13.一緒に、幸せになりましょう
屋敷に戻った二人は、リビングで向かい合って座っていた。
マテウスが淹れてくれた茶の香りが室内に漂っている。
シルヴィアはカップを手に取り、一口飲んだ。土っぽい香りと、わずかな苦みが口内に広がる。
その味を感じることで、少しだけ冷静さを取り戻せたような気がした。
「落ち着いたか?」
マテウスに尋ねられ、シルヴィアは微笑んでみせる。
「ええ、おかげさまで」
「良かった。じゃあ、さっきの話の続きといくか」
マテウスはそう言うと、テーブルの上に小さな石を置いた。
赤く光るその石を見た瞬間、また背筋がぞくりとする。
「……これは?」
シルヴィアの問いかけに、マテウスは真剣な眼差しで答える。
「ああ、こいつは『呪石』だ」
「呪石……?」
聞き慣れない言葉だった。
シルヴィアが首を傾げると、マテウスは説明を続ける。
「こいつはな、特別な方法でしか生成できない代物だ。人間の魂を核にして作られる」
「魂……ですの?」
シルヴィアは驚愕に目を見開く。
「そうだ。この呪石は、周囲の魔力や生命力を吸い取ることができる。そして、その力を自分のものにできるんだ」
マテウスは淡々と説明を続ける。
シルヴィアはその話を黙って聞いているしかなかった。
「この大きさでは、大したことはないだろうがな。だが、もしこれが街中で使われていたら、弱い奴なら命に関わっていたかもしれない」
ため息をつくと、マテウスは呪石を手に取った。
「この呪石はな、古代文明の遺物だ。かつて栄えた魔法文明が残したものらしい。だが、今はもう誰も作り方を知らないし、その製法を記した文献も残っていない」
マテウスはそこまで話すと、シルヴィアの方を見た。
「かの悪逆公が、この呪石を使って国を転覆させようとしたという伝説がある」
「悪逆公……」
シルヴィアはその名を呟く。
かつて、この国を恐怖に陥れたという大罪人だ。
そしてマテウスが、その生まれ変わりと噂されている人物でもある。
「そう、悪逆公ルキウス。俺と同じく、黒髪に赤い瞳だったらしい。今となっては、国王の弟で、大公だったっていうところまで一緒だな。だから俺が悪逆公の生まれ変わりだなんて噂も立つわけだ」
マテウスは自嘲気味に笑う。
だが、シルヴィアは笑い飛ばすことなどできなかった。
「それくらいのことで……マテウスさまのことを、悪逆公の生まれ変わりだなんて……呪われ大公と貶めるなんて……」
シルヴィアが呟くと、マテウスは小さく首を横に振った。
「いや、いいんだ。悪逆公の生まれ変わりなんてのは眉唾もんだけど、呪われているというのは間違いじゃない」
マテウスは静かな口調で言う。
その口調には、どこか諦めに似た感情が滲んでいるように感じられた。
シルヴィアは、思わず口を開いていた。
「わたくしには信じられませんわ。マテウスさまから呪いなんて、感じられませんもの」
シルヴィアの言葉に、マテウスは苦笑する。
「そう言ってもらえるのはありがたいけどよ、事実なんだよ。そりゃあ、あんたの考える呪いとは違うかもしれないけどな。俺は膨大な魔力を持って生まれちまった。そのせいで、母は耐えきれずに命を落としたんだ」
「そんな……」
シルヴィアは言葉を詰まらせた。
マテウスは自嘲気味に笑って続ける。
「父も俺を疎んだ。俺を塔に幽閉して、ほとんど顔を合わせようとしなかった。俺の力を恐れていたんだろう。実際に俺は魔力暴走を起こし、わずか四歳で塔をぶち壊したからな」
マテウスは遠い目をしながら語った。
その口調は淡々としていたが、どこか寂しげに感じられた。
「それからは、この辺境の地に追放された。野垂れ死にすることを期待したんだろうが、ダンを始めとした連中が俺を助けて育ててくれたんだ。ここが俺の家で、ここの連中が俺の家族だ。だから俺は、この地を守りたいんだよ」
マテウスはそこまで言うと、我に返ったように咳払いをした。
「悪い、つまらない話をしちまったな。忘れてくれ」
マテウスは苦笑しながら言ったが、シルヴィアにはそれが無理に笑っているように見えた。
だから、思わず身を乗り出して彼の手を握っていた。
「いいえ、聞かせてくださいませ」
「え……?」
マテウスは驚いたような表情を浮かべたが、すぐに困ったような表情になる。
そして視線を逸らしてしまった。
シルヴィアはそんな彼の手をぎゅっと握り、まっすぐに見つめる。
すると観念したのか、やがてゆっくりと口を開いた。
「……俺の魔力は強すぎて、弱い人間なら近くにいるだけで悪影響が出る。短い時間なら問題ないが、長時間一緒にいると体調を崩しちまうんだ。だから、俺は屈強な連中しか側に置いていない」
「だから、わたくしを遠ざけようとしたのですか? わたくしを、あなたの魔力で傷つけないために……」
シルヴィアが問いかけると、マテウスは苦笑いを浮かべた。
「まあな。だが、あんたは大丈夫だったみたいだ」
「あら、それは良かったですわ!」
シルヴィアは微笑んでみせると、マテウスとの距離を詰める。
「お、おい……」
戸惑うような声を上げるマテウスを無視して、シルヴィアは彼に抱き着いた。
彼の胸に顔を埋めると、心臓の鼓動を感じることができた。それがとても心地よく感じる。
「わたくしなら大丈夫ですわ」
シルヴィアは顔を上げると、マテウスと至近距離で見つめ合う形になる。
すると、彼の瞳に自分が映っているのが見えた。それがとても嬉しかった。
「だから、もっとわたくしを頼ってくださいませ」
そう言って微笑むと、マテウスは驚いたような表情を浮かべていたが、やがて優しい笑みを浮かべた。
「ああ……そうさせてもらうよ」
彼はそう言うと、そっと手を伸ばしてくる。
その手が頬に触れた瞬間、シルヴィアの背筋にぞくりとした感覚が走った。だが同時に心地良さも感じている。
その不思議な感覚に戸惑っている間に、マテウスの顔が近づいてきていた。
そして唇が触れ合う寸前で止まる。
「嫌ならやめるぞ?」
マテウスは不安そうな声で尋ねてきた。
その瞳には、怯えにも似た感情が見え隠れしている。
あれほど強く、勇猛なマテウスが、まるで幼子のような表情を浮かべている。そのことが無性に愛おしく感じられた。
シルヴィアはそっと彼の首に腕を回すと、そのまま引き寄せて唇を重ねた。
数秒後、二人はゆっくりと離れる。
「嫌なわけ……ありませんわ」
シルヴィアは微笑みながら言った。
すると、マテウスの顔にも笑みが浮かぶ。
「そうか……良かった」
彼は安堵したように呟くと、再び口づけをしてきた。
今度は先ほどよりも長く、情熱的なものだった。
シルヴィアはそれを受け入れながら、彼の背中に手を回す。
するとマテウスもそれに応えるように、強く抱きしめてきた。
二人の鼓動が重なり合い、溶け合うような感覚に陥る。
シルヴィアはその心地良さに身を委ねた。
やっと、戸惑っていた感情の正体がわかった気がする。
この胸の高鳴りも、マテウスと触れ合っている時の安らぎも、全ては彼を愛しているからだ。
そして彼も同じ気持ちを抱いてくれていることが嬉しかった。
やがて唇が離れると、マテウスは照れたように笑った。
「ははっ、なんだか恥ずかしいな」
「あら、どうしてですか?」
シルヴィアが尋ねると、彼は少し困ったような表情を浮かべた。
「いや、こういうの初めてだからよ……」
「あら、意外ですわ。おモテになりそうなのに」
シルヴィアが冗談めかして言うと、マテウスは少し拗ねたような表情になった。
「そりゃあ、寄ってくる女はいくらでもいるさ。娼婦から金はいらないから遊んでいけって誘われるくらいにはな」
「まあ、お受けにはならなかったのですか?」
シルヴィアが問うと、マテウスは静かに首を横に振った。
「俺は屈強な連中しか側に置かないと言っただろ。女なんて、壊してしまいそうだからな。それより、あんたはどこか具合が悪くなっていないか?」
マテウスは気遣うような口調で尋ねてくる。どうやら、シルヴィアの身を心配していたらしい。
「ええ、大丈夫ですわ。むしろ、なんだか元気になった気がします」
シルヴィアは微笑んでみせると、マテウスの頬に軽く口づけをした。
「ほら、元気でしょう?」
「ったく、あんたは……」
マテウスは苦笑いを浮かべながらも嬉しそうだった。
「……まさか、あんたとこんなことになっちまうなんてな。最初は、なんだこの頭のおかしい女はって思っていたんだがな……」
マテウスはしみじみとした口調で言った。
「あら、では今はどう思われていますの?」
シルヴィアが悪戯っぽく尋ねると、マテウスは少し考えるような仕草をしてから答えた。
「そうだな……今は、可愛いと思っているよ」
マテウスの言葉に、シルヴィアの顔が熱くなる。
「もう……マテウスさまったら……」
そんなシルヴィアの反応を楽しむかのように、彼はさらに言葉を続けた。
「それに、あんたは綺麗だと思う。こんな綺麗な女なんて初めて見たからな。正直、俺なんかが触れていい存在じゃないと思っている」
「そんなことありませんわ。マテウスさまは素敵ですわよ?」
シルヴィアが言うと、マテウスは照れくさそうに笑った。
「ありがとう。でも、俺はあんたに釣り合わない男だよ」
「あら、そんなことはないと思いますけれど……」
シルヴィアは不満そうな声で返すが、マテウスの表情は晴れなかった。
「……なあ、一つだけ聞かせてくれるか?」
「ええ、なんでしょう?」
シルヴィアが首を傾げると、マテウスは静かに口を開いた。
「あんたは……本当に俺でいいのか? 俺と一緒にいることで、あんたを不幸にしちまうかもしれねえ。それでもいいのか?」
マテウスは真剣な眼差しで問いかけてくる。
その問いに対する答えは決まっていた。
シルヴィアは大きく息を吸い込んで答える。
「愚問ですわ!」
シルヴィアがきっぱりと答えると、マテウスは目を丸くした。
そんな彼の顔を両手で包み込み、真っ直ぐに見つめ合う形になる。
「わたくしは、あなたが好きなんです! あなたのそばにいたいんです! あなたと一緒に歩んでいきたいんです! だから……」
シルヴィアはそこまで言うと、マテウスの唇に自分のそれを重ねた。
そしてゆっくりと顔を離すと、彼の目を見て言った。
「だから……一緒に、幸せになりましょう! マテウスさま!」
シルヴィアの言葉に、マテウスは驚いたような表情を浮かべた。
だがすぐに優しい笑顔になり、シルヴィアを抱き締める。
「ああ……そうだな」
二人はしばらくの間、そのまま抱き合っていた。
互いの体温を感じながら、心地良い沈黙が流れる。
やがてどちらからともなく離れると、見つめ合ったまま微笑んだ。