12.背徳者
「おい、お前ら。何を騒いでいる?」
マテウスが声をかけると、人だかりの視線が一斉に彼に向けられた。
「あ、大公さま!」
人々は慌てた様子で道を開ける。
マテウスはその間を悠々と歩いていき、人だかりの中心にたどり着いた。
そこでは神官と店主が睨み合っている。
神官はまだ若く、二十代前半程度の青年だ。近付いてきたマテウスに気付くと、傲慢そうな顔つきで睨んできた。
「なんだ、貴様は! この無礼者め!」
神官はマテウスに向かって怒鳴り声を上げた。
「無礼者はどっちだ。ここは俺の治める地だぜ。何を好き勝手やってんだよ」
マテウスが淡々と返すと、神官はさらに激昂した。
「黙れ! 私はスカイラーの教えを愚民どもに授けるためにこの地へ来たのだぞ! その邪魔をするというなら容赦せん!」
神官の言葉と同時に、五人の従者達が一斉に武器を構える。
その様子を見た住民たちはざわめいた。
「おいおい、穏やかじゃねえな。やるってんなら相手になるが?」
マテウスも拳を構えて応じる。
だが、その様子を見た神官は嘲笑を浮かべた。
「ほう? 貴様ごときが我々と戦うというのか? しかも素手とは、舐められたものだな。いいだろう! その不遜な態度を後悔させてやる!」
すると、従者達は一斉に襲い掛かってきた。
「おらっ!」
マテウスは大きく一歩踏み込むと、先頭にいた従者に殴りかかる。その拳は易々と顔に入り、従者を吹き飛ばした。
それに続くように他の従者達も攻撃を仕掛けてくるが、マテウスはその全てをかわし、あるいは受け流して反撃していく。
その動きは洗練されており、まるで踊っているかのようだった。
「おお、さすが大公さまだぜ!」
「いいぞー! やっちまえー!」
住民達は歓声を上げる。その声はマテウスを後押ししていた。
一方、神官はその光景を見て呆然としているようだった。
「馬鹿な……この私の従者達が、こうも簡単に……」
信じられないといった顔で呟く神官に、マテウスは冷たい視線を向ける。
従者達を全て地面に沈めた彼は無傷で、息も切らしていない。まだまだ余裕があった。
「おい、まだやるのか? もうお前しか残ってねえぞ」
マテウスの言葉に、神官は初めて気づいたように彼の顔を凝視する。
「そ、その黒髪に赤い瞳……まさか、呪われ大公……!?」
神官は驚愕に目を見開き、後ずさる。
「そのまさかだよ。ほら、かかって来いよ」
マテウスは手招きをして挑発するが、神官は動かない。
「こ、この背徳者め! こうなったら……」
神官は懐に手を入れると、何かを取り出そうとする。
「お待ちなさい! 何をしているのです!」
そこへ割って入ったのはシルヴィアだった。人だかりをかき分けて、前に出る。
神官は手を止め、呆然とシルヴィアの顔を見つめた。
「ま、まさか……聖女さま……!? な、なぜこのような場所に……」
神官は動揺を隠せないようだったが、すぐに気を取り直したように笑みを浮かべた。
「これは聖女さま! スカイラーの僕たる私を助けに来られたのですね! この呪われ大公めは我々を迫害して、神を冒涜しているのです! さあ、早くその背徳者を裁きましょう!」
嬉々として神官がそう言うと、周囲の視線がシルヴィアに集中する。
「聖女だと……?」
「まさか、糾弾するために来たのか……?」
「そんな……」
住民たちは口々に不安そうな声を上げている。
その様子を見た神官は、ますます勢いづく。
「その店の品をご覧ください! 聖典に載っていない、神に許されざる物をこやつらは食しているのです! これは重大な背徳行為であり、今すぐその店の品を焼き払うべきです!」
神官は大きな声で主張するが、シルヴィアは静かに首を横に振る。
「いいえ、それは違います」
きっぱりと否定され、神官は困惑したように眉を寄せた。
「な、何をおっしゃっているのです? 神の教えに背く行為なのですよ?」
必死に訴える神官に対し、シルヴィアは穏やかな口調で語りかける。
「焼き払えとおっしゃいますが、ならばここの方たちは何を食せばよいのですか? 当然、あなたが用意するのですよね?」
シルヴィアが問いかけると、神官は言葉に詰まったように黙り込んだ。
「そ、それは……」
そして口ごもってしまう。
二人のやり取りを見た住民達はざわめき始めた。
「おい、どうやら聖女さまはあの神官より話が通じるみたいだぞ」
「あの神官から我々を救ってくださるのか?」
周りの声に後押しされるように、シルヴィアは神官に語りかける。
「あなたは先ほどおっしゃっていましたね? 神の教えに背く行為だと」
「そ、そのとおりです! その者達が食しているものは……」
「……では、その教えとはなんなのですか? 神は『あなた』に、どのような教えを授けてくださったのですか?」
『あなた』という言葉を強調したシルヴィアの問いかけに対し、神官は言葉に詰まる。
神の声を聞ける者は、歴史上でも数えるほどしかいない。
この神官が直接、神から教えを授かった可能性は極めて低いだろう。
「そ、それは……その……」
しどろもどろになる神官に対して、シルヴィアは穏やかな口調で続けた。
「わたくしは、神の声を聞くことができます。ですが、神はわたくしたちを見守り、後押ししてくださるだけです。あなたのおっしゃる教えなど、わたくしは存じ上げません」
「そ、そんな……」
「それに、聖典に記されていないというのなら、追記すればよろしいではありませんか。人は高みを目指して進んで行くもの。ならば、その過程で新たな発見も生まれるでしょう」
シルヴィアの言葉に、神官は愕然とした表情を浮かべた。
「な、なんと……聖典に新たなる記載をしろだと……? き、貴様! それでも聖女か! いや、違う! 貴様は偽者だ! 聖女を騙る不届き者め!」
神官は激昂して叫び、シルヴィアに掴みかかろうとする。
だが、その腕をマテウスが掴んだ。
「そこまでだ」
マテウスは神官の腕をひねり上げ、地面に組み伏せる。
「くっ……呪われ大公め! 聖女をたぶらかしたのは貴様か! 悪逆公の生まれ変わりめ! この地の愚か者どもも、貴様に騙されているにすぎん! この背徳者め!」
神官はなおも抵抗し、罵詈雑言を喚きたてる。
すると、住民たちから反発の声が上がる。
「ふざけたこと抜かすんじゃねえ!」
「大公さまは俺たちのために戦ってくれているんだ! お前らの方がよっぽど悪逆じゃねえか!」
「そうだ! 大公さまは俺たちを救ってくださったんだ!」
住民たちは口々に叫び、マテウスに味方する。
その様子を見た神官は、信じられないといった表情で目を見開いた。
「そんな……ああ、もはやこの地は穢されて救いようが……ならば、いっそ……!」
神官は懐に手を入れ、何かを取り出そうとする。
だが、その手が懐から出る前に、マテウスが動いた。
「うるせえよ」
マテウスはそう吐き捨てると、神官の鳩尾に拳を叩き込んだ。
その一撃で神官は完全に気を失い、ぐったりと地面に倒れ伏した。
「ったく、手間取らせやがって……」
マテウスは舌打ちしながら呟くと、神官が握っていたものを取り上げた。
「こ、これは……!?」
彼の手に握られていたのは、小さな赤い石のようなものだった。
それは一見するとただの宝石のようにも見えるが、中心から禍々しい光を放っている。
その光を見た瞬間、シルヴィアの背筋にぞくりと冷たいものが走った。恐怖とも畏怖ともつかない感情が湧き上がってくる。
「おいおい、どっちが背徳者だよ……」
マテウスは呆れたように呟き、その赤い石を懐にしまった。
そして、やってきた兵士たちに向かって声をかける。
「お前ら、こいつを縛り上げて牢に放り込んでおけ。後で尋問する」
マテウスの命令に従って、兵士たちは神官を縛り上げていった。
その様子を見ていたシルヴィアは、マテウスに声をかける。
「マテウスさま……」
「ん? ああ、悪いな。こんな騒ぎになるとは思わなかった。怪我はないか?」
マテウスが心配そうな表情でシルヴィアの顔を覗き込んでくる。
「わたくしは大丈夫ですわ。それより、その石は……?」
問いかけるシルヴィアの声は、少し震えていた。
「ああ……後で説明する。ここではちょっとな」
マテウスは言葉を濁すと、シルヴィアの様子を見て眉を寄せた。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「え……ええ、大丈夫ですわ」
シルヴィアは気丈に微笑んで見せたが、内心はかなり動揺していた。
あの宝石を見た瞬間から、得体の知れない恐怖心が湧き上がってきている。まるで心臓を鷲掴みされているかのような感覚だった。
「……とにかく、もう帰ろうぜ。色々あって疲れただろ」
マテウスは優しく微笑むと、シルヴィアの手を取った。
その温もりを感じるだけで、少し心が落ち着くような気がする。
「はい……そうですわね」
シルヴィアは小さく頷き、マテウスと共に帰路についた。