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渚にて  作者: Aju
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4 成長

 亜麻はみるみる大きくなった。

 手のひらサイズの赤ん坊だったのが、5日目には子猫くらいの大きさになり、タライの中でパチャパチャと尻尾を振りながら元気に泳ぎ回った。

 ミルクをよく飲み、よく眠って、日に日に大きくなってゆく。

 この成長の速さは、野生ならではなんだろうか。

 早く大きくなって早く泳げるようになり、捕食者から逃げられるようにならなければならないのだろう。

 本来は母親が授乳するのだろうから母人魚が守るのだとしても。


「あー、まー。‥‥っぱい!」


 自分の名前が「亜麻」だということがわかるらしく、そんな発音もして、哺乳瓶(おっぱい)も催促するようになった。

 もう、ぴい、ぴい、という鳴き声だけではない。

 知能は人間の赤ちゃんと遜色なさそうだった。

 亜麻色の髪も3センチくらいに伸び、もう赤ちゃんの産毛ではない。


 離乳食とか、どうしたらいいんだろう?

 そもそも人魚って何を食べる生き物なんだ?

 ミルクを飲むなら、人間が食べるものは食べられるんだろうか?

 変なものあげて、おなか壊したりしたら‥‥。と思うと俺はどんどん不安になる。

 明け方や夕暮れの海を窓から眺めてみるが、母親らしきものが探しにきているような様子はなかった。

 なぜ、卵は1つだけ、波打ち際で波に洗われていたのだろう?

 とにかく人魚の生態の全てがわからない。

 何もかもが手探りだ。


 もちろん、生き物である以上、排泄もする。

 どこから出すのかわからないが、数時間おきに水の中に何か薄い膜で包まれたクラゲのような排泄物が浮かんで漂っていた。

 俺はそれをオタマですくって取って、空き缶に入れてはトイレに捨てる。

 水を清潔に保つために、朝夕バケツを持って渚まで海水を汲みに通った。


 ポリタンクがあった方がいいな。

 バケツじゃ効率が悪すぎる。少しストックもできた方がいい。

 俺はまた、荒物屋にポリタンクと柄杓を買いに行くことにした。


「ちょっと買い物に行ってくるから、お留守番しててね。」

「‥‥ばん?」

 亜麻はつぶらな瞳を俺に向けて、聞こえた言葉を繰り返してみせる。

「うん。待っててね。すぐ帰ってくるから。」

「てて‥‥。」

 俺がおもちゃのゴムボールをタライに入れてやると、亜麻は目を輝かせてそれにじゃれついた。


 その様子を見ながら、俺は財布を持って小さく手を振る。昔ながらの荒物屋はお爺さんが一人で店番をしていて、スマホ決済ができないから現金が必要だった。

 俺が手を振っているのに気づいた亜麻も、俺の方を見て小さな手を振ってからまたボールにじゃれついた。

 今はもう、俺が出かけても必ず帰ってくるとわかっているらしく、おもちゃがあれば亜麻はひとりで遊んでいる。


 俺は大急ぎでポリタンク4つと柄杓を買って、(みせ)に戻った。

 海水を汲みに行くのは、早朝か夜にする。

 人に見つかって、いろいろ聞かれるのがめんどくさいからだ。

 店の方のドアには、「本日休業」の札をぶら下げたままにした。

 亜麻が少し大きくなるまでは、とても店に出ることなんてできそうにないから——。


 海が荒れた時のために海水と同じくらいの塩水を作れるようになろうと、ネットで海水の塩分濃度を調べてみた。

 3.4%。

 「塩分」には、塩化ナトリウム(NaCl)、硫酸マグネシウム(MgSO4)、硫酸カルシウム(CaSO4)、炭酸水素塩等も含まれる。

 え?

 ただの水に食塩を入れるだけではダメなんだ‥‥。


 人工海水の素という商品があることもわかった。

 熱帯魚なんて飼ったこともなかったから、全然知らなかったけど‥‥それにしてもけっこう高い。

 3リットル用で、千円以上する。

 タライに亜麻に必要な分満たすだけでポリタンク1杯は使うから‥‥つまり18リットル。

 それを毎日取り替えていては、俺の預金はあっという間に底をついてしまう。


 俺は天候が荒れた時の緊急用として、36リットル分だけそれを買うことにし、基本は毎日俺が海水を汲みに行くことにした。

 金がないなら、体を使うことだ。

 なんせ、今の俺は経済力ゼロだからな。店も閉めてることだし。


 俺は朝夕、人の目のない時を狙って波打ち際まで海水を汲みに通った。


 7日目。

 少し岩のある磯の方で汲んだせいだろう。汲んできた海水の中に磯海苔の切れ端が混じっていた。


 亜麻はそれを珍しそうに目で追っていたが、やがてそっと指でつまむと、ふんふんと鼻で匂いを嗅ぎ、それからぱくっと口の中に入れてしまった。

 え? と思ったときには、亜麻はにこっと笑って

「んま!」と言った。


 それから、他にもないか水の中をあちこち見て探し始める。

 海苔、食べるのか?

 いや、そうか。海の生き物だもんな。

 これが離乳食代わりになるんだろうか?

 おなか壊したりしなきゃいいけど‥‥。何かあっても医者に連れて行くわけにもいかないのだから。


 亜麻はもう一つ小さな切れ端が漂っているのを見つけ、それをつまもうとするが上手くつまめない。

 むう!

 とばかりに、その海苔の切れ端を睨むと魚のように、すい、と泳ぎ、口を近づけると海水ごと吸い込んでしまった。

「んま!」

 亜麻がにっこり笑う。

 や‥‥野生だ。

 人間の赤ちゃんなら、「行儀悪い」とか「ばっちいでしょ」とか言うところだが、人魚の場合はどうなんだろう?

 これで普通なのかもしれない。


 笑った拍子に、前の歯茎に白いものが顔を出し始めているのが見えた。

 もう歯が生え始めたんだ。


 早い。

 なんという早い成長!


 そのことに感嘆してから、俺はふと不安になった。

 生き物は、その一生の中で成熟に要する時間はある一定の割合に定まっているという。

 成長が早い、ということは‥‥‥それだけ寿命も短い‥‥?



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