3 田舎という世間の中で
俺は町で唯一のスーパーであるヤオジュウの開店時間すぐに店内に飛び込んだ。
大手スーパーのエイオンなんかは、もっと街中に行かないとない。
開店を待って中に入るのは、近隣のおじちゃんやおばちゃん、いや、お爺ちゃんやお婆ちゃんがほとんどだ。
前日の値引き品と、今朝入荷した新鮮な野菜や魚を目当てにやって来るのだ。
この小さな田舎町自体、高齢者の比率が圧倒的に高い。
俺くらいの年齢の若い連中は、概ねもっと早い時間に都心部へと通勤してしまっている。
そういう連中は、こんな田舎スーパーでは買い物はしない。
仕事の帰りに都市部のスーパーや駅地下で、買い物を済ませて帰宅するのが普通である。
もちろん、この町に居ついて喫茶店をやったり、親の世代からの旅館の跡を継いだりしているやつもいるが、こんな時間にスーパーに来たりはしない。
自然、俺は店の中で目立った。
しかし、もたもたはしていられない。
亜麻が目を覚ましてしまうかもしれない。
哺乳瓶と粉ミルクとバケツと、ごまかしのためにドリップ用のペーパーフィルターや少しばかりの野菜もカゴに入れた。
タライも買いたかったが、このスーパーにはないので荒物屋も回らないといけない。
「綾ちゃん、あんた子供なんておったっけや?」
顔見知りのレジのおばちゃんに声をかけられた。
こういうところが田舎の厄介なところだ。
土足で他人のプライバシーに踏み込んでこようとする。
人口が少ないから、どこに行っても知り合いに会う。
こんな田舎にわざわざ来て、嫁さん候補はいるのかい?——なんて平気で言われたりする。
だいたいが、昭和のおばちゃんたちだ。
「昨日から一晩、姉きが泊まりに来ててさ。俺が哺乳瓶をうっかり蹴っつらかいちまってよ。」
テキトーな嘘をついて、さっさとその場を離れる。
荒物屋に立ち寄って、プラスチック製のタライを買った。
プラスチックの海洋汚染が、ちら、と頭をよぎったが金ダライはやめておいた。
金属で囲われた中に亜麻を入れるのが、なんだか痛々しいような気がしてしまったのだ。
プラスチックだろうと、別に海に捨てなきゃいいだけなのだ。
あの子は泳ぎ回るだけなんだろうか?
何かに上って、水から出る場所も必要だろうか?
よく見る人魚のイラストを思い浮かべた。
そんなことを考えながら、店の裏の駐車場に車を停めて住宅部分の裏口から荷物を入れようと扉を開けると、洗面所の方で「ぴい! ぴい!」という鳴き声が聞こえた。
目を覚ましたのか。
俺はタライの中に買い出してきた荷物をみんな入れて、えっちらおっちらと洗面所に向かった。
亜麻は鍋の縁に手をかけて、目に涙を溜めていた。
目を覚ましたら、俺の姿がなかったからかもしれない。
「ごめん、ごめん。ちょっと亜麻に必要なものを買いに行ってた。ごめんよ。」
俺の顔を見て声を聞いたら、亜麻は顔をくしゃくしゃにしてもっとひどく泣き出した。
「ぴいいー! ぴいいいー!」
そう。これは、鳴くではなく泣くが正しいんだろう。
この子はすっかり、俺のことを親だと思っているようだ。
嬉しい反面、この子の将来のことを考えると、どうしたもんだろう‥‥とも思ってしまう。
「ごめん。ごめんな、亜麻。」
俺は言いながら、亜麻の頭をそっと撫でてやる。
背中を軽くとんとんしてやる。
これでいいんだろうか?
亜麻はお母さんのお腹の中で心臓の音を聞いてたわけじゃないはずだ。
だが、亜麻はそれで「ふみ‥‥」と泣き止んでくれた。
「おなかすいたか? 今ミルク作ってやるからな。」
俺は話しかけながら、粉ミルクとポットのお湯を哺乳瓶の中に入れ、ミネラルウオーターで温くして哺乳瓶の乳首部分を亜麻の口に近づけてみた。
少し大きすぎるかな?
亜麻は、ふんふんと匂いを嗅いでいたが、すぐ、小さな口を思いきり開けて、あむっ、とその先端に吸い付いた。
「んくっ。んくっ。」
両手でペちんと挟むように哺乳瓶のキャップを押さえている。
そういえば亜麻はわりとすぐに手をグーからパーに開いたな。
普通、人間の赤ちゃんだと、生後しばらくの間はグーのままなんじゃなかったっけ?
あれ?
鍋、こんな小っちゃかったっけ?
いや、‥‥‥
亜麻が大きくなってるのか?
まだ1日も経っていないのに‥‥?