「聖女召喚」の生贄のほうです
「メル、ちょっといいかしら」
私を呼ぶ義母の声はいつもより上ずっていた。たった今水汲みから帰ってきたと思ったらこれだ。「はーい」と返事をし、水桶を置いて居間に向かう。
「義母様、どうしたのですか?」
「えーと、メルにとって全然悪い話ではないのよ。むしろ貴女には勿体ないくらいの名誉、立派な仕事よ」
「……話が見えないのですが」
義母は小さく咳払いをし、一枚の公文書を見せた。紙の右下にはギュルフィエール侯爵の印が押してある。侯爵様から私にどんな話だろうか。
「侯爵様が近々『聖女召喚』をするそうで、メルに生贄になってもらいたい、そう書いてあるわ」
わざわざ説明して頂かなくても、密かに勉強したので読めますよ、という口答えはそっとしまっておく。義母は口答えを嫌うのだ。義母は得意顔で続けた。
「期日は一ヶ月後。身体を清めるためにギュルフィエール侯爵様の屋敷に出向かなければならないそうよ」
「……そのお話、私個人宛に来たのですか?」
「いいえ? 私がメルのために売り込んできたのよ。侯爵様が生贄を募集するって仰るから」
義母は悪びれもせず飄々と言った。どうせ本音は義娘を厄介払いしたい、ついでにお金も貰えてラッキー、そんなところだろう。それを止めない父も父である。
お母様が生きていれば娘を生贄になんて出すことはなかったと思うが、もう彼女を思い出させるものは金のイヤリング一対しか残されていない。
ちなみに、義母に売りに出されないよう肌見放さず着けている。油断も隙もない人だもの。
「じゃ、そういうことだから。勿論受け入れるわよね?」
疑問形だが、有無を言わさぬ口調――義母の得意技だ。抵抗したってなんにもならないし。
「……受け入れます。では、荷物をまとめにいってきます」
自室に戻ると義妹のファイナがベッドに寝そべっていた。両手には人形を持って遊んでいるようだ。
「……おねえちゃん!」
ファイナはこちらに気づくと人形をその場に置き、柔らかい金髪を揺らして駆け寄ってきた。
「ね、今日のお仕事は終わったの? 一緒に遊ぼうよ!」
「……ごめんね。これからおねえちゃんはお城に行かなくてはいけないの。……多分、帰るのは遅くなるわ」
「えー、遊びたいー!」
ファイナはまだ遊びたい盛りで、口を尖らせている。髪の色や顔のパーツこそ黒髪で地味な私と似てはいないが、唯一この家で心を許せる相手だ。ファイナに会えなくなることが、生贄になる唯一の心残りだった。
手早く荷物をまとめて部屋を出る。行き先はギュルフィエール侯爵の居城だ。最後になるかと思うと名残惜しくて、ファイナを力いっぱい抱きしめた。
「……じゃあ、元気でね」
何かを察したのか不安そうな顔をしているファイナに、そう告げるのが精一杯だった。
◇◇◇
ギュルフィエール侯爵の城は想像を絶する豪勢さだった。驚きのあまり玄関で立ち止まっていると、紫のケープを羽織った身なりと顔のいい男がお供の者を連れて出てきた。
「やあ、君がメルだね。貴女が生贄を受け入れる賢い平民でよかった。いやあ、この話をすると逃げる馬鹿が多くてね。我が侯爵家に伝わる伝統儀式の名誉職だというのに、何故そんなことを……君、何故だと思う?」
のっけからマシンガントーク全開のこの男、察するにギュルフィエール侯爵だ。見るからに自信過剰、お坊ちゃま。とまあ最悪の第一印象を挙げまくってもしょうがないのでこの辺に。適当に、従順に応じるとしよう。
「いえ……私はこの名誉な役目を与えられて光栄ですので、逃げるような方々のことはわかりません」
「うむ、君はなかなか見どころがあるな。しかも庶民にしては見目も麗しい……どうだい、私の妾にでも……」
「侯爵様、この女はただの生贄。どうか誤解のなきよう」
傍らの臣下が制止する。
「む、そうであったな。では部屋をあてがうからそこで身を清めるように」
ギュルフィエール侯爵はそう言って、興味をなくしたかのように手で振り払う仕草をした。その言葉に呼応したように、屈強な衛兵が二人両脇にピッタリついて、私を部屋に連れていった。
◇◇◇
連行された部屋は暗いジメジメとした地下の一室だった。ドアの外には二人の衛兵が立っており、私が脱走しないか見張っている。ジタバタしてもしょうがないので一眠りするか、とベッドに寝転がると、衛兵達の噂話が聞こえてきた。
「なあ、聞いたか? 生贄のこと」
「この部屋に閉じ込められてる奴のことか? 確か親に売られたんだったか。最近儀式が無いと思っていたら、一人仕入れてくるとはな」
「ふふふ、ところがどうも生贄は一人ではないらしいんだ。近々、侯爵様は『生贄狩り』を催すらしいぞ」
「生贄を集めるのか? 何のために?」
「どうやら侯爵様は戦争を考えているらしくてな。軍備増強のために『聖女召喚』を乱発するんだと。しかも痛ましい話で、より生贄に適齢の若い女子を狩るんだとさ」
「……胸糞の悪い話だな。俺はご勘弁願いたいね」
吐き捨てるように片方が言ったところで、衛兵達はお喋りをやめた。
しかし、彼らの話は本当だろうか。もしそうなら、ファイナの命が危ない。私が生贄として死ぬだけなら良いが、ファイナの命は別だ。
何とかして、ギュルフィエール侯爵の計画を挫かなければなるまい。ふと、地方視察でギュルフィエール家を訪れたときにお見かけしたアルマ・メリーランド陛下のことが頭に浮かんだ。
確か、敬礼の姿勢を崩してしまって転んだ時に、抱きとめてくれたっけ。その時の優しそうな顔を覚えている。彼なら、話を聞いてくれるかもしれない。ついでに、一言褒めてもらえたらいいななんて下心も少々。
何気なく母のイヤリングに手をやると、一つの案が浮かび上がってきた。……やってみるか。
「すみません、衛兵のお二人? 少し貴方達の世間話が聞こえたのですが……」
小さく扉越しに言うと、二人は血相を変えて部屋に飛び込んできた。そんなに大事な話ならもっと小声で話せよ、とは思う。
「ど、どこまで聞いた!」
「『生贄狩り』の話も聞いたのか?」
「馬鹿、何故それを言うっ」
漫才に付き合っている暇はない。
「単刀直入に言わせてもらいましょうか。……メリーランド陛下に、『聖女召喚』という非合法の風習について訴えてほしいのです。礼はこれでどうですか。母から譲り受けたものですが、かなりの値打ちがあると思います」
先程まで耳に着けていたイヤリングを見せる。純金製で凝った細工。お母さん、ごめんなさい。ファイナのためだから。
「しかし――」
「まあ待て。俺達はここに職があって、何不自由してない。なんだってそんなのに加担しなきゃならないんだ?」
「まあ、乗ってくれないなら今の話を侯爵様に告げ口いたしましょうか。機密をべらべら喋る衛兵を雇い続ける優しいお方かは知りませんが」
「なな、なんだって!?」
「いや、侯爵様が信用するわけない」
「ちょっと待てあの侯爵様だぞ」
「それもそうだな」
「決まりか?」
「そうだな……お嬢さん、俺達がこの贅沢なイヤリングを持ち逃げすることは考えないのかい。侯爵様が生贄の戯言を聞き入れない可能性もある。これは取引になるのか?」
なかなか鋭いところを突く。が、それに対する対策もある。
「勿論です。イヤリングは二つで一対。もし貴方達二人のどちらかが契約を破り、片方しか陛下にお会いしなかったとしたら。お会いしたほうの方はこう伝えるのです――『もう片方の使者は、責務を放棄して逃げました』、と。」
筋が上手く通せているかは微妙だが、このおっちょこちょいな二人なら騙せるかもしれない。
「――なるほど、イヤリングは物証となるため契約の不履行にはリスクが伴う、というわけか。上手いな」
冷静な方の衛兵は顎をかいた。この計略は二人で契約違反をすれば成立しない。しかし、相手を信じて斬首のリスクをとれるか――少なくとも勝ち目のある賭けに持ち込めたはずだ。
「さあ、どうしますか?」
先ほど質問してきた衛兵は答えた。
「私は提案を受け入れる」
「あ、お前ずるいぞ! 俺もだ! 俺も乗ったぞ、その話!」
最初に噂話を始めたほうも続いた。思わず零れそうな笑みを隠して、イヤリングを一つずつ渡す。後は儀式の日までに上手くメリーランド王に彼らが訴え出てくれれば、ギュルフィエール侯爵の横暴を止めることができる。
「よろしく頼みますよ、衛兵のお二人さん」
◇◇◇(アルマ・メリーランド視点)◇◇◇
早馬に乗って到着した二人の衛兵は、同じことを訴えた。曰く、ギュルフィエール侯爵が「聖女召喚」なる違法な儀式を行い、戦争の兵力を増強することを企てている、と。
……許された話ではない。直ちに兵を起こして討伐すべきだが――気になるのはこの話を告げた勇気ある通報者のことだ。
伝言人の二人の衛兵は、口々に言った。通報者は、庶民にしてはやたら頭の回る女性であったと。
どのような方であろうか。周囲の女性はお世辞にも頭がいいとは言えない、自らを着飾ることに執心する令嬢ばかりだ。庶民の出自であっても、すぐにあの計画を思いつく機転――無性に、通報者の女性に、興味が湧いてきてしまった。
「ルーイ。ルーイはいるか」
「はい、ここに」
近衛騎士団長のルーイが階下に進み出た。鍛え上げられた肉体は武人の証だ。
「――兵を起こせ。ギュルフィエール侯爵を異端儀式遂行の咎で討つ」
「仰せのままに」
「それからもう一つ――通報を行った生贄の女性を丁重に本陣へお連れしろ」
◇◇◇(メル視点)◇◇◇
遂に、儀式の日になった。
今のところメリーランド王はまだ見えない。使者が着いていないのか――。
まあ、くよくよ悩んだって仕方ない。「生贄狩り」が始まるまでに王がギュルフィエール侯爵を攻撃すればいいのだ。例え、その時私が既にこの世にいなくとも。
そんな私の思索は、大臣の声で遮られた。
「さあ庶民の女よ、生贄台に進め。司祭の召喚呪文の後、生贄の処刑が行われる」
「ち、惜しいな。庶民ぽくない綺麗な顔立ちなのに」
「侯爵様」
「わかってるよ。さあ、始めろ」
生贄台に進み、体を横たえる。なにやら難しい顔をして白い服に身を包んだ司祭が呪文を唱え始め、魔法陣の光が段々強くなる。
風がどこからともなく吹き出し、丘の芝生が揺れる。
司祭の呪文が止んだ。魔法陣の光は最高潮に達し、嵐のように風が吹いている。執行人は斧を高く構えた。
「やれっ!」
ギュルフィエール侯爵の声が甲高く響いた。せめて恐怖から逃れようと、目を瞑る。
――いつまで経っても、首に斧が振り下ろされることはなかった。
「んん……」
身を起こして辺りを見回すと、全てが終わったあとだった。
ギュルフィエール侯爵勢は、皆現れた騎士たちに制圧されていた。彼らが掲げているのは、王家の紋章。メリーランド王国軍だ。
「よかった、間に合ったんだ――」
これからどうしようかと途方に暮れていると、一際屈強な騎士がやってきて、片膝をついた。男はよく響く低い声で言った。
「儀式のことを通報した方でしょうか」
「え、ええ……そうですが」
「近衛騎士団長のルーイと申します。我が君が貴女との謁見を望んでおられます。ご同行お願いします」
王様が直々に、なんの用だろうか。断ったら恐らく斬首確定なのでついていく。本陣はそれほど遠くないところにあった。
白い天幕の中にいた男は、目の覚めるような美男だった。黒い髪は艷やかで、やや色素の薄い目は吸い込まれそうな魅力がある。一目でわかった。これが王の気品である、と。
両ひざをつき、最敬礼の姿勢をとる。
「二人にしてくれ、ルーイ」
王は深い張りのある声で言った。ルーイは一礼すると退室した。
「……貴女が、この儀式の通報者で間違いないか」
「……は、はい」
緊張で声が上手く出ない。
「姿勢を崩してくれ」
言われるままに、最敬礼の姿勢を解く。他に人がいない状況で王がそう言ったからには、そうするのが最善だろう。
「私は第十八代メリーランド王国国王、アルマ・メリーランドだ。……貴女とは一度会ったことがあるな」
視察の時の一件だろうか。よく庶民の女のことまで覚えているものだ。きっと頭脳明晰なお方なのだろう。
「一度、助けていただきました」
「やはり、あの時の美しい……単刀直入に言って、私は貴女に興味がある」
「私に、ですか……?」
どうしてだろう。アルマ様は続けた。
「貴女のギュルフィエール侯爵を訴える策――二人の使者の策に感激した。貴女のような知恵者は私の周りの御婦人方にはいないのでな」
「それは……どうもありがとうございます。では、よろしければ私はこれで」
息が詰まる空間をいち早く脱しようとするとアルマ様はそれを制した。
「まあ待ってくれ。少し、貴女のことを調べさせてもらった。生贄を一度は受け入れたが、『生贄狩り』の話を聞いて一計を案じたとか。それから、貴女に義妹がいることも。――義妹のために、使者を出す賭けをしたのだろう?」
どうやら、何もかもお見通しらしい。敢えて隠す意味もないので、首肯する。アルマ様は我が意を得たり、と微笑んだ。顔面の破壊力が高い。
「優しく、美しく、賢い女性……俄然、貴女が欲しくなった」
…………え? 何かボソッと不穏なことが聞こえた気がする。美しい笑みも意味ありげだ。
「今、なんと仰いましたか……?」
「名は、メルと言うそうだな。メルと呼んでいいか」
天幕が風を受けてひらひらと舞う。まずい、アルマ様のペースで話が進んでいる。
「え、ええ……問題ないですが……」
「ではメル」
アルマ様はコホンと咳払いをした。そして、私の手を優しく握った。心臓の音がバクバク鳴る。
「……メル、私は貴女が好きだ。私の妻に、なってくれるか」
「……え、……えっと」
まずい、思考がまとまらない。確かにアルマ様は美しいし男らしく、素敵な男性だと思う。が、そんな急に言われてもどうすればいいか……。
考えた末に出たのは、当たり障りのない回答だった。
「……身分が。身分が釣り合わないのでは? 確か王妃には高位の貴族しかなれない決まりが」
「ああ、それか。案ずるな。メルが使者に代金として払ったイヤリング、あれを買い戻して鑑定させた。珍しい細工だったものでな。すると――メルが、さる公爵家に連なる血筋だと判明した」
恐らくあの二人の衛兵は渋ったはずだ。それを、私のために取り戻し、わざわざ鑑定してくれるとは。アルマ様が本気だということが、ひしひしと伝わってきた。
――私も、彼の気持ちに応えたい。
「……陛下」
「アルマでいい」
「……アルマ様。婚姻のお話、謹んでお受け致します」
「ありがとう、メル」
アルマ様は爽やかに微笑み、母のイヤリングを取り出すと私の耳に着けた。
「まだあるのだ」
そう言って彼は上品なキキョウの細工の指輪を私の指に嵌めた。
「イヤリングはメルのもの。そしてこの指輪は私達二人のものだ」
「……ありがとう、ございます」
ようやく絞り出せたのは、その一言だった。
そよ風が、優しく吹いていた。
◇◇◇
それからの日々は目の回るような忙しさだった。
貴族教育に引っ越し、結婚式の準備。やることが次から次へとやってきた。
両親は牢につながれたそうだ。まあ、聖女召喚の儀式に加担したから自業自得である。
ファイナは屋敷に一緒に住まわせた。最初は両親がいないことに動揺したが、優しい使用人達に囲まれて今は落ち着いている。あとで知ったことだが、両親はファイナを豪商に売ろうと企てていたらしい。勉強を習わせたのもそのためと考えると、今の生活の方が幸せそうだ。
扉をノックする音がして、返事をするとアルマ様が入ってきた。今日もアルマ様はお美しいが、難しい顔をして羊皮紙を携えている。彼は横に腰を下ろすと、口を開いた。
「――メル?」
「はい。どうしましたか?」
「つい先刻職人からウェディングドレスの絵見本が届いたから、メルに相談したいと思ってな。今、いいか」
「もちろん、大丈夫ですよ。どういうのがいいですかね……あ、これとか素敵です!」
落ち着いた色調に、ゆったりとしたボディラインで歩きやすそうだ。
「……そうか。実は私もメルにはそれが一番似合うと思っていた」
「本当ですか?」
ちょっと茶化すように言うと、アルマ様は整った顔を赤くしながら応えた。
「……本当は、どんなドレスでもメルに似合うと思う。この気持ちは、初めて会ったときからだ。心から誓って本当だ」
今度は、私が赤面する番だった。
「…………ずるいです」
「恥じらっているメルも素敵だ」
その言葉、そっくりそのまま返しますよ。
一呼吸おくと、アルマ様はコホンと小さく咳払いをした。少し躊躇っているようにも見える。目でどうぞ、と促すと彼は口を開いた。
「…………キス、してもいいか。メルが越してきてから一ヶ月……もう、我慢出来そうもないのだ」
そんな、急にぐいぐい来るなんて。いやむしろ全然、大歓迎ですけど。
「……アルマ様、私達は貴族ですよ? 初めてのキスは結婚初夜にとっておくものです――が」
アルマ様は不思議そうな顔をした。
「私は田舎育ちの庶民貴族ですから」
だって、貴方は私の大好きなお方だから。
「いつでも、キスしていいんですよ」
アルマ様は一層顔を赤くした。
「…………失礼」
唇と唇とが触れ合い、甘い喜びが脳を巡った。優しく、彼の体温が伝わる。
いつまでも、そうしていたいように思えた。
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