6 ただいま育休中
10日目。
亜麻の体長は40センチくらいになった。
生まれたての人間の赤ちゃんくらいの大きさだが、体型や表情は1歳くらいの子どもの感じに近い。
もっとも、それは上半身だけの話で、下半身は魚なので、それがどのレベルの成長過程にあるものなのかは、さっぱりわからない。
鱗で魚の年齢がわかる、というような話を聞いた記憶があるが、俺にはそんな知識は何もない。だいたい亜麻はまだ生まれて10日目だ。
そういえば、亜麻の鱗は柔らかそうで透明感さえあるようで、実際に触っても滑らかな感触しかない。
普通の魚にありがちな、ギザギザしたような硬さは感じられない。
子どもだからなのか、人魚の鱗とはこういうものなのかは、わからない。
俺はここにきて初めて、亜麻におへそがないことに気がついた。
まあ、考えてみりゃ当たり前だ。
卵生なんだから。
そういえば生まれたての頃はおなかが少しふくれていた。あれは栄養を蓄えていたのかもしれない。
そして腰の両脇に目立たない鰓がある。
それが常に開いたり閉じたりして呼吸していた。
卵生で哺乳する動物というとカモノハシがいるが、似ても似つかない。
両生類? いや‥‥‥
カエルやイモリも、似ても似つかない。
そもそも、鰓呼吸と肺呼吸を同時にするような生物っているんだろうか?
やはり、人魚は人魚だ。
この愛らしい姿は、何のための進化だろう? とも思う。
そんな取り止めもないことを考えたりしながら、俺は日がな一日、亜麻のごはんか遊び相手をしている。
店は休業にしたままだ。
亜麻はよく食べて、よく眠った。
水に入れた俺の手にじゃれついたり、抱っこで高い高いをせがんだりもする。
ボールを水に沈めて、ぽん、と浮き上がらせる遊びも面白がった。
片言も話したりする。
そんな亜麻を眺めて、俺は顔の筋肉を緩ませたままにしているのだ。
これじゃ、まずいかなあ‥‥とも思わないではない。
そろそろ店も開けないとな‥‥。
ただ‥‥。
店を開けるとなると、亜麻をどうするか?
まさか保育園に預けるわけにもいかないし、店にタライを持ち込むわけにもいくまい。
人魚のいるカフェ——なんて、そりゃたしかに売りにはなるだろうが、俺は別にカフェで成功したいわけじゃない。
そのテのものから逃げ出したくて、ここに来たのだ。
第一、亜麻の存在が知れ渡ったら、別種の危険があり得る。
まずは興味本位のマスコミと、フェイクだ児童虐待だというような誹謗中傷。
調べたい、という学者なんかも押しかけてくるだろうし、下手すりゃ「解剖したい」などと言うやつもいるかもしれない。
金持ちに売り付けようと、盗みや強盗に入るヤツも出てくるかもしれない。
それらの全てに、俺は対応できるすべを持たない。
今はひとりで遊ぶことも増えたとはいえ、長時間俺の姿が見えないと亜麻は不安がる。
「買い物に行ってくるからね」と言って出かけても、30分以上時間がかかると、亜麻はタライの縁に手をかけて不安そうな顔で待っている。
あんまり長くかかると、時々俺の顔を見た途端「ぴいいいい」と泣き出すこともある。
11日目。
俺はふと思いついて、亜麻に幼児向けの番組を見せてみることにした。
といっても、俺はテレビを持っていない。
俺は動画の中から選んだ幼児向けのアニメをノートパソコンに表示して、浴室の入り口の亜麻に見えるところに置いてやった。
予想どおり、亜麻はタライの縁に手をかけて食い入るように観ている。
時々、「あ」とか「きゃは」とか言って、驚いたり笑ったりしている。
俺はそれを緩みっぱなしの顔で眺めている。
世話をするのは大変だが、子どもがいるというのはきっとこういうことなんだろう——と思ったりする。
そう思うと、別れた彼女のことが頭をよぎった。
そして気がついた。
結婚する——というところまでは考えていたが、彼女と子育てをするというイメージは俺の中にはなかった‥‥。
「ぴい。ぴいるるる。」
アニメを観ながら、時おり亜麻はそんな音とも声ともつかない音声を発する。
これは人魚ならではの「言葉」のようなものなのだろうか?
人間の子どもは、こんな声を出さないよね?