9 カフェ再開
日曜日からカフェを開けることになった。
美波に押し切られた感じだ。
でもかなり助かるのも本当だ。
出費ばかりで収入源がないのは不安だったのだ。亜麻にかかる費用だけじゃない。ここの家賃だって払わなきゃいけないのだ。
無収入でそんな状態が3ヶ月も続いたら、俺は破綻してしまう。
「今日は美波姉ちゃんが来るからね。」
俺は亜麻にそう言って、開店の準備を始めた。
「みーな。ぴるる。」
亜麻はそう言って、タライの中をぱしゃぱしゃと泳ぎ回った。美波になついてくれたようでよかった。
本当は開店までタライを店が見えるところに持ってきてやれるといいのだが、そうするとまた開店前に引っ込めるのが大変になる。
ただ、亜麻なりに美波を迎える準備だと理解しているのか、ボールを与えておくとそれに戯れながら、時々「みーな」「ぴい たった」などとひとりでしゃべっている声が聞こえる。
俺は今、亜麻のタライをビニールシートを敷いた脱衣洗面室に置いている。浴室の中だと俺が風呂に入れないからだ。
亜麻の体温は人間より低い。そこは水棲生物だからかもしれない。
一度ぬるいお湯で体を洗ってやろうとしたら、亜麻は激しく嫌がった。とにかくお湯はダメらしい。かなりぬるいお湯でも、亜麻には「熱い」らしいのだ。
だから、亜麻のタライが風呂場にあると、俺はシャワーも浴びられない。
寝る時は脱衣洗面室の扉を開けたままにして、ダイニングの床に布団を敷いて寝ている。
亜麻が目を覚ましても、いつでも俺がそこにいるように。
亜麻は夜中、時々「ぴいいい。ぴるる。」というような声を発していることがある。
その声は人魚の本能みたいなものだろうか?
俺が亜麻の声に目を開けると、亜麻はタライの縁に腕を乗せてじっとこちらを見ていたりする。俺が目を開けたのを見ると、にこっと笑って、ぱしゃん、とタライの水の中に飛び込んで、またそっとタライの縁から顔を出す。
遊びのつもりだろうか。
カップの準備をし、ドリッパーの準備をし、テーブルを拭いていると、入り口のドアの向こうに美波が現れてガラス越しにこちらを覗き込んだ。
「なんだ、まだ30分も早いぞ?」
俺が扉を開けると、美波はニカっと笑って中に入ってきた。
「準備してる間も、亜麻がひとりになっちゃうでしょ?」
そのとおりだが‥‥。
「亜麻に会いたいだけだろ?」
「へっへぇ〜。」
「布団まだたたんでないから‥‥。」
「あたしがたたんどいてあげる。マスターは店の準備しとりん。」
いや‥‥、そうじゃなくてだな。中学生とはいえ、女の子に寝てたままの布団と脱ぎ散らかしたパジャマ見られるのはだな‥‥。
「隅にたたんどけばいい? やっほー、亜麻!」
「ぴい。みーな。」
奥から声がする。
俺は片手で顔を覆いながら、奥に声をかけた。
「扉閉めといてくれ。声が聞こえる。」
9時。
「営業中」の札に掛け替えて程なく、第一号のお客さんが入ってきた。バイクのツーリングのようだ。
「いらっしゃいませー。」
俺は自分の声が弾んでいるのに気がついた。