20.この地のために
そこに足音が近づいてくる。
「マテウスさま、シルヴィアさま、お茶が入りましたよ」
執事ダンがやってきた。手にはお茶のポットとお菓子を載せたお盆を持っている。
「おう、ありがとう」
マテウスはティアのブラッシングを切り上げると、立ち上がる。
そして二人は庭の東屋へと向かった。その後ろを、ティアがトコトコとついてくる。
「ふふ……可愛いですわね」
「……しかしこいつもだいぶ大きくなったな。そろそろ馬小屋に移した方がいいんじゃねえか?」
「そうですわね……。でも、あと少しくらいは……」
シルヴィアが名残惜しそうに言うと、マテウスは苦笑した。
「まあ、もう少しくらいいいけどな。ただ、やたらと成長が早いような気が……」
そんな会話をしながら東屋に到着すると、既にお茶の準備ができていた。
マテウスは腰を下ろすと、カップを手に取ってお茶を一口飲む。
シルヴィアも席に座ってお茶を口に含むと、ほっと息を吐いた。
「お味はいかがでしょうか?」
ダンに尋ねられて、シルヴィアは微笑む。
「ええ、いつもと違いますのね。とても美味しいですわ」
シルヴィアがそう答えると、ダンは満足そうに頭を下げた。
「それは良かったです。他国から取り寄せたハーブを使っているんですよ」
「まあ、そうなのですね。確かに初めての香りですが、とても良い香りですわ」
シルヴィアはもう一度お茶を口に含む。爽やかな味わいが口の中に広がった。
「こいつは、前に種を取り寄せたやつか。この地でも育ったのか?」
マテウスが尋ねると、ダンは頷く。
「ええ、この屋敷の裏手で栽培しておりました。ただ、あまり量は採れませんが……」
「そうか……味は悪くねえけど、実用性には難ありだな」
「そうですね。ですが、試す価値はあるでしょう?」
ダンがそう言うと、マテウスは渋い顔をする。
「……まあな」
二人の会話を聞きながら、シルヴィアはこの辺境が枯れた地だということを思い出した。
そのために、マテウスが他国から取り寄せた種や苗を栽培していると言っていたはずだ。
このハーブの栽培も、その一つということだろうか。
「色々と試したいところではあるが、金がかかりすぎるな……」
マテウスはため息をつく。
その言葉を聞いて、シルヴィアははっとした。
「あの……財政に余裕がないのでしょうか? まあ……わたくし、何も知らずに……申し訳ありませんわ」
シルヴィアが謝ると、マテウスは慌てたように手を振った。
「いやいや、違うって! 金はあるにはあるが……他国から種やら苗やら取り寄せると、どうしても高くついちまうからよ」
マテウスの説明に、シルヴィアは首を傾げる。
確かに、他国から仕入れると輸送費などが高くつくだろう。
それならば、近くの領地はどうなのだろうか。種や苗ではなく、食料を直接買えばよいのではないだろうか。
「あの……他の領地から食料を仕入れることはできないのでしょうか?」
「ああ、今だけならそれでいいんだけどな。でも、将来的なことを考えると、この地で育つ作物を定着させる必要があるんだ」
マテウスがそう言うと、ダンも同意するように頷いた。
「現在の財政はそれなりに潤っておりますが、それはマテウスさま個人に大きく依存しているのです。魔物を狩って得た素材を売却していまして、貴重な素材を持つ強い魔物はマテウスさまにしか狩れません。ですので、どうしてもマテウスさまのお力が不可欠となりまして……」
ダンの言葉に、シルヴィアは納得したように頷く。
「そうですわね……マテウスさまは、とてもお強いですから」
砦が魔物の襲撃を受け、マテウスがそれを撃退したことはシルヴィアの記憶にも新しい。
マテウスがいなければ、砦は陥落していただろう。
「まあ、俺が強いのは否定しねえけどよ……」
マテウスは頭を搔いた。そして少し考えてから口を開く。
「でもな……俺一人だけじゃ、いつか限界が来るんだ。その時に困るんだよ」
「そうですわね……」
シルヴィアも同意するように頷く。
「だから、今のうちに食料を安定させたいんだ。まあ、ある程度の結果は出ているから、このまま続けていけばいいんだが……問題はスカイラー教の奴らだ」
マテウスは忌々しげに呟いた。
「あいつら、せっかくこの地で育つ作物が実っても、聖典に記されていないからって、背徳行為だのなんだのといちゃもんつけてきやがる。まったく、ふざけてるぜ」
「そうでしたわね……マテウスさまとデートしたときも、神官が騒いでいましたものね」
シルヴィアは、以前マテウスと街へ出たときのことを思い返す。
店に並ぶ野菜に文句をつけ、マテウスに喧嘩を売ってきた神官の姿が脳裏に浮かんだ。
「ああ、あいつは特にやべえ奴だったけど、他の神官も大概だ。異端審問にかけてやるって脅してくる奴もいるしな。俺が呪われ大公なんて呼ばれているのは、そういう理由もあるんだぜ」
うんざりしたように、マテウスはため息をつく。
「まあ、俺は何と呼ばれようと別に構わねえが……あの神官連中は頭が固すぎる。聖典が絶対で、現実を生きる人間なんて見えちゃいねえ。目こぼししてやるから袖の下を寄こせって言ってくる奴のほうがまだマシだ」
マテウスは吐き捨てるように言った。
シルヴィアは首を傾げる。
「前にも思ったのですけれど、聖典に記されていないというのなら、追記すればよろしいのに」
シルヴィアが疑問を口にすると、マテウスは眉根を寄せる。
「それ、すっげえ背徳の行いだからな。聖典は神から与えられたもので、それを人間が勝手に書き換えたり追記することは、神への冒涜になるんだとさ」
マテウスは肩をすくめる。
「まあ、聖女であるあんたがそう言ってしまえることが、そもそもおかしいんだけどな。本当にスカイラー教が根底から覆るぞ」
「そうなのですか?」
シルヴィアが首を傾げると、マテウスは苦笑した。
「あんたはそういうところがあるよな……」
そう言ってから、彼は真剣な表情を浮かべる。
「まあ、実際に国を動かしていくのに、聖典の文言を絶対に守っていたら支障が出ることだってある。だから、過去の記載が都合よく発見されるものなんだが……今は保守派の力が強いらしくて、なかなかな」
マテウスはやれやれといった風に首を振った。
今の話を聞いて、シルヴィアは考え込む。
「……聖典に記されていない食物は、神から与えられたものではないから食べてはならない。でしたら、神から与えられたものにしてしまえばよいのですわ」
シルヴィアがそう言うと、マテウスは目を丸くする。
「おい、それってどういう意味だ?」
「わたくしが神託を受けて、この地で育つ作物の種や苗を祝福しましょう。そうすれば、聖典に記されていないものも神の祝福を受けたことになりませんか?」
シルヴィアは笑顔で言った。
マテウスとダンは顔を見合わせる。
「おいおい……本気か? そんなことができるのか?」
「ええ、できますわ! だって、わたくしは聖女ですもの!」
シルヴィアが胸を張って答えると、マテウスはぽかんとしていたが、ややあってゆっくりと息を吐き出した。
「まあ……あんたが言うなら、本当にできちまうんだろうなぁ」
「ええ、お任せください! 早速、神託を受けてみますわ!」
シルヴィアは目を閉じ、両手を組み合わせると、神に祈りを捧げる。
(この地で育つ作物に、どうか祝福をお与えください……)
そう心の中で願うと、シルヴィアの脳裏に神の声が聞こえた。
『汝の為したいように為すがよい』
「ありがとうございます、神よ」
シルヴィアは目を開けて微笑むと、マテウスに向き直った。
「マテウスさま、わたくしにお任せくださいな!」
シルヴィアが胸を張ると、マテウスは苦笑する。
「わかったよ……あんたの好きにしてくれ」
「ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべるシルヴィアに、ティアが擦り寄ってくる。
「あなたもわたくしを応援してくれるのね」
シルヴィアはティアの頭を撫でながら、これからやるべきことを考え始めた。





