10 なあに
正直、美波が来てくれるようになって本当に助かったと思う。
少しずつ季節も良くなってきているから、平日はともかく、土日はツーリングの客やサーファーたちで多少はこのカフェも売り上げが出てくる時期なのだ。
美波は亜麻の遊び相手だけでなく、店のガラス拭きとかもやってくれて、何だか店も少し雰囲気が明るくなったような気もする。
シーズンでもないしマトモな開店日は土日だけなのに、去年のオフシーズンに比べて売り上げが上がっているのはそのせいかもしれなかった。
土日でお客さんが重なった時なんかは、美波も店に出てきて手伝ってくれる。
「亜麻は大丈夫なんか?」
「うん。お店手伝ってくるから待っててね、って言えばちゃんとアニメとか観て待っててくれるよ。あれから1週間なのに、ずいぶん話せるようになったよね。」
俺はアニメなんかが観られるように、美波にパソコンを使わせている。
コンテンツは美波が小さい子向けのものをチョイスしているようだ。ラインナップには、日本昔話やディズニーやジブリなんかも入っていた。
亜麻はそれらからも言葉を覚えるようだった。
亜麻の身長(体長?)は頭から尻尾の先までで80センチくらいにまでなっていた。
髪も肩近くまで伸びてきている。
タライでは狭くて泳ぐこともできないので、浴槽に海水を入れてそちらに亜麻を移した。
深くなった分、潜ったりできるので亜麻は喜んでバシャンバシャンと遊んでいるが、前みたいにくるくる泳ぎ回るには狭い。
「プールが要るな‥‥。」
俺は思わずつぶやいてしまう。プール付きの家なんて、夢のまた夢だ。
「プールってなあに?」
「う〜ん。浴槽の大っきいやつ。お金持ちしか持ってないよ。」
「おかねってなあに?」
亜麻との会話は最近こんな調子だ。何でも「なあに?」「どうして?」である。
「そうか。亜麻には見せたことがなかったな。」
亜麻を買い物に連れて行くわけにはいかない。だから、「お金」とは何かも、亜麻にはわからない。
とりあえず、コインをいくつか見せてみる。
「わあ! これ、きれい。」
亜麻は1円玉が気に入ったらしかった。
「飲み込んじゃダメだよ。」
「うん!」
亜麻は1円玉を水面に置こうとした。
それは、するん、と水面をすり抜けてひらひらと浴槽の底に沈んでいった。
亜麻は、あれ? という顔をする。
どうやら、軽いから浮くと思ったらしい。
亜麻は、ぷくん、と潜って1円玉を拾ってまた水面から顔を出した。
そしてそれを俺に見せる。
俺は最近、面白いことに気がついた。
亜麻には瞼が2つある。
1つは人間と同じように、上から降りてくるしっかりした皮膚。
そしてもう1つは、下から上がってくる薄くて透明な膜のような瞼だ。水に潜る前に、下からつるっと上がってくるのだ。
くるりとした大きな目を見開いたまま水に潜っているように見えたが、実はこの瞼で目を保護しているらしい。
「浮かない。」
と亜麻が1円玉を見せながら言う。
「金属だからね。」
「きんぞく?」
「スプーンなんかと同じものだよ。」
「スプーンより軽いよ?」
最近、亜麻は知恵がついた。
「でも水よりは重いんだ。」
「ふーん。」
亜麻は水面のところで1円玉を放し、浴槽の底に落ちて行くのを眺めている。
ひらひらと落ちていくのが面白いらしい。
そのうち、亜麻は傍らに浮いているビニールのボールを見てちょっと首を傾げた。
「ねえ、アヤト。」
「なに?」
「ボールの方が重いのに、どうしてボールは浮くの?」
亜麻はボールと1円玉をそれぞれ片手で持って俺に見せる。
「ボールは中に空気が入っているからだよ。亜麻が水の中で出した泡と同じ。泡がボールという薄い皮で包まれているようなものなんだ。」
亜麻はボールと1円玉をじっと見つめていたが、やがて白い歯を見せてにこっと笑った。
「そっか! ぴるる。」
亜麻なりに理解したようだった。




