24 夏の日々
亜麻が夜の運動を提案してきた。
「お店が終わった後の時間だったら、アヤトも次の朝はゆっくり寝れるでしょ。」
亜麻は俺の体を気遣ってくれているようだ。
「おまえ、夜の海は怖いんじゃなかったのか?」
「それは子どもの頃のことだよ。」
亜麻はぷっとむくれてみせる。
ほんの数ヶ月前の話だけどな——と俺は可笑しがりながら、そんな亜麻の表情が限りなく愛おしく感じてもいる。
俺は亜麻の提案を受けて、海で亜麻を泳がせるのは人のいなくなった夜にすることにした。
時おり浜辺で花火なんかをやる若者はいるが、このあたりは若い人が好むような気のきいた宿もないので、基本夜の浜には人がいない。
美波もその方が手伝いやすいと言うので、俺は1日のスケジュールを少し変えることにしたのだ。
亜麻は人間よりもはるかに夜目が利くようだった。
瞳孔の開き方が人間とは違う。夜の海の中でもけっこう遠くまで見通せるらしい。
「亜麻ちゃんの写真を1枚撮らせてもらってもええかや?」
そんな夏のある日、俺が店を美波に代わってもらってダイニングで昼メシをかっ込んでいると、山田さんが住宅側の玄関から入ってきてそんなことを言った。
「写真をどうするんです?」
「これは昨日撮ったんだが‥‥」
山田さんはそう言って、1枚の写真を見せる。それは海側から見た『カフェ・NAGISA』の夜景だった。
山田さんは肩にかけたバッグからビンを1つ取り出す。
「なに、NETに上げたりはせん。これと亜麻ちゃんの写真をこの瓶に入れて、沖のブイの下にぶら下げといたらどうかと思ってや。亜麻ちゃんのお母さんがもし子供を探しとったら、これ見て近くまで来てくれるかもしれんじゃん。」
山田さんは、自分でも何か亜麻の手助けをしたいようだった。漁師である山田さんは、いろいろ考えた末にこの方法を思いついたらしかった。
亜麻はその提案を喜んで、にっこにこの顔で写真に収まった。
「アヤト、ベッドで寝ていいよ。わたし、もう1人で大丈夫だよ。」
亜麻はそんなことを言う。
「狭いとこじゃ、休まんないでしょ?」
鏡を見ると、少し目の下にクマができていた。自分では平気なつもりでも、シーズン中は体も疲れてるんだろう。
「わたしはのんびり昼寝させてもらってるのに、アヤトには何にもしてあげられてないから。お客さん多いときには、海に行くのも3日に1回でもいいよ?」
たしかに、ダイニングに広げたビニールプールを避けて洗面室にまたがるように敷いた布団で寝ていては、疲れは取れないかもしれない。
これは亜麻が小さい頃に、何かあってもいつでも対応できるように始めたことだったが、大きくなった今も(といってもわずか4ヶ月しか経っていないのだが)なんとなくそのままになっている。
「ここなら寝る前にお話しできるだろ?」
俺がそう言うと亜麻は
「ん‥‥。」
と、曖昧な微笑みを浮かべた。
その表情に、俺はどきりとする。
子どもだ、子どもだと思っていたのに、いつの間にか年頃の娘のようになった亜麻に俺は戸惑いを覚えた。
このところ亜麻の雰囲気が少しずつ変わってきている。
夜の運動を済ませて戻ってからもプールではなく浴槽の方に入りたがり、浴槽の縁に肘を乗せて窓からずっと海を眺めていたりしている。
おかあさん、を探しているのだろうか。
時おりふとふり向くその面差しが光の加減だろうか、なんともいえず妖しく艶しい。
まるで‥‥、恋人とひとつ屋根の下で同棲しているような錯覚に陥りそうになる。
俺は亜麻の提案どおり、夜は2階のベッドで眠ることにした。
「ねえ、アヤト。気がついてる?」
夜のお散歩を終えた亜麻を車椅子に乗せて家に向かって押しているとき、亜麻が前を向いたままで話しかけてきた。
「何に?」
「美波姉ちゃん‥‥。アヤトのこと、好きだよ。同じ女だからわかるんだ。」
「な‥‥何を‥‥!」
「美波姉ちゃんだったら‥‥わたしは応援できる。」
だったら?
それは‥‥どういう意味‥‥
亜麻がひょいと顔をあげて、上目遣いに俺を見る。
「アヤトはどう思ってんの?」
月明かりに照らされたその表情が、どきりとするほどに美しい。
「ばっ‥‥! 何を言ってる。美波はまだ中学生だ。子どもだ。」
「子どもは恋をしちゃいけないの?」
亜麻はまた顔を前に向けている。
その表情が、俺からは見えない。
「大人は子どもを守るもんなんだ。」
‥‥‥‥‥‥
ぜんぜん、答えになってないな‥‥




