15.研究者の仮説
応接室に入ると、そこには一人の男性が待っていた。
彼はマテウスの姿を見ると立ち上がり、一礼した。
年齢は三十代半ばくらいだろうか。無造作な灰色の髪に、無精ひげを生やしている。研究者というよりは、傭兵のような雰囲気を漂わせていた。
「お久しぶりです、マテウスさま。ところで、そちらは……まさか、噂に聞く聖女さまですか?」
男からの問いかけにマテウスは頷き、シルヴィアを紹介した。
「ああ、そうだ。聖女シルヴィアだ」
「マテウスさまの婚約者のシルヴィアですわ。よろしくお願いしますね」
シルヴィアが笑顔で言うと、男は目を輝かせた。
「これはこれは! 私はロイドと申します。以後お見知りおきを」
挨拶を交わすと、マテウスとシルヴィアは彼の向かいのソファに腰掛ける。
「それで? 俺に報告ってなんだ?」
マテウスが促すと、ロイドは表情を引き締めて答えた。
「ええ、実は……古代遺跡が荒らされまして。呪石が持ち出された可能性があります」
ロイドの言葉に、マテウスは眉をひそめた。そして、懐から赤い石を取り出す。
「こいつか?」
「え!? どうして、マテウスさまがそれを!?」
ロイドは驚愕に目を見開き、マテウスの手のひらにある呪石を見つめた。
「街中で問題を起こした神官が持ってたのを没収した。頭のおかしい神官どもの中でも、こいつは特にイカれてたな。俺に喧嘩を売ってきたあげく、呪石の力を使おうとしたんだ」
マテウスは忌々しそうに吐き捨てる。
「なるほど、そういうことでしたか。盗掘者は神官だったのですね。本当にスカイラーの神官どもはロクなことをしない……あっ、失礼」
ロイドは慌てて口をつぐむ。
スカイラーの聖女であるシルヴィアの前で、失言だったと思ったのだろう。
「構いませんわ。本当のことですもの。わたくしも、この地での神官の振る舞いや、人々を苦しめる行いには、疑問を抱いておりますの」
シルヴィアが優しく微笑むと、ロイドは少し安堵したような表情を見せた。
「そう言っていただけるとは……ありがとうございます」
そう言って、ロイドはマテウスにうかがうような視線を向けた。
すると、マテウスはゆっくりと頷く。
「ああ、シルヴィアは信用して大丈夫だ。クソ神官どもとは違う。何せ、地に埋もれる食物どころか、魔物の肉まで食うからな」
マテウスの言葉に、ロイドはぽかんとした表情を浮かべた。
そして、シルヴィアの顔を見つめる。
「えっ……魔物の肉を……? 聖女さまが……?」
「ええ、そうですわよ」
シルヴィアが笑顔で言うと、ロイドは信じられないといった表情を浮かべた。
「そんな……スカイラー教では禁忌とされているのに……」
「ああ、シルヴィアはスカイラーの教えなんざ、屁とも思ってねえよ。それでいて、聖女としての力は本物だ。ちょっと怖いと思わねえか?」
マテウスの言葉に、ロイドはゴクリと喉を鳴らした。
「確かに……スカイラー教が根底から覆りかねない事実ですね……」
「それは、どういうことでしょう?」
シルヴィアが首を傾げると、ロイドは真剣な表情で語り始めた。
「スカイラー教の教えでは、高貴な者と卑しい者がはっきりと分かれています。つまり、支配層にとっては都合の良い教えです。ですが、本当に神の声を聞くことができるシルヴィアさまが、その教えを否定すれば……」
「なるほど、神殿にとっては、大きな問題になるかもしれませんわね」
シルヴィアが納得したように呟くと、ロイドは大きく頷いた。
「そのとおりです。神殿だけではなく、王家も黙ってはいないでしょう。神殿と王家は、実質スカイラー教の傘の下で繋がっているのです。だからこそ、聖女を王妃として迎え入れようとしたのですよ」
「まあ、そうでしたのね。迷惑な話ですけれど」
シルヴィアがため息をつくと、ロイドは苦笑した。
「確かに、シルヴィアさまにとっては迷惑でしょう。ですが、数十年ぶりに現れた聖女を、王家は利用したいのですよ」
「ちなみに、今の神殿と王家の関係はどんなものなんだ?」
マテウスが質問すると、ロイドは顎に手を当てて考え込んだ。
「そうですね……どちらかといえば、神殿側の発言力が強くなっていますね」
「ほう……?」
マテウスが興味深げに目を細めると、ロイドは話を続けた。
「そもそも、スカイラー教が国教となったのは二百年ほど前のことです。国家転覆を企んだ悪逆公を討つために、当時の王が神からお告げを受けたとされています。そして、その神託に従い、見事悪逆公を討ち滅ぼし、スカイラー教は国教となったのです」
ロイドの話に、シルヴィアは首を傾げる。
「まあ、そのような神託を授かるなど、不思議ですわね。わたくしが授かる神託は、いつも同じですのに」
すると、ロイドはシルヴィアを見て目を丸くした。
「えっ……!? シルヴィアさまが授かる神託とは、どのような内容なのでしょうか……?」
身を乗り出して尋ねてくるロイドに、シルヴィアは微笑んだ。
「ええ、『汝の為したいように為すがよい』というものですの。だから、わたくしは自分のしたいように行動しているのです」
シルヴィアが答えると、ロイドは呆然とした表情を浮かべた。
「それは……また……何というか……自由奔放なお告げですね……」
ロイドは言葉を選びながら感想を述べた。
「……俺は、邪神だと思うんだよな」
マテウスは腕組みをして、独り言のように呟く。
「まあ、神に人間の理など当てはめてはなりませんわ。善悪も、所詮は人が勝手に決めた価値観に過ぎませんもの」
シルヴィアが苦笑すると、ロイドは何か考え込んでいる様子だった。
「どうかなさいましたか?」
シルヴィアが尋ねると、彼はハッと顔を上げた。
「いえ、その……私が以前から考えていた仮説がありまして……」
「仮説? なんだそりゃ」
マテウスが訝しげに尋ねると、ロイドは真剣な表情で話し始めた。
「かつてこの辺境は豊かな地だったと言います。しかし、悪逆公が呪石を利用して、この地から力を吸い上げたために、枯れ果てた地に変わってしまったと」
「ああ、その奪った力で国家転覆を企んだと伝わっているな」
マテウスが相槌を打つと、ロイドは話を続ける。
「そして、悪逆公を討った国王はスカイラー神の加護を得て、王都を豊かな地にしたと言われています」
「ああ、有名な伝説だな。だが、それがどうした?」
マテウスが首を傾げると、ロイドは真剣な表情で言った。
「私は思うのです。呪石を利用したのは、本当に悪逆公だったのでしょうか?」
「どういうことだ?」
訝しげにマテウスが聞き返すと、ロイドは神妙な面持ちで答える。
「私は、悪逆公を討ったという国王こそが、実は呪石の所有者だったのではないかと考えているのです」
「つまり、国王が呪石の力を使って王都を豊かにしたということか?」
マテウスの言葉に、ロイドはゆっくりと頷いた。
「はい。この地を犠牲にして、王都を豊かにした。そう考えると、辻褄が合うのです」
「なるほどな。だが、そうなると国王は悪逆公を討った英雄ではなく、呪石を使って私欲を満たした大罪人ってことになるぞ?」
マテウスの言葉に、ロイドは深くため息をついた。そして、絞り出すように言う。
「……はい。そのとおりです。さらに言えば、その罪を弟に着せて悪逆公などと貶めたのではないかと」
ロイドの言葉に、マテウスは目を見開いた。そして、愉快そうに笑みを浮かべる。
「面白い仮説だな。だが、もしそれが真実なら……王家も神殿もクソじゃねえか」
「そうですね。まあ、こんな仮説が王家や神殿に知られたら、異端審問にかけられるでしょうが。……というか、王族であるマテウスさまと聖女であるシルヴィアさまの前で、私は何を話しているんだ……」
ロイドが頭を抱えると、シルヴィアはクスクスと笑った。
「いいではありませんか。わたくしは気にしませんわ」
「俺も別に構わねえよ。つうか今さらだろ。王位継承権だって、とっくに放棄してんだしな」
「うう……ありがとうございます……」
心から安堵したといった様子で、ロイドはシルヴィアとマテウスに感謝する。
「まあとにかく話を戻して、遺跡から呪石を持ち出したのが神官らしいのはわかった。ちょうど牢にぶち込んであるから、尋問して……」
マテウスが言いかけたところで、ノックの音が聞こえた。
「入れ」
マテウスが答えると、執事のダンが部屋に入ってくる。
彼の表情から、何か良くないことが起こったのだとシルヴィアは察した。
「どうした?」
マテウスが尋ねると、ダンはゆっくりと口を開く。
「実は、捕らえた神官が脱走したとの報告が……。従者たちを置き去りにして、忽然と姿が消えてしまい、行方がわからないと」