19 アメニティ
プールで亜麻が動き回れるようになったのはよかったのだが、問題も発生した。
水替えが大変になったのだ。
外ならビニールプールをバシャッとひっくり返せば済むが、家の中ではそうはいかない。
海水でも真水でも大丈夫なことがわかったから入れる時は水道からホースで入れればいいが、衛生上も水は毎日替えなければならない。
クラゲみたいな亜麻の排泄物が浮くからだ。
それを柄杓ですくってバケツに入れ、トイレに流す。
それからバケツでプールの古い水をすくってお風呂に流し、おおむね汲み終えてからホースで新しい水を張る。
3日間これをやってみて、何か考えないとなー‥‥と思っていたところだった。
美波とケンカしたらしい日の夜、俺がこの作業をやってバケツで汲んだ水を浴室に流して戻ってくると、亜麻がプールの外に出ていた。
這ってどこかに行こうとしている。
「亜麻! 何をやってるんだ?」
俺は空のバケツを放り出して亜麻を抱き上げた。
亜麻は口をへの字にして泣きそうな顔になっている。
「アヤト‥‥」
亜麻の目から涙がぽろぽろとこぼれ出した。
「トイレに行こうとしてたの‥‥。」
亜麻は声を詰まらせながら、訴えるように言う。
「亜麻にも、足があったらいいのに‥‥。そしたら‥‥アヤトや美波姉ちゃんみたいに、ひとりでトイレに行けるのに‥‥」
「そんなこと。気にしなくていい。そんなことくらい‥‥」
亜麻は声を出して泣き出した。
「亜麻‥‥は、っアヤトにも、美波姉ちゃんにも‥‥、甘えて、ばっかりで‥‥。だからっ‥‥美波姉ちゃん、怒っちゃったんだ。きっと‥‥」
俺は亜麻を少し強めに抱きしめてからプールに下ろそうとしたが、亜麻は俺の首にしがみついて離れない。
「お風呂の方に連れてって。そこなら、こんなに大変じゃない‥‥。」
大丈夫だよ。と言おうとしたが、俺は口には出さず、そのまま亜麻を浴槽まで抱っこして行って、そっと浴槽の中に下ろした。
水道の蛇口をひねって、水を出す。
ついでにシャワーも水にして出して、亜麻の顔にかける。
「わっ!」
「涙なんかシャワーで流しちゃえ。明日になれば平気な顔してやってくるよ。美波ちゃんは。俺も美波ちゃんも、亜麻のことが大好きなんだから。」
亜麻は下の薄い瞼を上げているんだろう。大きく目を見開いたまま、シャワー越しに俺の顔を見てから、ちょっとだけ笑った。
俺が言ったとおり、次の日の朝早く美波はやってきた。
「おっはよー、亜麻! 昨日はごめんね。」
そう言って美波は笑って見せたが、ちょっとだけ亜麻がどんな反応をするか怖がっているような笑顔だ。
亜麻も一瞬、戸惑ったようだが‥‥
「ぴい!」
と言って、顔中で笑顔になると美波の方に両手を伸ばした。
それを見て、美波の笑顔からも硬さが消える。
ほらね。よくあるただの姉妹ゲンカさ。
「海、行こう! 人が出てくる前に。」
「うん!」
その日、美波が車椅子を押して海から帰ってくる前に、俺はビニールプールにタライを並べて置いて、それに水を張った。
以前、小さかった頃の亜麻が入ってたやつだ。
「亜麻用の簡易トイレ作っといたぞ。」
俺がそう言うと、亜麻は目を輝かせたが、美波はジトっとした目で俺を見た。
「年ごろの女の子なんだから。丸見えじゃ恥ずかしいでしょ?」
「そんなこと言ったって、すぐに囲いまでは‥‥。」
だいたい亜麻はずっと裸みたいなもんじゃないか。ウンチだって知らないうちに浮いてるだけで‥‥。
「家にさ、たしかキャンプ用のテントでお父さんが昔使ってたっていう小さいサイズのあったと思うから、今日の夕方持ってくるよ。」
美波が持ってきたそれは、まさにジャストサイズで、タライがすっぽり収まった。
「いいトイレ、できたな。」
「へっへぇ〜。」
美波がまたドヤ顔になっている。
亜麻はすっかりそれが気に入ったらしく、テントの中に収まってビニールプールの縁に肘をついている。
「そこ、一応トイレなんだぞ? 亜麻。」
「ここ、落ち着く。」




