11.デート
「シルヴィア、今日は街まで行ってみようぜ。あんた、初めてだろ? 俺が案内してやるよ」
ある日のこと、朝食を終えたマテウスがそう提案してきた。
「まあ、よろしいんですの?」
シルヴィアは驚いて聞き返す。
すると、彼は笑顔で頷いた。
「ああ、魔物退治やら何やらで、連れて行ってやれなくて悪かったな。今日はゆっくりしようぜ」
マテウスはそう言うと、シルヴィアの手を取る。そしてそのまま歩き出した。
「あの……マテウスさま」
「ん? なんだ?」
「手を……」
おずおずと言うと、マテウスはああ、と呟いた。
そして、そのまま指を絡めるように握り直す。
突然のことに、シルヴィアは動揺した。
だが、マテウスは気にしていない様子だ。
「こうしといたほうが、はぐれなくて済むだろ?」
そう言って、シルヴィアの手を引いて歩き出す。
「は、はい……」
シルヴィアは小さく返事をして俯いた。顔が熱い。きっと赤くなっていることだろう。
そんなシルヴィアの様子を見て、マテウスが笑う気配がする。
「前は、手籠めにされても構わないって言ってたよな。そんな大胆なこと言ってたくせに、手を繋ぐだけで照れてんのか?」
からかうような口調に、シルヴィアは恥ずかしくなってますます俯いた。
マテウスの言うとおりだ。以前ならば、ただ嬉しくて自分から手を握っていただろう。
だが、今は違うのだ。心臓が高鳴りすぎて苦しい。
「こ、これは、デートというやつですわね! わたくし、初めてですわ!」
シルヴィアはごまかすように声を上げる。
すると、マテウスがまた笑った。
「ああ、そうだな。デートだ」
あっさり肯定して、マテウスはシルヴィアの顔を覗き込んでくる。その瞳にはからかうような色が含まれていた。
「俺が初めての男ってやつか? 光栄だな」
マテウスはそう言って、シルヴィアの銀色の髪を一房手に取る。そして、そこに軽く口づけを落とした。
「っ!?」
シルヴィアは驚きのあまり硬直する。顔がさらに熱くなった気がした。
そんなシルヴィアの反応を見て、マテウスは楽しげに笑う。
「ははは、初心な反応だな。随分としおらしいじゃねえか」
マテウスはシルヴィアの髪を指先で弄びながら言う。
その仕草があまりにも艶っぽく見えて、シルヴィアはくらくらしてきた。
「マ、マテウスさま……なんだか意地悪ですわ」
シルヴィアが訴えると、マテウスは喉の奥で笑う。
その吐息さえ感じられるほど距離が近いことに気付き、シルヴィアはますます動揺した。
「あんたのそんな顔が見られるなら悪くねえな。もっといじめてやろうか?」
そう言って、マテウスはさらに顔を近づけてくる。
心臓の音がうるさいくらいに高鳴った。
「だ、だめです……」
シルヴィアは小さな声で呟き、首を横に振る。
マテウスはあっさりと身を引いた。
「冗談だよ。あんたが嫌がることはしない」
そう言って、マテウスはシルヴィアの頬を指の背で撫でる。
その触れ方があまりに優しいので、シルヴィアはまた顔が熱くなるのを感じた。
「ほら、行こうぜ」
マテウスは再び手を差し出してくる。
シルヴィアはおずおずとその手を握った。
その手はやはり大きく、そして温かい。胸が高鳴り、落ち着かない気持ちになるが、同時に安心感もある。
マテウスに手を引かれるまま、シルヴィアは歩き出す。
やがて街に着くと、賑やかな喧騒が耳に飛び込んできた。
「まあ、とても活気がありますのね!」
大通りには露店が立ち並び、人々が行き交っている。
シルヴィアはきょろきょろと辺りを見回した。
「ああ、こんなクソみたいな地でも、頑張って生きてんだよ。捨てたもんじゃないだろ?」
どこか誇らしげに言うマテウスに、シルヴィアは微笑んだ。
「はい、本当に素晴らしいです」
シルヴィアがそう答えると、マテウスも嬉しそうに笑った。
「じゃあ、少し歩いてみるか」
そう言って、マテウスはシルヴィアの手を引く。
その温もりにまた心臓が高鳴るのを感じながら、シルヴィアは頷いた。
二人は手を繋ぎながら通りを歩く。
「大公さま! この間はありがとうございました!」
「大公さま! またお越しくださいね!」
街の人々はマテウスの姿を見ると、笑顔で手を振ってくれる。
マテウスはそれに手を振り返しながら歩いていた。
王都では呪われ大公と忌み嫌われているマテウスだが、この辺境の地では人気があるらしい。
「皆さんに慕われていらっしゃるのですね」
シルヴィアが声をかけると、マテウスは苦笑する。
「一応ここら辺を治めてるからな。あと、この地は年々荒廃し続けていたんだが、俺が来てから止まったらしい。それで感謝されてんだよ」
「まあ……それは素晴らしいことですわ」
シルヴィアがそう言うと、マテウスは肩をすくめる。
「そんなの、偶然だろうけどな。土地が荒廃していくのは、悪逆公の呪いだと言われているけど、二百年も経ったらそんなのだって薄まっていくだろ。たまたま、タイミングが重なっただけだ」
「それでも、マテウスさまのおかげで救われた人がたくさんいるのですわ。本当に素晴らしいと思います」
シルヴィアが心からの賛辞を送ると、マテウスは照れたようにそっぽを向いた。
「俺はそんな大層なことしてねえって」
そう言うマテウスの耳が赤くなっていることに、シルヴィアは気づいてしまった。
マテウスはシルヴィアの視線に気づくと、ごまかすように咳払いをする。
「あー……向こうに市場があるみたいだから、行ってみるか」
「はい!」
マテウスの提案に、シルヴィアは笑顔で応じた。
二人は手を繋いだまま歩き出す。
市場に着くと、様々な商品が並べられていた。
不毛の地と聞いていたが、意外なことに新鮮な野菜や果物が並んでいる。
王都では見たことのないものばかりで、シルヴィアは目を輝かせた。
「まあ! とても新鮮なお野菜ですわ」
シルヴィアが感嘆の声を上げると、マテウスは得意げに笑った。
「だろ? 最近は、この地でも育つ作物が少しずつだが出回ってきているんだよ。他国から取り寄せた種や苗を栽培してな」
「まあ……それは素晴らしいですわね!」
シルヴィアが称賛すると、マテウスは嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、これで飢える奴が減ればいいんだけどな」
そう言って市場を見回すマテウスだったが、ふと何かに気づいたように立ち止まる。
「あら、どうされましたの?」
不思議に思ってシルヴィアが尋ねると、マテウスは眉を寄せて呟いた。
「……あいつらは何をしているんだ?」
「え?」
マテウスの視線を追ってみると、そこには人だかりができていた。
どうやらスカイラー教の神官らしい人物が、店に並べられた野菜に文句を言っているようだ。
「おお、なんと嘆かわしいことだ! このような神に許されざる物を食すとは!」
神官の言葉に、店番をしている男が食ってかかる。
「なんだと!? これは俺たちがやっとのことで作った野菜だ! 侮辱することは許さねえぞ!」
激昂する男を、神官は鼻で笑う。
「ふん、これだから卑しい野蛮人は困るのだ。このような聖典に記されていない食物を口にするなど、神への冒涜以外の何物でもない」
「なんだと、この野郎!」
激昂した男が神官に摑みかかるが、神官の従者達に止められている。
その様子を見たマテウスは顔をしかめていた。
「ったく、めんどくせえ奴らだな……これだからスカイラーの神官どもは嫌なんだ。せっかく、この地で育つ作物を見つけても、奴らがいちゃもんつけてきやがるからな」
マテウスはため息をつきつつ、人だかりに向かって歩き出す。
シルヴィアは慌ててその後を追った。