25 夏の日々
「マスターはさぁ‥‥。」
お盆が過ぎて海水浴客も減った頃、客が途絶えた店の中で洗ったカップを拭きながら美波が話しかけてきた。
「亜麻のこと、どう思ってるの?」
「どうって?」
俺は美波の質問の意味がわからない。
少しの間、沈黙があって。
美波は口を開いた。
「亜麻はマスターのことが好きだよ。あたしわかる。女だから。」
似たようなセリフをこないだ誰かから聞いたぞ?
いや‥‥
てか、それ、どういう意味だ?
俺は思わず美波の顔をまじまじと見てしまった。
その瞳の中に、中学生らしからぬ光が見える。
どう解釈していいのか‥‥この光‥‥?
「マスターは、どう思ってるの?」
「どうって‥‥。おまえ、亜麻は人魚だぞ?」
「だから、なに?」
いや、なにったってだな‥‥。
仮にそうだとしたってだな‥‥、その先はどうなるっていうんだ? 亜麻は人魚だぞ? 人間とは「種」が違うんだぞ?
つまり‥‥それを‥‥中学生にどう説明すれば‥‥?
「あたし‥‥亜麻にだったら譲れる。」
そう言って、美波は耳まで真っ赤になった。
俺は狼狽えた。
だったら譲れる? それはつまり‥‥
今‥‥。俺は、中学生から告白されたのか?
「み‥‥美波。おまえ何言ってんだ。おまえ、まだ中学生だろうが?」
「子どもだから? でも、あたしだってあと3年したら大人だよ?」
美波の瞳が不思議な青い色を帯びて光っている。まるで、亜麻の碧色の瞳みたいに‥‥。
俺がリアクションに困っていると、ドアベルがカランと鳴って若いカップルが入ってきた。
「いらっしゃいませー!」
美波がぱっと表情を変えて、明るい声で言う。
その夜、俺は2階のベッドの上で頭を抱えた。
なんとなく最近、2人の様子がおかしい‥‥とは思っていたが‥‥。
だったら譲れる——ってことは、それ以外には譲れない‥‥ってことで‥‥。
2人ともそういうこと言ったってことは‥‥
ほとんど2人から同時に告白を受けたようなもんじゃないか。
モテ期とかハーレム状態っていうのか? これ‥‥。
想像してたのと全然違うぞ?
しかも‥‥。
一方は中学生で(手ぇ出したら紛れもなく犯罪だよ?)、もう一方はニンゲンじゃない。
彼女にふられて田舎に逃げてきたとき、‥‥この展開は想像しなかった‥‥。
そりゃあたしかに、美波の言うとおり、3年経てばあいつも立派に大人だ。
俺だってふと、美波とだったら子育てのイメージが持てるような気がしないでもない。でもあいつはまだ中学生だ。一時の気の迷いさ。
高校に行って、同世代のいい彼氏を見つけて‥‥。そうするべきだ。こんなオッサンじゃなくな。
第一、ご両親が許すはずがない。15歳も年上なんて‥‥。
そして、亜麻だ‥‥。
初めは自分の娘みたいに愛しんでいたのだが‥‥。いつの間にか‥‥。
もし、亜麻がニンゲンで‥‥。2本の脚があったなら‥‥。客としてこの店にやってきたのだとしたら‥‥。
俺はたぶん、あっさり恋に落ちてしまうだろう。
成長の早い亜麻は、もう思春期なのかもしれない。だからそんなことを考えはじめたんだろう。
しかし‥‥。
人魚とニンゲンなんだ。
俺は亜麻を幸せにしてやることができない。ハッピーエンドなんかあり得ないんだ。
亜麻には人魚としての仲間がいるはずで‥‥。この広い海のどこかに、いるはずで‥‥。
海に帰って、仲間に出会って‥‥、番いを見つけ、そして‥‥。
でも‥‥、人魚の男性って、どんななんだ?
だいたいイラストにもそんなのないし、俺は全くイメージが描けない。まさか、あの頭が魚の半魚人‥‥とか?
そう想像したら急に、亜麻を取られたくない! と思ってしまった。
うがあああああああっ!
俺はどうしたいんだろう?
亜麻を手元に置いておきたいのか?
間違いなく、俺は亜麻を愛していると思う。‥‥しかし、その愛はどういう種類のものだろう?
狭い浴槽の中に閉じ込めて、時々海に散歩に連れてゆき‥‥。種の違う俺は、亜麻と結ばれることができるわけでもなく‥‥。
それでは、ペットと同じではないのか‥‥?
では、海に帰すべきなのか?
そもそも、それは亜麻が望んでいることなのか?
どこに危険があるかもわからない大海原に、亜麻は帰りたいと思っているのだろうか?
俺自身だって亜麻の身が心配で不安だ。
もし亜麻がそれを望んでいるのなら、渚から海に入ったあと、そのまま行ってしまうことだってできるはずだ。
でも亜麻は俺の元に帰ってくる。
十分泳ぎ回ったあと、満足げな表情で俺に両手を伸ばして言う。
「抱っこ!」
その「抱っこ」の意味が、なんだか少しずつ変わってきているようにも思える。




