02.汝の為したいように為すがよい
シルヴィアがマテウスに求婚したという話は、あっという間に社交界に広がった。
それは当然、シルヴィアの両親である伯爵夫妻の耳にも入る。
「シルヴィア! お前は一体、何を考えているんだ!? せっかく、王子殿下たちから望まれているというのに……!」
伯爵は顔を真っ赤にして叫んだ。
「よりにもよって、あの呪われ大公を選ぶなんて……!」
夫人は顔を青ざめさせ、頭を抱えている。
しかし、シルヴィアはそんな両親の態度にもまったく動じず、にっこりと微笑みかけた。
「わたくしの運命の相手は、マテウスさまですわ。お父様とお母様も、どうか祝福してくださいませ」
「ふざけるな! あんな呪われた男との結婚など、認めるわけがないだろう! 先代の陛下から王都を追放され、辺境の地に封じられた不吉な存在だぞ!?」
「そうよ! 辺境は正当な食物など実らず、地に堕ちたものすら呪われているとか……そのような地に嫁いでは、あなたが不幸になってしまうだけよ!」
両親は口々にそう言ってシルヴィアを引き留めようとする。
だが、シルヴィアはそんな両親の剣幕にもまったく動じない。
「お父様もお母様も、マテウスさまのお人柄について何もご存じないのに、そのような言い方は失礼ですわ」
「な……っ!?」
「それに、わたくしとマテウスさまは運命の赤い糸で結ばれておりますのよ? ですから、お父様やお母様が反対なさったところで、わたくしたちの仲を引き裂くことなどできませんわ」
シルヴィアはそう言って、自信たっぷりに胸を張った。
両親は呆然とシルヴィアを見つめる。そして、伯爵はわなわなと震え始めた。
「……この……バカ娘がっ!」
そう叫ぶなり、伯爵はシルヴィアに向かって手を振り上げようとする。
だがその瞬間、シルヴィアは目にも留まらぬ速さで、伯爵の腕を掴んでひねり上げた。
「ぐあっ!?」
伯爵が悲鳴を上げて倒れる。
シルヴィアはその腕を掴んだまま、冷徹な表情で父親を見下ろした。
「わたくしに暴力を振るうことは許しませんわ」
「お、お前……いつの間にこんな力を……」
伯爵は痛みに顔をしかめながら呻く。
しかし、そんな伯爵を気にすることもなく、シルヴィアは淡々と言った。
「お父様もお母様も、どうかご安心くださいませ。わたくしは幸せになりますわ。そして、マテウスさまも幸せにしてみせます。ですからどうか、わたくしたちの結婚を祝福してくださいませ」
シルヴィアはそう言って微笑む。
両親は呆然とシルヴィアを見つめることしかできない。
「それに、わたくしはスカイラーの聖女。当主に従わなくてはならない令嬢ではありません。お父様やお母様にも、わたくしの邪魔をすることは許されませんわ」
シルヴィアはそう言うと、父親の腕を放した。
伯爵は解放された腕をさすりながら、ゆっくりと起き上がる。そして、恨みがましい目でシルヴィアを見た。
「……せっかく、将来の王妃の座を得られるはずだったのに……」
「あら、王妃の座など必要ありませんわ。わたくしはただ、マテウスさまをお慕いしているだけですもの」
「お前は……どうしてそう……」
伯爵はため息をつき、力なくうなだれた。
「……いいえ、これで良かったのかもしれないわね」
夫人がぽつりと呟く。
その言葉に、伯爵がぎょっとした顔をする。
「デビュタントで意中の相手に花を捧げる慣例を、第一王子殿下と第二王子殿下の争いの道具にされたのですもの。どちらを選んでいても、揉め事にはなったでしょう」
「……確かに、シルヴィアがどちらを選ぶかで次期国王が決まるだろうと噂になっていたが……」
夫人の言葉に、伯爵は渋々といったように頷いた。
「それに、今や形式的なものになってしまったとはいえ、花を捧げるのは令嬢に許された告白の権利だわ。望まぬ結婚を強いられた際に、花と共に想い人への気持ちを伝える最後の機会だったのよ。それを汚すなど、いくら王子殿下と言えども許されないわ」
怒りのこもった声に、伯爵は怯む。
「そ、それはそうだが……しかし……」
「……ねえ、シルヴィア。あなたは本当に、自分の選んだ道を歩むつもりなのね?」
夫人はそう言って、シルヴィアの目をまっすぐに見つめた。
その言葉に伯爵は慌てるが、シルヴィアは迷いなく頷く。
「はい。わたくしには、この道しか選べませんわ」
「……そう。マテウス大公は、二百年前に国を混乱に陥れた悪逆公の生まれ変わりとすら噂される方よ。かの領地は呪われ、神の認めた食物など実らぬ不毛の地だと聞くわ。そんな地へ行って、あなたは幸せになれると言うの?」
「もちろんです」
シルヴィアは即答する。
「かつて暗闇に囚われていた私を救ってくださったのは、他ならぬマテウスさまなのです。私が聖女としての力を授かったのも、マテウスさまのおかげですわ。だから、私はこの力をあの方のために役立てたいのです」
シルヴィアはそう言うと、柔らかく微笑んだ。
迷いのないシルヴィアを、夫人は悲しそうに見つめる。
「……そう。あなたがそこまで言うのなら……もう止めないわ」
「お前……」
伯爵も驚いた顔をするが、夫人はそんな夫をじろりと睨む。
「あなたもいい加減になさいませ! いくらシルヴィアの幸せのためとはいえ、暴力を振るおうなどと……。もし万が一にもシルヴィアの身に何かあったら、どうするおつもりだったのです?」
「……う」
伯爵は気まずそうな顔をした。
口ごもった夫をもう一度睨むと、夫人はシルヴィアに向き直る。
「シルヴィア。あなたはマテウス大公に嫁いで、幸せになれると言うのね?」
「ええ、もちろんですわ」
シルヴィアは力強く頷いた。
「そう。ならばもう、何も言うことはないわ」
夫人はそう言って微笑むと、シルヴィアにそっと寄り添い、その体を抱きしめた。
「……どうか幸せにおなりなさい。あなたの幸せが、私の望みよ」
「はい、お母様。ありがとうございます!」
シルヴィアは笑顔で答えた。
そんなシルヴィアを、夫人は優しく見つめる。
そして伯爵は、複雑な表情を浮かべていた。
自室に戻ったシルヴィアは、うきうきしながら荷造りをはじめた。
「ああ……マテウスさま。長い花嫁修業の日々でしたわ……。わたくし、やっとあなたさまのもとに嫁ぐことができますのね……!」
シルヴィアはうっとりとして呟く。
彼はまだ王都に滞在中だろうが、おそらくはすぐ領地に戻ってしまうはずだ。
だから、自分も急いで王都を発つ準備をしなければならない。
「ええと、他に必要なものは……これでよいのかしら……。あ、そうだわ! 神託を受ければよいのですわ」
シルヴィアはそう呟くと、神に祈る。
(わたくしはマテウスさまを幸せにして差し上げたいのです。どうか、わたくしに道をお示しください)
シルヴィアが祈りを捧げると、すぐに頭の中に声が響いた。
『汝の為したいように為すがよい』
「ありがとうございます!」
シルヴィアは満面の笑みを浮かべて、深く頭を下げた。
いつもどおりの答えが返ってきて、シルヴィアはほっと胸をなで下ろす。
「やはり、わたくしの進もうとする道は正しいのですわ。ならば、迷いなく進むだけです」
シルヴィアはそう呟いて、荷造りを再開した。