17 姉妹
「妹ができたみたい。」
美波が車椅子を押しながら振り向いて、嬉しそうに言う。
「そうだよ。美波姉ちゃんは、亜麻のお姉ちゃんだもん。」
亜麻は首を上げて上目遣いで美波を見ながら、当たり前でしょ! というような声で言う。
亜麻は美雪さんのことも「美波姉ちゃんのお母さん」というような長ったらしい呼び方でなく、単に「おかあさん」と呼ぶことが多い。
亜麻は「血のつながり」というようなものをほとんど気にしていない。
‥‥いないように、見える。
ひょっとしたら、わざとそうしているのかもしれない。
なんとなれば、人魚である亜麻はこの人間世界の中では天涯孤独であるのだ。
亜麻は大きくなった。
見た目も中学生くらいになり、髪も背中まで伸びて胸も大きくなってきている。
そんな亜麻が少しアンニュイな表情で浴槽のふちにしなだれかかっている姿は、思わずどきりとするほど妖しげな何かを感じさせることさえあった。
‥‥が、美波と遊んでいるときは亜麻もこれまで同様、ただの子どもだ。
本当の姉妹のように見える。
手がかからなくなってきた分、俺はカフェの仕事に集中できるし、売り上げも上がってきた。亜麻の生活費(主に食費だけど)だって稼がなくちゃならないのだ。
‥‥しかし。
この先、どうすればいいだろう?
亜麻の身の振り方だけではなく、海はこれからシーズンに入る。
こんな寂れた浜にもそれなりの海水浴客は来るし、それがあればこそ俺のカフェも経営が成り立つのだ。
しかしそれは、これまでのように亜麻が天真爛漫に海で泳ぐわけにはいかなくなる——ということでもあった。
俺は亜麻にその状況を説明した。
「大丈夫だよ。わたし、ここで海水浴の人たちを眺めてるから。」
亜麻はひどく大人びたような口調でそう言った。
「プール作ろう!」
こともなげにそう言った美波に、俺は目がテンになった。
「そんな金ないぞ? 俺は‥‥」
「違うよ。あたしが小さい頃遊んでたビニールプールが家にあったはずだから、明日持ってくる。」
ああ、その手があったか。しかし‥‥
「外で広げるわけにはいかないぞ?」
「ダイニングに入ると思う。‥‥あ、床濡れちゃうか‥‥。」
「いや、ブルーシートならあったから、昼間のうちに汚れ洗って乾しておくよ。」
帆星さんたちが来てから、いろんなことが上手く回り始めた。
やはり、大人の味方がいるのはありがたい。
ビニールプールは、ほぼダイニングを占拠した。
水深は浅いが、亜麻がくるくる動き回るには十分な広さがある。
岡の上の亜麻は、水深が少なければオットセイとあまり変わりがない。
ダイニングテーブルは片脚をプールに突っ込む形で部屋の隅に片付けられた。
だがそれは、不便だけではなかった。
そこに椅子を置いて、亜麻は俺と同じようにテーブルで食事ができることをとても喜んだのだ。
「アヤトと一緒!」
もちろん、亜麻の皿の中身は海藻と焼き魚や煮魚だ。最近はそれに干物も混じっている。
亜麻の尻尾は、イラストで見る人魚みたいに腰のところで90度に折れ曲がったりしないので、やや背もたれにもたれかかるようになる。
イラストに描かれる人魚は人間の女性の脚をただ魚の尻尾にしただけのもので、実際の人魚の骨格はそんなではないのだろう。
座っていても全体に緩いカーブを描き、尻尾の先はぴんと前に出ている。
上半身はそっくりでも、亜麻は‥‥ニンゲンではない。
俺が店に出ている時も、美波と亜麻はテーブルの椅子に座ってゲームなんかをしたりしているようだった。
「マスター、お皿洗おうか。」
海開きも近づいたある日、美波は奥から出てきてそう言った。
お客が増えてきているので助かるが‥‥
「亜麻は?」
「ひとりで遊んでる。」
少し憮然とした表情だ。
「何かあったのか?」
「なんでもない。バイト代もらってるから、その時間は手伝わないと‥‥」
店が終わってから奥に戻ると、亜麻がプールの縁に置いた腕にあごを乗せてぶーたれた顔をしていた。
尻尾を小さく、ぱちゃん、ぱちゃん、と振っている。
「どうした? ケンカでもしたのか?」
亜麻はちょっとだけ恨みがましいような目をしたまま、俺の方に顔を向けた。
「だって‥‥。美波姉ちゃん、スマホ貸してくれないんだもん。」
口を尖らせる。
「亜麻は濡らしたりしないよ? わかってるもん、そんなこと。」
「見たい動画でもあったのか?」
俺は亜麻に自分のスマホを貸してやることにした。
「設定はいじるなよ。見ない方がいいものがいっぱいあるからな、この世界には——。」




