01.強引な求婚
「聖女シルヴィア。あいにくだが、僕がお前を愛することはない。だが、お前が僕を愛することは許そう。心して尽くすがいい」
目の前で得意げに語る金髪碧眼の青年を、シルヴィアは無感動に見つめた。
空色の瞳には何の感情もこもっていない。長い銀色の髪も、身に纏った白いドレスも、まるで人形のように微動だにしない。
その手に握られた一輪の赤い薔薇だけが、唯一生気を感じさせるものだった。
「お話しは終わりましたか? でしたら、そこを通していただけますか? わたくし、この薔薇を捧げなければならない方がいるのです」
「な……っ!?」
金髪の青年は驚愕に目を見開いた。
まさか自分が無視されるとは夢にも思っていなかったのだろう。
静まり返っていた王宮の大広間が、にわかにざわつき始める。
「そ、その薔薇は求婚の証だ! 意中の相手にこそ捧げるものだろう!?」
「ええ、そうです。ですから、その方に捧げるのです」
「な、何……だと……?」
「わたくし、その方のことが大好きなのです。愛しているのです。ですから、この薔薇を捧げて、わたくしの気持ちを伝えるのです。喜んでいただけるとよいのですが……」
シルヴィアはそっと目を伏せた。
その胸中をよぎるのは一抹の不安と期待、そして強い決意だ。
「ですので、どうかそこを通してくださいませんか? わたくしの、愛しいあの方のもとへ参りますので」
シルヴィアは軽く膝を折って礼をすると、金髪の青年の横を通り抜けて歩き出す。
金髪の青年は呆然として動けない。
赤い薔薇を手にした銀色の髪の少女が、悠然と歩き去っていくのを、ただ見送るしかなかった。
シルヴィアは大勢の貴族たちが居並ぶ大広間を、堂々とした足取りで歩いていく。
「聖女が第一王子殿下を袖にしたということは……」
「選ばれたのは第二王子殿下ということだろうな……」
「これで王位争いの勝者が決まったということか……」
貴族たちは小声で囁き合う。
誰もがシルヴィアの動向を、固唾をのんで見守っていた。
しかし、シルヴィアは周囲のそんなざわめきなど一切気にすることなく、まっすぐ前だけを見つめて歩き続ける。
すると、一人の青年が、シルヴィアの前に進み出て跪いた。
灰色がかった金色の髪に、青色の瞳を持つ青年だ。
「聖女シルヴィアさま。あなたさまの求婚者として、この私にその薔薇の花を授けていただけるのであれば、これ以上の喜びはございません」
灰色がかった金髪の青年は大仰にそう言って頭を垂れる。
シルヴィアは一瞬だけ足を止めるが、すぐに歩き出す。
そして、跪く灰色がかった金髪の青年を素通りして足を進めた。
そんなシルヴィアの行動に、大広間は再びざわめき始める。
「お、おい! 第二王子殿下まで無視するとはどういうことだ!?」
「この場は、聖女がどちらの王子を選ぶかを、公に宣言するためのものではなかったのか!?」
「まさか、聖女はどちらの王子にも求婚しないつもりなのか!?」
貴族たちは口々にそう叫び合う。
しかし、シルヴィアはそんなざわめきなど一切気にせず、ただ一点を目指して歩き続けた。
そして、ようやくその歩みを止める。
大広間の奥まった場所で、壁を背にしてひっそりと佇む、黒い髪に赤い瞳を持つ青年の前で。
「……こちらには、あなたにふさわしい者はおりませんよ。どうぞ広間の中央にお戻りください」
黒い髪の青年は静かに言った。
その抑揚のない声は、無機質で、どこまでも冷たい。
シルヴィアは気にすることなく、青年に微笑みかけた。これまで無表情だった彼女の顔に、初めて表情が生まれる。
「いいえ、こちらにいらっしゃいますわ」
「……は?」
青年はその赤い瞳を見開いて、シルヴィアを見つめる。
そんな青年に、シルヴィアは手にした赤い薔薇を差し出しながら、とびきりの笑顔を向けた。
「マテウスさま。わたくし、あなたさまをお慕い申し上げております。どうか、この薔薇を受け取ってくださいませんか?」
シルヴィアの告白に、大広間は今日一番のざわめきに包まれた。
「お、おい……呪われ大公が、求婚されているぞ……」
「まさか、そんなバカな! あの呪われた男に聖女が求婚など、ありえない!」
「いや、しかし……聖女は第一王子殿下も第二王子殿下も袖にされたのだぞ? まさか、本当に……?」
貴族たちは口々にそう囁き合う。
そんなざわめきを気にも留めず、シルヴィアはただ目の前の青年だけを見つめ続ける。
黒い髪に赤い瞳の青年は、差し出された薔薇とシルヴィアの顔を交互に見つめる。そして、小さくため息をついた。
「これはまた、ずいぶんとお戯れが過ぎるお言葉ですね」
「戯れではありませんわ。わたくしは本気です」
「余計に質が悪いですね」
黒い髪の青年、マテウスは無表情のまま答える。
だが、シルヴィアは全く動じずにマテウスを見つめ続けた。
「あなたは呪われ大公などではありません。とても優しくて、素敵な方ですわ」
「……それはどうも」
マテウスはそっけなく答える。
そんな彼の態度にもめげずにシルヴィアは言った。
「ですからどうか……わたくしと結婚してくださいませ」
「……お断りします」
マテウスはきっぱりと言った。
しかし、シルヴィアは諦めない。
マテウスに一歩近づいて、その赤い瞳をまっすぐに見つめる。
「そのような返事は、わたくしには聞こえませんわ。『はい』か『喜んで』か『謹んでお受けいたします』か、どれか一つでお答えください」
「どれもお断りです。そもそも、なぜ私なのですか? 私はかの悪逆公の生まれ変わりとすら噂される、呪われた男。そんな男を夫にするなど、正気の沙汰とは思えませんよ」
「あなたさまは呪われてなどいませんわ。わたくしは、あなたさまに救われたのです。暗闇に囚われていたわたくしを救い出してくださったのは、他ならぬあなたさまなのです」
「……記憶にありませんね。どなたかとお間違えではありませんか?」
マテウスは冷たく言い放つ。
「いいえ。あなたさまは、確かにわたくしを救ってくださったのです」
シルヴィアはきっぱりと言った。
マテウスはため息をつく。
「……仮にそうだとしても、お断りします。私はあなたと結婚する気はありません」
マテウスはそう言ってシルヴィアに背を向け、立ち去ろうとした。
だが、シルヴィアはマテウスの行く手を遮るように、壁に手をついて彼の前に立ちふさがる。
手が壁に少しめり込み、破片がぱらぱらと床に落ちた。
「え……ちょっ……!?」
シルヴィアが見せた予想外の行動に、マテウスは動揺をあらわにする。
華奢で、すぐに折れてしまいそうな、ほっそりした腕。
その細腕で、壁がひび割れるほどの怪力を秘めているなど、誰が思うだろうか。
マテウスは呆然としてシルヴィアの顔を見つめた。
それを見つめ返しながら、シルヴィアはにっこりと微笑む。
「わたくし、あなたさまの愛を得られるよう、これから精一杯頑張りますわ。どうか、末永くよろしくお願いいたします」
「え? え? 何だよ、これ……何が起こって……」
「はい! これ、わたくしの気持ちですわ。受け取ってください!」
シルヴィアは愕然としたマテウスの言葉を一切聞かずに、彼の手を強引に掴み、その手に一輪の赤い薔薇を握らせる。
マテウスはシルヴィアの強引さに圧倒されたのか、ただ黙って薔薇を受け取った。
そんな二人の様子を見ていた貴族たちはざわめく。
「なんということだ……聖女が呪われ大公に求婚するなど、前代未聞だぞ……!」
「いや、それよりも……あれは本当に聖女か? まるで人ならざるもののようだ……」
貴族たちは口々にそう囁き合う。
「僕ではなく、呪われ大公に求婚するとは……。お前は一体何を考えているんだ!?」
「いくら何でも、あの呪われ大公だけはやめておいたほうが良いですよ! 呪い殺されてしまいます!」
第一王子と第二王子がシルヴィアに詰め寄り、口々に言う。
慌てる二人に、シルヴィアはにっこりと微笑みかけた。
「お二人とも、どうかご心配なく。わたくしは聖女ですのよ? 呪いなんてものは、この身に全く感じませんわ。それに……」
シルヴィアはマテウスに向き直る。
そして、彼の赤い瞳をまっすぐ見つめた。
「わたくし、絶対にあなたさまを幸せにしてみせますわ! 絶対に、絶対にです!」
シルヴィアはマテウスに向かって、力強く言い切った。
そんなシルヴィアに、マテウスはただ呆然とするしかなかった。
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