17.遺跡
シルヴィアたちは馬車に乗り込んで遺跡へと向かう。
大人数のため、シルヴィアが普段乗っているような豪華な馬車ではなく、実用性重視の簡素なものだ。
「こんな乗り心地の悪い馬車で悪いな」
そう言いながら、マテウスはシルヴィアにクッションを手渡してきた。
シルヴィアはありがたくそれを受け取ると、マテウスの隣に座り込む。
「ありがとうございます」
礼を言うと、マテウスは照れたように視線をそらす。
「……もっとあるぜ。痛くないか?」
「ええ、大丈夫ですわ」
シルヴィアが笑顔で答えると、マテウスは安心したように息を吐いた。
そんな二人の様子を横目で見ていたロイドがポツリと呟く。
「……あの、私たちのクッションは……?」
すると、マテウスは面倒くさそうな表情を浮かべた。
「ああ? んなもんねえよ。我慢しろ」
「そんな……」
マテウスの言葉に、ロイドはがっくりと肩を落とす。
「あの、わたくしはこんなになくても大丈夫ですので……」
シルヴィアが遠慮しようとすると、マテウスは首を横に振った。
「ダメだ。あんたの身体のためだからな」
「ですが……」
シルヴィアがなおも言い募ろうとすると、マテウスはシルヴィアの耳元に口を寄せる。そして囁くように言った。
「あんたに何かあったら、俺は自分を許せなくなる。だから、俺のためにも受け取ってくれ」
耳にかかる吐息に、シルヴィアの胸は高鳴った。その鼓動を抑えようとシルヴィアは自分の胸を押さえる。
こうして胸が苦しくなるのも、彼への想いが原因だからとわかった以上、もう迷うことはないと思っていた。
しかし、実際にこうしてマテウスから優しくされると、やはりシルヴィアはときめいてしまうのだ。
「……はい、わかりましたわ」
俯きがちにシルヴィアが頷くと、マテウスは満足そうに笑った。
「よし、それでいい」
そんな二人のやり取りを見ていたロイドは呆然とした表情を浮かべていた。
従者たちは何も見ていないといったように、窓の外を眺めている。
「……マテウスさまって、そんな甘い言葉を吐く方でしたっけ……?」
ロイドの呟きに、マテウスはギロリと睨みつける。
「なんか文句あんのかよ?」
「いえ! 滅相もない!」
そんなやり取りをしている間も馬車は進み続け、やがて目的地に到着した。
馬車から降りると、目の前に大きな石造りの建物がそびえ立っていた。古代遺跡と呼ばれるだけあってかなり古いもので、あちこちが崩れている箇所もあるようだ。
正面の扉は固く閉ざされており、中に入ることはできそうにない。
「今回は、裏側から侵入されたようです。こちらです」
ロイドが手招きをして歩き出す。その後ろをシルヴィアたちはついていった。
遺跡の裏側の壁が一部崩れており、そこに人が通れるくらいの穴が空いている。
「あ、そうです。ここから入っていったような気がします」
従者の一人が思い出したように言った。
「なるほどな。よし、行くぞ」
マテウスを先頭に、シルヴィアたちは遺跡の中へと足を踏み入れた。
中は薄暗く、埃っぽい空気に包まれている。
「暗いな……明かりを出すか」
そう言ってマテウスは魔法を発動させる。
すると、手のひらの上に小さな光球が現れた。その明かりを頼りに奥へと進んでいく。
しばらく進むと、通路が二つに分かれていた。
「どっちだ?」
マテウスの問いに従者の一人が答える。
「ええと……左に行ったような気がします」
「そうか。じゃあそっちだな」
マテウスは迷わず左の道を選んだ。そして再び歩き出す。
何度か分かれ道があったが、そのたびに従者たちが覚えている道を進んだ結果、やがてある部屋にたどり着いた。
そこは広い部屋で、奥には扉があったが閉ざされている。床には星型のような文様が刻まれており、中央には台座が置かれていた。
「これは……祭壇か?」
マテウスが呟くと、従者たちは緊張した面持ちで頷く。
「はい……確か、神官は我々をこのように配置して……」
従者たちが、星型の模様の角に一人ずつ立つ。
「それから、何かをしていました」
「何をしていた?」
マテウスが尋ねると、従者は首を左右に振った。
「すみません……そこまではよく覚えていないのです……ただ、台座の上に赤い石があったような気が……」
「赤い石だと?」
従者の言葉に、マテウスは眉をひそめた。そして、懐から呪石を取り出す。
「まさか、こいつか?」
マテウスが呪石を見せると、従者たちは大きく目を見開いた。
「そうです! それが、台座の上にありました」
「なるほどな……」
マテウスは険しい表情を浮かべる。
「その後、お前たちは激しい脱力感や頭痛、吐き気に襲われたはずだ」
マテウスが尋ねると、従者たちは頷いた。
「はい……そして、その場に倒れました」
「やはりそうか……」
マテウスは納得したように呟く。
「おそらくだが、お前たちから力を奪い取って、この扉を開けようとしていたんだろうな」
「なるほど……」
従者たちは納得して頷いた。
「それで扉は開いたのでしょうか?」
ロイドが尋ねると、従者たちは首を横に振った。
「いえ……開かなかったのです」
「開かない? どういうことだ」
マテウスが訝しげに尋ねる。
「はい……扉は開かず、ただ台座についていたその石が取り外せるようになったようでした。神官はため息をつきながら、石だけを手にしていました」
「ふむ……」
マテウスは顎に手を当てて考え込む。
「扉を開くには、力が足りなかったということか……?」
「おそらくそうでしょう。そして、呪石だけを手に入れて、去っていったのですね」
マテウスの言葉にロイドが同意した。
彼らのやり取りを聞きながら、シルヴィアはマテウスの取り出した呪石をじっと見つめていた。
最初に見たときは得体の知れない恐怖を感じて震えたが、今は石から訴えるような気配を感じる。
とても切実で、悲しげな想いが込められているような気がした。
そして、その想いはシルヴィアがかつて抱いていたものと同じで──
「シルヴィア? どうした?」
マテウスの声で、シルヴィアははっと我に返る。
今、自分は何を考えていたのだろうか。
シルヴィアが戸惑っていると、マテウスが心配そうに顔を覗き込んでくる。
彼の顔を見た瞬間、シルヴィアの心に激しい感情が湧き上がってきた。
「マテウスさま……」
シルヴィアは無意識のうちに彼の名前を呼んでいた。そして、その胸に縋りつくように抱きつく。
突然のことに、マテウスは硬直した。だがすぐに我に返り、慌ててシルヴィアを引き離そうとする。
しかしシルヴィアは彼の背中に回した腕に力を入れて離れようとしなかった。
「……っ! おい、どうしたんだよ!?」
マテウスが戸惑いながら尋ねると、シルヴィアはゆっくりと顔を上げた。
その瞳からは大粒の涙が溢れている。
「シルヴィア……?」
マテウスは困惑しながら、シルヴィアの頰に触れた。
その途端、瞳から大粒の涙がさらに流れ落ちる。
そして嗚咽混じりに言葉を紡いだ。
「わ、わたくしは、解放されました……でも、この方はまだなのです……! だから……お願い、します……」
自分でも何を言っているのか、よくわからなかった。
ただ、この呪石が訴えかけてくる想いと、自分の内側に宿る感情が混ざり合い、言葉となって溢れ出す。
シルヴィアが訴えるようにマテウスを見つめると、彼は戸惑った表情を浮かべた。しかしすぐに真剣な眼差しになり、シルヴィアの肩を掴む。
「ああ……わかった。俺は何をすればいい?」
マテウスの問いにシルヴィアは大きく深呼吸をして答えた。
「この石を……壊してください」