9.お宅訪問
ヴァーノンが本気でダンジョン探索をするつもりかは知らないが、どちらにしても商家の仕事が休みの日しか来ない。パドマは、また1人で気楽な虫退治生活に戻った。
クマを連れて行ったり、クマを連れて行かなかったり、暢気に暮らしていたのだが、ある朝、兄に深刻な顔で話しかけられた。
「できたら、明日、一緒に職場に付いてきてくれないか?」
「なんで?」
「イギーのことで、話があるらしい」
そこではじめて毒で倒れたイギーのその後について、まったく聞いてなかったことに気が付いた。流れで引率のようなことをしていたが、元を正せばパドマは、ヴァーノンの付属品のような存在である。対応など、兄が勝手にやれば良い。話を聞いて、嬉しいことが起きることはないだろう。
年下だからバカにして、注意しても話も聞かなかったイギー。子守代をもらってもいないのに、責任だけ押し付けられるなんて、最悪の事態だ。
「ウチの所為だって、怒られるの? 嫌だよ。無理だよ。ウチなんか連れてったら、お兄ちゃんが解雇されるよ」
「俺も不作法だからと断ったのに、断りきれなかったんだ。頼む。来て欲しい」
いつでもどこでも上から目線のヴァーノンが、珍しく、本気で頭を下げている。パドマは、扱いに困った。
「できないから、断って欲しい方じゃないんだ」
「ああ、済まないが、来て欲しい」
ヴァーノンは、昨日、キレイな白いワンピースを買ってきた。パドマは、仕方がないから朝から水浴びをして、それを着て、出かける支度をした。スカートなんて、いつぶりに履いたかわからない。やたらと足がスースーして寒いので、下に作業ズボンを履いていいか、兄に尋ねて叱られた。
「よし、見た目だけは、まともになったな。あとは、しゃべらなければ、なんとかなるだろう。しゃべるなよ?」
「付き合ってあげてるのに、ひどい言い草だな」
「言葉遣いを覚えて、きちんと受け答えしてくれる方が助かる。これでも、遠慮をしているんだぞ」
「そんなの今すぐには、無理に決まってるじゃん」
「だから、黙っていればいい」
ぽんぽん掛け合いをしつつ、酒場を出ると、店の前にイレが立っていた。いつも通り、朝の明るい空気が似合わないボサボサ頭と金色のヒゲだ。服も、いつもと同じジーンズ姿に茶色のマントを羽織っている。
「おはよー、イレさん。朝営業と昼営業は、してないよ。朝ごはんのお店を探してるの?」
「違う。嫌ぁな話を聞いた。パドマ兄、正気か?」
イレは、不機嫌な声を発して、ヴァーノンの肩をつかんだ。ヴァーノンは、動揺して後ろに下がった。イギーの末路を思い出したのかもしれない。
「断れないんです」
「わかった。お兄さんが断ろう。パドマ、今日のお兄さんは、パドマの恋人だよっ」
不機嫌声からの一気に弾け飛んだ調子に変わった。ピザ屋の時の気持ち悪くて面倒臭いイレを思い出し、パドマはゲンナリした。
「なんでだよ。有り得ないわ」
「丁度いい人間が他にいないから、諦めてくれないかな? パドマ兄をパドマの恋人にするよりは無理がないし、したところで断れないなら、意味がない。あの人たちに、強気で断るなら、お兄さんがもってこいだろう? パドマのためなら、ロリコンの汚名も引き受けてあげるから、パドマも諦めよう!」
拳を天に突き上げて、明るく元気に言われても、まったく意味がわからない。パドマの恋人の選択肢が、おじさんか兄の2択しかないとは、どういうことだろう。まだ10歳なのに、そこまで追い詰められなくてもいいと思った。
「だから、何の話なの」
「多分、この先でされるのは、パドマの引き抜きの話だよ。お兄さんもされたからねー。お兄さんが断ったから、パドマのところに話がいったのかもしれないし、そうじゃなくても助けてあげる。その話は、この間断った話より性質が悪い。最悪、パドマ兄が解雇されたら、責任持って嫁にしてあげるよ。心配いらないしー」
「え? お兄ちゃんを嫁にするの???」
「そう! ちゃんと養ってあげるから、大丈夫ー。なんなら、パドマも嫁になればいい。でも、イギーは嫁にしない。あれは、親が面倒を見ればいい」
お兄さんの嫁は養い子の意味なのか、そのまま嫁なのか、パドマにはわからなかったが、ヴァーノンは、青い顔をするばかりで、まったく異論を挟まない。何の話かまったくわからないまま、パドマはイギーの家に連れて行かれた。
イギーの家は、兄が働く商家である。
周辺の特産品を買い漁って、船でどこかに運んで売り捌き、その地方の特産品をまた買って持って帰ってきて、この辺りで売っているらしい。唄う黄熊亭でみんなが飲んでいる酒の半分くらいは、この商家の取扱品だとヴァーノンが言っていたのをパドマは思い出した。
どこまでが家で、どこまでが店で、どこまでが倉庫なのか、よくわからない、とにかく大きな家だった。大通り側は、それぞれ売っているものに合わせた小さなお店になっているので気にしたことはなかったが、家側である裏手に回ると、その大きさが知れる。塀からはみ出た隣も隣も、イギーの家だそうだ。一町すべて家なのかもしれない。もしかしたら、パドマさえいなければ、ヴァーノンはここに住んだ方が楽ができるのではないか。
本来の案内人であるヴァーノンを差し置いて、イレは無遠慮にずんずん侵入していく。その後を兄妹がついて行った。
レストランのように見える建物の前に行くと、前に立つ男にイレが声をかけた。
「やっほー。パドマを連れて来たよ。通してくれる?」
あらかじめ話は通っていたのだろう。話しかけた男に先導され、建物に入ることになった。廊下に飾られている調度品も気になるが、イレの態度の悪さも気になる。自分の不作法はどこまで許されるだろうか、と緊張して、パドマは兄の手をつかんでみたが、兄も顔色が悪いままだった。頼れる人がいないと確信した。
何人でも座れそうな大きなコの字型ソファに座るよう指示され、真ん中に兄妹で座った。座る場所はいくらでも空いているのに、イレは、遠くからわざわざイスを持ってきて、ソファの後ろに座った。前髪とヒゲの所為で全く表情が伺えないが、足を組んで座る様は、お行儀よくは見えなかった。
座り方について話をしようかと思ったくらいで、招待主がやってきた。廊下からバタバタと音がして、急いできたかのような雰囲気である。30歳代かと思われる男女だ。男の方は、少しイギーに似た顔付きをしている。ヴァーノンが即座に立ち上がり挨拶をしたので、イギーの両親だろうか。イレは座ったままなので、どちらに合わせるべきか迷ったが、パドマは立ち上がる方を選んだ。立ち上がったが、挨拶はしない。口を開かない約束だからだ。
「ようこそおいでくださいました。パドマさん。先日は、うちの息子を助けていただいたそうですね。ありがとう御座いました。是非、一度お礼を言いたいと思っておりました」
「とんでも御座いません。妹は、当然のことをしたまでで御座います」
しゃべれないパドマに代わって、受け答えをするのは、すべてヴァーノンの仕事である。元々は、パドマと同じくらい口汚かった兄が、いつの間にか、何語だかわからない言語を習得していた。これはウカウカしていたら、嫁に取られる日も近いかもしれないぞ、とパドマは、どうでもいいことを考えながら見ていた。
「人を呼びつけてお礼とか、おかしいよねー」
パドマの後ろで、イレがとても大きな独り言をずっとつぶやいている。やだー、うそー、信じらんなーい、などと、ずっとつぶやいている。確かこの人は、今日限定でパドマの恋人兼ヴァーノンの夫だった。同じ台詞を返してやりたくなった。
「こちらから出向くべきところを、足を運んで頂くことになり、申し訳御座いません」
などと、いちいちイレの言葉に反応してくれる2人の方が、余程常識的で、立派な人なんだろうなぁ、とパドマは思う。思うのに、ヴァーノンもイレも態度がおかしい。
「今日のね、イレさんの御用向きはさ。可愛い可愛い弟子兼嫁候補の付き添いなんだよね。お礼は、もう済んだかな。デートに出かけてもいい?」
「もう少々お待ちください。本題は、これからです」
「パドマさんは、普段、ダンジョンに入って生計を立てていらっしゃるそうですね。もしよろしければ、うちで働きませんか? こちらで働く方が、安全だと思います」
「是非、よろしくお願いします」「お断りだよ」
ヴァーノンは賛成の答えを返し、イレは反対の答えを返した。イレは他人である。この場合は、ヴァーノンの返事が採用されるのだろう。だが、パドマの心は反対だった。
「お断り、し、ます」
折角見つけた働き口だが、どうあってもここでは働きたくなかった。ここで働くということは、休日返上でイギーに付き合うということである。あんなのを連れてダンジョンに行き、太鼓持ちをして、失敗したら首を切られるなんて、真っ平である。まったく安定した就職先とは言いがたい。
「か、幹部候補生としての採用を検討しております。報酬もできる限り勉強させていただきました。こちらをご覧ください」
イギー母が、紙を差し出してきた。こんなところに高価な紙を使用するとは、怪しさしか感じられない。何やら難しい言い回しで読み取れない部分もあるが、理解できた分だけでも、破格の条件を提示されていた。言葉遣いがおかしな小娘を雇う金額ではなかった。ヴァーノンの顔を見れば、わかる。ヴァーノンより給与が高いに違いない。
「兄妹ともに同じ条件で、雇い入れましょう」
イギーの両親は、とても優し気な笑顔を浮かべている。だが、子どもとはいえ、おかしな話をされているのは、パドマにだってわかった。
「イレさん、お兄ちゃんに、この上出せる?」
「楽勝だよ。その給与にプラス全日休暇で自由行動で、どうかな」
「ありがと。イレさんの嫁になる方がお得みたいなので、お断りします」
その後も、しつこく勧誘されたが、イレが黙らせてくれたので、なんとか帰ることができた。
「ごめんね。明日から働きにくくなったら、イレさんの所為だと思うけど、あんな怪しい話は、受けられないよ」
「いや、いい。最悪、俺もやめる。妹を使って仕事をつなぎ止めるのは、おかしい。悪かった。反省した」
ヴァーノンは、納得しているような顔をしているが、まだ顔色が悪い。
「イレさんも勧誘されたんでしょ? あれ、なんなの。ダンジョンに入ってる人なんて、いくらでもいるのに」
「パドマを幹部候補生として恥ずかしくない人間に育てたら、心置きなくイギーの嫁にできるからだ」
「は? イレさんに惚れて、断られたから、ウチを嫁にするの? おかしくない?」
ヴァーノンを嫁にしようと考えているイレもおかしいと思っていたが、イレを嫁にしようと企むイギーもおかしい。類は友を呼ぶと言っても、そんなのは自分の周囲に大量発生しなくていい。ヒゲ面ジジイに断られた代わりに、お前を嫁にもらってやるよ、と言われたら、どんなイケメンの言葉でも喜べないのに、相手はイギーだ。ない。
「お兄さんが頼まれたのは、保護者だよ。ダンジョンで死なない様、監督することを頼まれた。パドマならともかく、あんな面倒なのをみてやる義理はない。親が躾ければいいだろう。親が一緒に入ればいい。
パドマ兄がダンジョンに入るのには反対しないが、イギーを連れてくるなら、パドマをさらって深階層に逃げるから、覚悟しろよ」
「断りきれる気がしないので、そうしていただけると助かります」
「イレさん、ネックレスをお兄ちゃんにあげてもいい?」
「ダメ。絶対に嫌だ」
そう言うと、イレは、緑と紫と透明の石が連なったブレスレットをパドマとヴァーノンの手首に付けた。
次回、兄と2人でダンジョン。