11 海へ
亜麻の身長(体長)が伸びた。
90センチほどになったのだ。
日に日に成長してゆく。
このままでは浴槽でも狭くなるな‥‥。
俺は思い悩んだ。
本当なら成長期の今、思いっきり運動させた方がいいんだろう。
しかし‥‥‥。これ以上広いスペースとなると‥‥。
最近、亜麻は浴槽に肘を置いて浴室の小さな窓から海を見ている。
そうか。
そろそろ、海に慣らした方がいいんだろうな‥‥。
俺はそう思いながら、一方で、亜麻を手放したくない——という思いも強くなっている。俺は2つの思いの間で揺れていた。
「亜麻。」
亜麻は「ん?」という顔で窓から目を離してふり向く。
「海に行ってみたいか?」
亜麻はびっくりしたような顔をして、それから、ぱあっと笑った。
「うん! 行きたい! ぴいい。」
「ただし。」
と俺は釘をさす。
「その尻尾は美波姉ちゃん意外には見られないようにね?」
「どうして‥‥?」
「それはね‥‥」
さて、どう説明したものか? この、まだ小さな人魚の子に。
「人魚は‥‥。人間の世界にいる人魚は、亜麻1人なんだ。みんなおとぎ話の世界のものだとしか思ってない。本当にいるとは思ってないんだ。」
亜麻は不思議そうな顔で俺を見る。
だって、アニメにもいっぱい出てきたじゃない? そんな表情だ。
「本当にいるとわかったら、大勢が押しかけてきたり、中には悪いおじさんが来て亜麻を連れて行っちゃおうとするかもしれない。」
悪いおじさんの話で、亜麻は不安そうな顔になった。
「だから、美波姉ちゃんにも内緒にしてもらうように頼んだんだ。」
俺は亜麻の不安を解こうとして笑顔を見せる。
「明日の夜明け、まだ誰もいない海で泳ごうか。」
「ぴい!」
夕方、バイト(?)に来た美波にその話をすると、美波は目を輝かせた。
「あたしも明日夜明け前に来る!」
「そりゃ、まずくないか? 親御さんが心配するんじゃ‥‥」
「部活の朝練とか書き置きして出てくる! 実際、早く学校に行くし。日が登ったら引き上げないとまずいんでしょ?」
それはたしかにそうだな、と思う。
日が登っていつまでもいたら、誰かに見られるかもしれない。
「海までは体はバスタオルに包んで行こうよ。あたしが抱っこして行く! その方が不自然じゃないでしょ?」
美波が目を輝かせて俺を見る。
たぶん、抱っこしたい、というのが主な動機だろう。
俺は笑ってOKを出した。
翌朝、俺が亜麻を連れ出す準備をしていると、住宅の方のインターホンが鳴った。
ボタンを押して画像を見ると、美波がニカっと笑って親指を立てている。
「今行くよ。」
俺は胸から下をバスタオルで包んだ亜麻を抱いて、住宅の玄関(裏口)へと向かう。
亜麻はわくわくで目を輝かせている。
美波はものすごく嬉しそうに亜麻を受け取ると、大事そうに胸に抱っこした。
「亜麻。行こう!」
俺はビーチサンダルの踵をしっかり留めて、美波の後に続いた。
亜麻を遊ばせる場所は砂浜ではなく、岩のある磯の方にした。
水深もすぐにそこそこの深さになるし、何より岩の陰で道路側から見えにくい。
美波は制服にスニーカーで来ているので、水には入れない。
「しまったなぁ。ビーチサンダル持ってくればよかった。」
俺は亜麻を受け取って、そっと小さな湾の中に下ろしてやる。
最初、亜麻は恐る恐るという感じで岩につかまって周りを見回していた。
それから、ぱっと目を輝かせると、ぱしゃん! と水中に潜り、ものすごい速さで泳ぎ回り始めた。
なんという速さ!
これが。
人魚の本来の能力なのか。
生まれてまだ1ヶ月も経たないのに、この運動能力は!
亜麻は水中で手を伸ばしたりしながら、スイッ、スイッ、と向きを変えて泳いでいる。
どうやら小魚を捕まえようとしているらしい。
が、いくら人魚の子でも、手で捕まえられるほど野生の魚は鈍くはない。
亜麻は水面に顔を出し、むう! という顔で逃げていった魚の方を眺めた。
それから、諦めたような顔になって岸に寄ってくると、その辺に漂っている海藻を摘んで口に入れ、にこっと笑って俺を見た。
暗かった空がほんのりと明るさを取り戻し始め、小さな星から少しずつ消えてゆく。
やがて高い位置にある雲が、白く光り始めた。水平線の向こうに太陽がいるのだ。
そろそろ引き上げ時だな——。
そう思っていると、東の島影のあたりの水平線の上に、チカっと光る線が見え、それは次第に丸みを帯びて太く大きくなってきた。
日の出だ。
「ぴい。まぶしい!」
亜麻がこれ以上ないような笑顔で目を細めた。
「きれい。」
と、美波が亜麻と同じような笑顔を見せる。
「朝早いって、いいね。」
俺は亜麻に向かって手を伸ばした。
「帰ろうか、亜麻。誰かに見つかる前に。」




