08.魔物の襲撃
こうして、シルヴィアはマテウスの婚約者として屋敷に滞在することとなった。
マテウスは頭を抱えていたが、国王の署名入りの婚約証がある以上、シルヴィアは正式な婚約者だ。
彼は、どうにかシルヴィアから出ていくように仕向けていたが、全て空振りに終わっている。
今のシルヴィアは、マテウスと庭を散歩しているところだった。
なんだかんだ言ったところで、マテウスはシルヴィアのために時間を割いてくれているのだ。
「おい、あんたはいつ帰るんだ?」
マテウスは不機嫌そうに尋ねる。
「まあ、わたくしはずっとこちらで暮らすつもりですのに」
シルヴィアは困ったように眉を下げた。
「ずっとって……本気で言ってるのかよ?」
マテウスは呆れたように言う。
「わたくしはマテウスさまの妻となるのですから、当然ですわ」
「……俺のどこがそんなにいいんだよ」
迷いのないシルヴィアに、マテウスはげんなりしたように尋ねた。
すると、シルヴィアはにっこりと微笑む。
「全部ですわ」
「だから、それが意味わかんねえんだって……」
マテウスはため息交じりに言う。
シルヴィアはそんなマテウスをまっすぐに見つめたまま続けた。
「わたくしはマテウスさまに救われたのです。ですから、マテウスさまを幸せにするために全力を尽くす所存ですわ」
「だから、それはあんたの夢の話だろ……。現実に起こったことじゃないっての。そんなことで、よく俺と結婚しようだなんて思えるな」
「そんなことではありません。わたくしにとっては大事なことですわ」
シルヴィアはきっぱり言い切る。
五年前にマテウスを見た日から、自分は彼を幸せにするために生まれてきたのだと、シルヴィアは信じて疑わない。
これがきっと恋なのであり、愛なのだと、シルヴィアは思っている。
「でも、現実を見てみろよ。この地に住んでいる連中なんて、荒くれ者ばかりだぞ。俺だってそうだ。あんたみたいな世間知らずが、長居できる場所じゃねえ。傷付く前に帰れ」
「まあ、そうなのですか? でも、皆さんとても親切にしてくださっていますわ。それに、マテウスさまもお優しいですし……」
シルヴィアはにこにこしながら言う。
「俺は優しくなんかねえよ」
マテウスはシルヴィアのほうを振り返らずに言う。
そんなマテウスを見つめて、シルヴィアは微笑む。
「いいえ、お優しいですわ。だって、わたくしのことを気遣って、遠ざけようとしているのですわよね。マテウスさまが本当におっしゃるようなならず者でしたら、わたくしのことなどとっくに手篭めにしていますもの」
「おい、手篭めとか言うな」
マテウスは顔をしかめる。
シルヴィアは小首を傾げた。
「あら、わたくしは手篭めにされたって構いませんわ」
「……あんたな……そんな簡単に言うなよ。世の中、あんたの知らないことばっかだぞ?」
「まあ! ではマテウスさまが教えてくださるのですか? それは楽しみですわ」
シルヴィアは無邪気に笑う。
そんなシルヴィアを、マテウスは呆れたように見つめた。
「だから、そういうことじゃねえよ」
マテウスはため息をつく。
少しシルヴィアの反応に慣れてきたのか、どこか諦めが漂っている。
「……わかった。じゃあ、あんたのことを心配して言ってやる。ここでは魔物の肉が貴重な食料だが、つまりそれは魔物どもがわんさかいるってことだ。危険だから、さっさと帰れ」
「まあ、そうなのですか。マテウスさまは魔物と戦われるのですよね? とてもお強いのでしょう?」
王都で聞いた噂では、マテウスは先陣を切って魔物の群れに飛び込んでいく、血に飢えた獣のような存在だという。
蔑みを込めた噂だったが、彼の強さの証でもある。
「そりゃあな。俺がこんなクソみたいな地で大公さまやってられるのも、この力のおかげだ。でも、魔物は強い。俺一人じゃ手に負えないこともある」
マテウスは淡々と語る。
その口調には、自分の力に対する自信と、魔物への畏怖が感じられた。
「まあ、そうなのですか?」
「ああ。だから、さっさと帰れ。魔物だけじゃなく、俺の魔力だって……」
マテウスがそう言いかけたところで、屋敷が騒がしくなる。
彼が口をつぐむと、焦ったような足音が近づいてきた。
「マテウスさま! 北の砦が魔物の襲撃を受けていると、早馬が!」
屋敷の使用人が、息を切らせて報告してきた。
マテウスは顔をしかめる。
「……ちっ。こんなタイミングでかよ。まあ、いい。蹴散らしてくる」
そう言って、マテウスはシルヴィアを振り返る。
「というわけだ。俺は魔物退治に行ってくるから、あんたもさっさと帰れよ」
「まあ! ではわたくしも一緒に行きますわ」
「は? いや、だから危ないんだって」
マテウスは顔を歪める。
だが、シルヴィアは笑顔で首を横に振った。
「わたくしは聖女ですわ。傷ついた方たちを治療できます。わたくしがいれば、救える命が増えるはずですわ」
「いや……でもな……」
マテウスは困ったように頭を掻く。
そんなマテウスに、シルヴィアはなおも言い募った。
「わたくしも役に立ちますわ! だから連れていってくださいませ!」
「ああ、もう……わかった、わかったよ」
根負けした様子で、マテウスはシルヴィアの同行を了承する。
「ありがとうございます、マテウスさま!」
「ただ、俺は早く行ってやりたいから、あんたを気遣う余裕なんてない。あんたがついてこられなくても、置いていくからな」
「はい、大丈夫ですわ!」
シルヴィアはにっこりと笑う。
マテウスはもう何も言うまいとばかりに、ため息をついたのだった。