05.王女の企み
声のほうに目を向けると、侍女に付き添われた一人の少女が歩いてくる。
白金色の髪と青色の瞳を持つ、可憐な少女だ。
「ベアトリクス……」
ディルクとナイジェルが同時に呟く。そして、気まずそうにシルヴィアから手を離した。
ベアトリクスと呼ばれた少女は、シルヴィアの前に進み出て、優雅に礼をする。
「聖女さま、第一王女ベアトリクスでございますわ。どうぞお見知りおきを」
スカートの裾を軽く持ち上げて膝を曲げる礼をした少女に、シルヴィアも淑女の礼を取った。
彼女のことは聞いたことがある。正妃の唯一の子で、シルヴィアよりも一つ年下の十五歳だったはずだ。
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしは、シルヴィアと申します」
「ええ、存じておりますわ! お噂はかねがね……。私、聖女さまとお話したいと思っておりましたの! よろしければ、あちらでお茶でもいかがでしょうか?」
ベアトリクスはそう言ってにっこり笑った。
ナイジェルとディルクは何か言いたげにしていたが、ベアトリクスの前で口論をする気はないらしく口をつぐんだ。
どうやら彼女は、シルヴィアを助けてくれるらしい。
シルヴィアはにっこりと微笑む。
「ええ、ぜひご一緒させていただきますわ」
その笑顔に、ベアトリクスも嬉しそうに微笑んだ。
そしてベアトリクスに先導され、シルヴィアは王宮の中庭にやってきた。
大きな噴水を中心に、色とりどりの花々が咲き乱れる庭園だ。
ベアトリクスは侍女にお茶の準備をさせると、シルヴィアの向かいに座った。
「聖女さま、どうぞお召し上がりください」
ベアトリクスに促され、シルヴィアはお茶に口をつける。
神殿でもよく飲んだ、高原に咲く花を使ったお茶だ。
爽やかで清々しい香りが心地よい。王侯貴族や高位神官といった者たちにのみ許された、贅沢な飲み物である。
しかし、マテウスの屋敷で飲んだ土っぽい香りのお茶のほうが、美しく感じられてしまう。
「本日はお話しできて光栄ですわ。ずっと、聖女さまとお近づきになりたいと思っておりましたの」
ベアトリクスはにっこり笑ってシルヴィアを見つめる。
「まあ、ありがとうございます。わたくしも、王女殿下とお話しできてうれしいですわ」
シルヴィアがそう答えると、ベアトリクスは笑みを深めた。
「それで……聖女さまは兄たちのどちらかを選ばれるのですか?」
「え?」
その予想外の質問に、シルヴィアは首を傾げる。
そんなシルヴィアに構わず、ベアトリクスは続けた。
「二人はあなたに求婚したのでしょう? スカイラーの聖女を娶れば、次期国王は確実ですもの。でも、あなたはマテウス叔父さまに求婚して……聖女として王子たちの争いを諫めるためだと聞きましたけれど、それは本当ですか?」
ベアトリクスは、じっとシルヴィアを見つめる。
「いいえ、わたくしはマテウスさまをお慕いしているからこそ、求婚したのですわ」
シルヴィアはにっこり微笑んで答える。
その言葉に、ベアトリクスは探るような眼差しを向けてくる。しかし、ややあってから納得したように頷いた。
「そう……やはり本当に……。それでは、兄たちには興味関心などなく……ただ、マテウス叔父さまのお心を得るためだけに求婚したのですね」
「ええ、そのとおりですわ。わたくし、マテウスさまに恋をしていますもの」
シルヴィアは素直にそう答える。
「……マテウス叔父さまは、呪われ大公と呼ばれるほど忌み嫌われております。そんな叔父さまのどこに、心惹かれたのでしょう」
ベアトリクスの言葉に、シルヴィアは微笑んだまま答えた。
「マテウスさまはわたくしを救ってくださったのです。わたくしには、幼い頃から何度も繰り返し見ていた夢があります。苦しんでいるところを、黒髪の少年が助けてくださるのです。五年ほど前、神殿でお見掛けした際にそれがマテウスさまなのだと、わたくしは確信いたしましたの」
「夢……」
ベアトリクスは呟くと、しばし考え込む。それから、シルヴィアの顔を見つめた。
「……それで、あなたは本当にマテウス叔父さまに恋をしたのですか? ただ夢に見ただけの、会ったこともない人物に?」
「ええ」
迷いなく、シルヴィアは頷いた。
「その夢は、わたくしに安心と喜びをもたらしてくれました。それは確かなものですわ」
シルヴィアが微笑むと、ベアトリクスは何か言いたげに口を開きかけたが、すぐに口をつぐむ。
そして再び考え込んだ後、口を開いた。
「……正直なところ、私には理解が難しいですわ。でも、あなたが本当にマテウス叔父さまを慕っていることはわかりました」
ベアトリクスはまっすぐにシルヴィアを見つめる。
「それに……叔父さまが呪われていると言われるのは、膨大な魔力によるもの。数十年ぶりに現れた聖女であるあなたには、何か感じるものがあるのかもしれませんね」
ベアトリクスはそう言って、にっこり笑う。だが、すぐに彼女は表情を引き締めた。
「あと一つ……お伺いしたいことがあります。聖女さまは、マテウス叔父さまと結ばれたとすれば、辺境で暮らし続けるおつもりですか?」
真剣な眼差しで問うてくるベアトリクスに、シルヴィアは首を傾げる。
「ええ、もちろんですわ。わたくし、ずっとマテウスさまのそばにいたいですもの」
シルヴィアが頷くと、ベアトリクスは安心したように微笑んだ。そして、そっとシルヴィアの手を取る。
「それでしたら、私が協力しますわ」
「協力?」
シルヴィアは聞き返す。
ベアトリクスは微笑んだまま頷いた。
「ええ、このままでは聖女さまは、兄たちに求婚され続けることでしょう。聖女は王妃になるものと、この国の者はそう考えていますから。でも、私は兄たちがあなたの夫にふさわしいとは思えません」
ベアトリクスはシルヴィアの手をぎゅっと握り、微笑む。
「ですから、私が父に兄たちの所業を伝えて、彼らは現状に対する認識が甘いので、少し危機感を煽ったほうがよいと進言しますわ。そのためには、聖女さまをマテウス叔父さまの婚約者にしてしまいましょう、と」
婚約ならば後で解消できるので、一時的なものだとごまかすことができます、とベアトリクスは続けた。
「まあ、それは……」
シルヴィアは目を瞬く。
ベアトリクスの提案は、願ってもないものだ。
だが、彼女にとってどのような利点があるのだろうか。王族が何の理由もなく、このようなことを言ってくるとは思えない。
「わたくしにとっては嬉しいお言葉ですけれど……王女殿下はわたくしに協力して、何か得るものがおありなのでしょうか?」
シルヴィアが尋ねると、ベアトリクスはくすりと笑みをこぼす。
「私は聖女さまとお友達になりたいのですわ。互いに、困ったときには助け合えたら素敵ではありませんか? だから、今は私が助けたいのです」
そう言って、ベアトリクスはにっこり笑った。
そういうことかと、シルヴィアは納得する。
いざというときのための保険として、シルヴィアを確保しておきたいのだろう。
「わかりましたわ。そういうことでしたら、わたくしも王女殿下が困ったときには助けましょう」
シルヴィアは頷いて答えた。
「ありがとうございます。それでは、どうぞ私のことはベアトリクスとお呼びくださいませ」
「では、わたくしのこともシルヴィアとお呼びくださいな」
二人はそう言って微笑み合った。
そして、ベアトリクスは見事に父親を説き伏せて、シルヴィアをマテウスの婚約者とするよう約束を取り付けたのだった。





