見つつそんな事を口にしてくる。
「分かる! うちのレンちゃんも、良く壁とか天井見詰めてるもん!」
ミヤの言葉に大いに同意する我が主人のアン。しかし我はそちらに気を取られて、壁を見詰める事を止める訳にはいかない。人間には見えないかも知れないが、猫に転生した我には見えるのだ。不届きにも家主であるアンに断りもなく部屋に居座る、顔の分からぬ生霊の姿が。
見えるからには対処しなければならない。猫の瞳には不思議な力がある。猫にじっと見詰められた生霊は、その場から動けなくなり、見詰め続けているうちに視線に耐えきれなくなった生霊は霧散する。なので我は眼前の生霊は霧散するまで、見詰める事を止める事が出来ないのだ。
(ふむ。やっと生霊めも霧散したか)
仕事を終えた我は、一休みする為にアンの下へと足を運び、その太ももを枕にしてごろんと横になる。
「レンくん、アンにべったりだよねえ」
先程のクッキーを食べ終えたばかりだと言うのに、ミヤはテーブルに置かれたお菓子の山に手を伸ばしながら、アンに撫でられ人心地ついている我へ、呆れ混じりの視線を向けてくる。
「うん。でも、レンちゃんに出逢えて良かったよ。もしあのままだったら、今頃どうなっていたか……」
感慨に耽るアン。我を優しく撫でながらも、その想いは、我と初めて出逢ったあの日へと回顧しているのだろう。我は「にや〜」と軽く鳴きながら、その想いに寄り添う。
我は元は人間だった。それもアンと交際していた彼氏と言うヤツだった。それが何の因果か、今は猫へと転生し、アンに飼われる身だ。
猫としての出逢いは、我の葬式だ。十字路で信号待ちしていた前世の我は、その日何者かに背中を押され、交通事故でそのまま死んだ。そして気付いたら捨て猫となっていた。別に神様やそれに類する者が、「貴方が死んだのは想定外でした。なので転生させてあげましょう」などと言ってくる事なく、気付いたら猫になっていた。交通事故については、まだ犯人は捕まっていない。
葬式の日は雨だった。自分が猫に転生した事など理解出来ていなかった我は、しとしとと雨が降りしきる中、どうすれば良いのか分からず、途方に暮れていた。そんな我の視界に、葬式が終わり、泣きながら家へととぼとぼ帰っていたアンの姿が映り込み、思わず声を上げると、我のか細い鳴き声に気付いたアンが、我を見付けて、動物病院へと連れて行ってくれたのだ。
動物病院で、自分が猫に転生した事を理解した我は、これからどうなるのか、自分の人生、いや、猫生の行く末を考えていたのだが、我が死んで気持ちが沈んで何もやる気がなくなっていたはずのアンが、自ら我を飼う事を申し出たのだ。素直に嬉しかった。その時には生死を超えた愛情の縁のような何かを感じたものだ。
それから3カ月近くが経過した。猫になっての生活は悪くないものだった。名前の「レン」が、我の背中にあるハート型の模様から、恋→レンとなったのはご愛嬌だ。何とでも名付けてくれて構わない。
食の方も、猫になって味覚の変化もあってか、キャットフードにはすぐ慣れた。それにおやつとしてたまにジャーキーをくれるのが嬉しい。ジャーキーは我が人間だった頃から好物だったものなので、我が無我夢中でジャーキーに齧り付いている時、アンは昔を思い出すかのように微笑ましく眺めていた。
しかし我の猫生に波風がまるでない訳でもない。前述したが、猫には霊が見えるのだ。そしてどうやらアンは霊に憑かれ易い体質らしく、仕事から帰ってくる度に、生霊に取り憑かれているものだから、除霊をしなければならない。初めのうちは我も生霊にびっくりしたものだが、3カ月も経てばそれにも慣れる。生霊を除霊するのももうお手の物だ。
「ねえ、今日泊まっていっても良い?」
アンの友人であるミヤが、唐突にそんな事を口にしてきた。
「ええ何? 前から言っているけど、普段から友達が泊まれる用意なんてしていないから、お客様用の布団なんてないよ?」
「2人で同じベッドで寝れば良いじゃん」
「私が嫌よ。レンちゃんがひとり寂しく寝なくちゃならなくなっちゃうもん」
アンがミヤが泊まるのを断る口実に、我を持ち出したので、ミヤが我を睨んでくる。が、そんなものはどうでも良い。ふふふ、悔しかろう。お主は我が死んでから、良くこの家に通うようになったが、我がいるから、今一つアンとの距離を詰め兼ねているからな。我は自分の優位性をミヤに見せ付ける為に、アンに甘えるようにへそ天となって、アンに撫でる事を求める。それに応じるようにアンが我の腹を撫でているのを、歯噛みしながら睨むミヤ。ミヤはそのうちにまるで恋人同士のようにじゃれつく我とアンの姿など見たくない。と顔を伏せると、プルプルと震え出した。
「……何でよ」
我とアンの仲睦まじい様に、ミヤのやるせない感情の昂りは頂点に達したらしく、俯いたまま、ぽつりと呟いたかと思ったら、堰を切ったようにミヤはアンに感情をぶつけ出した。それに対して、尋常ではない。と感じ取ったアンもミヤの方へ顔を向ける。
「何でよ! アイツが死んで、邪魔者はいなくなったのに、何で私の想いを拒否するのよ! 私はアンとの未来の為に、邪魔なアイツを消したのに!」
紅潮した顔で告白するミヤ。これにはアンも言葉を失った。友人だと思っていた相手が、実は私へ恋心を抱いており、その横恋慕で恋人を殺した。と告白してきたのだから。顔面蒼白となるアンを横目に、我には見逃せないものがこの瞳に映っていた。
昂り、抑えられなくなったミヤの感情が、靄のように立ち昇ると、それが生霊となったからだ。いつも見ている顔のない生霊。その発生源はミヤだったのだ。
いつもよりも濃くはっきりした顔なしの生霊は、我が驚いている間にアンに取り憑き、アンは身動き出来なくなってしまった。そこで気を持ち直した我は、すぐに生霊を睨み、アンから離れろ! と強烈な視線を送る。これに堪らず生霊の呪縛が緩む。しかし事態がそれだけで収拾する訳がなく、
「…………はあ。結局アナタも私のものにならないのね」
そう口にしたミヤは、カバンから果物ナイフを取り出し、それを強く握って、アンを殺そうとナイフを振り上げる。
「ニャー!!」
我は咄嗟にジャンプすると、ミヤの手に取り付き、その手に噛み付く。噛まれた痛さでナイフを落とすミヤ。
「ニャー!!」
我がもう一度声を上げると、漸く事態に脳が追い付いたアンが、ミヤから逃げ出そう玄関に向かう。
「待て!!」
それを見過ごすまいと、ナイフを拾い、アンこ後を追うミヤに、アンを傷付けさせるものか! と我はミヤの足に齧り付く。
「くっ! このクソ猫!!」
足を離すまいとする我を、邪魔だ! とミヤはその噛まれた足ごと、壁に向けて強烈に我をぶつけた。猫の軽い身体が、それに耐えられる訳もなく、我はその壁と足に挟まれ圧迫されて、そのまま気を失ったのだった。
◯◯◯
「……ン! レン! レン!!」
アンが我を呼ぶ声が遠くから聞こえてきたので、我はどうにか目を開ける。
「レン!!」
「にゃ……」
必死に我を呼ぶアンの声に応えようと、我も鳴き声を上げるも、身体全体が痛くて、蚊の鳴くようなか細い声しか出てこない。
「レン! 良かった! 生きている! すぐに病院に連れて行ってあげるから!」
我の反応に少しだけホッとした声を上げるアンに、我もホッとして、また気絶してしまった。
◯◯◯
結論から言えば、アンは無事で、ミヤは警察に逮捕された。家から逃げ出したアンは、警察に通報しようと考えるも、スマホを家に置いてきてしまった事を思い出し、近くのコンビニに駆け込んで、店員に事情を説明して警察に来て貰ったのだ。
ミヤはアンの家から逃げ出していたが、すぐに展開された警察の包囲網から逃れる事は出来ず、事件発生から2時間と経たずに捕まった。
ミヤによって壁に強かに打ち付けられた我は、身体の何箇所かを骨折していたが、幸い臓器や神経が傷付く事はなかったようで、今は全快して健康そのものだ。
「レンちゃん、ジャーキー食べる?」
怪我も回復した我だが、アンはまだ心配なのか、それともアンを逃がす為に頑張った我の頑張りを讃えてか、前以上に我を甘やかすようになっていた。まあ、悪い気はしない。がジャーキーの食べ過ぎには気を付けている。
ミヤが逮捕された事で前世の我の問題も解決し、これで今度こそ平和な猫生をエンジョイ出来ると思っていたのだが、
「にゃ〜……」
部屋にはアンが連れ帰ってきた生霊が、まだ居座っている。どうやら生霊を飛ばしていたのはミヤだけではなかったようで、顔の分からない生霊に我はいつものと変わらず睨みを利かせる毎日だ。はあ。猫の暮らしも楽じゃない。




