89.情けない兄と尊敬される兄
蓮の会の功績を持って、パドマはトンボ狩りのおねだりに成功した。ヴァーノンは、首を縦に振らなかったので、執事おじさんのところに相談に行った結果、パドマを連れてダンジョン内を案内するように、という業務命令が下ったのだ。持つべきものは、権力者のお友達である。
「何階層に行くとは、約束していない」
と、ヴァーノンは突っぱねているが、時間がかかるか手間がかかるかだけで、最終的には折れると、パドマは信じている。面倒臭くてつい頼ってしまったが、多分、執事おじさんの介入がなくとも、兄はいずれ落ちていたのだ。
「ムササビを一緒に見よう、って約束したのに」
と、寂しそうな顔をしてみせただけで、39階層行きは決定した。40階層のミミズはべたべたするだけだし、ハネカクシさえ突破すれば、トンボはすぐそこだ。ヴァーノンだけなら、なんとかなる。問題は、イレと師匠だ。
一緒に朝ごはんを食べた後、ダンジョンに行く道すがら、イレに釘をさされた。ヴァーノンだけでなく、イレもダンジョン攻略の障害になっている。パドマは、常々面倒臭いと思っていた。
「ムササビまでなら、ギリギリOKかもしれないけど、ハネカクシはやめておきなよ。パドマだけじゃなくて、お兄ちゃんまで傷だらけになっちゃうよ」
誰に問い詰められても、パドマはケガをした経緯は、秘密にしていた。素直に言えば、そこに行くのを反対されるのが、目に見えるからだ。なのに、イレは、あっさりとバラしてしまった。パドマが睨みつけてもむくれても、一切気付いてもくれないし、止まってくれなかった。
「ハネカクシ? それが、パドマのケガの原因ですか?」
「そうだよ。聞いてないの? 体液にふれるとかぶれるのに、ビシバシ斬って走り回るから、傷だらけになっちゃったんだ。絶対、連れてっちゃダメだよ。パドマは、ちっとも言うことを聞かないからさ」
「いくら聞いても、教えてくれなくて。そうですか。ハネカクシですか。、、、絶対に殺す」
ヴァーノンに、スイッチが入った。剣の柄に手をかけて、凶悪な顔をしている。
「え?」
パドマは、41階層行きのチケットを手に入れた。もう誰もヴァーノンを止めることはできないから、ついて行けばいいだけだ。
今日は、トンボ狩りに行く予定でいたので、パドマの武装は軽量化がはかられている。ダンジョンに入るなり、走り始めた。
「な?! ここから、ずっと走るのか?」
「そうだよ。帰りに駆け上がるのはシンドイから、行きに、できるだけ走って時間を短縮するんだよ。じゃないと、お店の開店に間に合わないし、お兄ちゃんが怒るでしょ?」
パドマは、走りながらも剣を振り回し、道を切り開きながら進んでいく。ヴァーノンも、最初は並び立ってパドマの補助をしていたが、段々と付いて行くだけでいっぱいいっぱいになり、もう置いて行かれる、と思ったところで、パドマの足が止まった。
「ほら、お兄ちゃん。あれだよ、あれあれ。めっちゃ大きいよね」
飛び付いてきたパドマを、勘弁してくれと思いながら受け止めつつ、ヴァーノンは座り込んだ。目の前には、やたらと大きなムササビっぽい何かと、見覚えのあるモモンガが、ぱたぱたと宙を飛んでいた。
「あの、ムササビ、は、鳥、なのか?」
「あ、やっぱりお兄ちゃんも、そう思った? あの動きは鳥だよね。師匠さん、上の方に登って、卵探ししてきてよ」
ヴァーノンは、半分死にかけているのだが、パドマは、多少呼吸が乱れている程度で、まだまだ元気そうだった。それが、ヴァーノンは、たまらなく悔しかった。毎日ダンジョンに通う妹は、体力が付くのは当たり前だし、ないと困る。それでも年齢や性別を加味すれば、自分の方がまだ上だと信じていた。だから、悔しい。
心の声が、駄々漏れていたかもしれない。パドマが、ヴァーノンを困ったような顔をして見ていた。
「また変なこと考えてるでしょ。ウチが、お兄ちゃんに敵うことなんて、何もないからね」
「だが、俺より走れるようだ」
そんなことを言うのは、格好悪いと思ったが、事実である。それを指摘されると、パドマは呆れ顔に変わった。
「そんな鎧着て走っておいて、何言ってるの? ウチなんて、剣1本持つだけで、後は全部置いて来たのに」
「置いてきた?」
そういえば、さっきパドマが飛び付いてきた時に、受け止められたのが、まずおかしかった。パドマは、年相応のそれなりの体重の上に、かなりの重量の服を着ている。完全装備でいる場合、ヴァーノンの体重に匹敵する。もしかしたら、パドマの方が重いかもしれないくらいだ。こんなによれよれの状態で、気軽に受け止められるものではない。
「あ! 今のなし。秘密秘密」
パドマが慌て始めたので、ヴァーノンは、パドマの両脇に手を差し込んで、持ち上げてみた。
「軽いな。着込みも、防刃機能付きとかいう服もなしか」
「絶対遅刻しないで帰る方法を考えたらさ。こうするのが一番かなーって。皮に次ぐいい狩場を探してるんだ。売り過ぎちゃったからさ」
「酒場の手伝いは、2日に1回でいい。だが、きちんと毎日、帰ってきて欲しい。頼むから、もっと自分を大切にしてくれ。それが、何よりも守って欲しい願いだ」
ヴァーノンは、パドマを下ろすと、困った顔で、頭を撫でた。
「う、んー?」
パドマの襟首をつかんだ師匠が、フロアに向かって投げ飛ばし、飛んで行ったパドマをイレがキャッチして、階段に戻ってきた。
「師匠、危ないよ! っつ、いたーっ!」
パドマは、イレの腕にナイフを刺して、階段の上に落とされた。階段に落ちた衝撃を無視して、ヴァーノンの下に這って行き、左足にしがみ付く。その様子を見て、パドマが何でそんなことをしてしまったか、男たちは、理由を察した。パドマは、小刻みに揺れているだけで、動かない。
「大変申し訳ありません」
ヴァーノンが口を開くと、
「こちらこそ、落としちゃって、ごめんね。お兄さんの傷はすぐふさがるから、気にしないで。パドマは、ケガしてないかな?」
と、イレは答えた。
折角、走ってきたのに、パドマ復活待ちで時間を浪費した。イレの傷は、それほど深くなかったのか、少し止血して傷薬を塗れば、わからないくらいになっていた。傷がなくなったところで、パドマの罪は消えないのだが。今この状況で本人を叱っても、受け入れられるかどうかもわからない。困ったなぁと思っていたら、またパドマに向けて師匠の手が伸びてきたので、ヴァーノンは、パドマを抱き上げてガードした。
「やめてください」
すると、師匠はパドマを引っ張り、ヴァーノンを蹴飛ばして、力づくで取り上げると、下階に向けて逃げて行った。速すぎて追いつけないが、ヴァーノンは、気合いだけで追いかけた。
ヴァーノンは、次の階層の階段の下で、師匠に追いついた。師匠は、あと一歩でフロアに降りるというところで、座って、膝の上にパドマを乗せていた。パドマは、悲鳴をあげながら、師匠にしがみついて泣いている。すぐそこに迫るようにいるミミズが嫌なのだろう。パドマの行動はわかる。イモリを見た時と同じだった。だが、師匠は、ヴァーノンの姿を見て、勝ったかのような見下すような顔をして見上げてくる理由がわからなかった。しゃべることができるなら、「ふっふーん」とでも言いそうな顔を向けられていた。
「イモリ恐怖症が酷くなりそうなので、やめてあげてくれませんか?」
と、ヴァーノンが言うと、師匠ははらはらと泣き出した。パドマが下に落ちそうになっていたので、ヴァーノンはそっと抱き上げた。
ヴァーノンは、10数えて呼吸を整えると、そのまま走り出した。すると、イレが先導してくれた。
「こっち、こっち。ミミズは、白いのを飛ばしてくるから、避けてついてきてね」
「はい。ありがとう御座います」
どうにも遠回りをしているような変な道を通らされたが、無事ミミズ階を抜けることができた。ここまで来れば、そのうちパドマも正気を取り戻すだろう。ヴァーノンは、適当な場所にパドマを置いて、41階層を覗いてみた。
黒と赤の大きなアリのようなモンスターが、3匹じっとしているのが見える。巨大トカゲを軽く倒すパドマがケガを負わされるのだ。それなり以上の強さを持っているのだろうが、ヴァーノンは、構わずにスタスタと降りようとして、イレに腕をつかまれた。
「だあーかーら、危ないからやめろって、言ったよね。兄妹揃って、耳が付いてないのかな?」
「離してください。心配はいりません。今なら、パドマは見ていません。何が起きても問題ありません」
「そのバレなきゃOK思想も、そっくりだな! なんで人の話を聞けないの?」
「今日は、業務命令で来ています。新星様に、トンボの見学をして頂く案内をする仕事です。止めても絶対に、パドマは行く。どんなに反対しても、絶対に諦めない。だから、無傷で通れる道を作ります。パドマは傷を恐れない。傷がついたら嫌なのは、パドマじゃなくて、俺だから。だから、道を作るんです。パドマが傷を負うなら、俺が傷付く方がマシだと思いませんか?」
ヴァーノンは、常識を語るように、まっすぐとイレの顔を見ている。一般論的には、女に傷を負わすより男が戦えという人もいる。だが、この場合は、2人とも戦わない、というのが正解だとイレは思う。ストイックにダンジョンに挑戦する必要はない。
「そうやって、一緒に生きてきたんだね。だから、パドマ兄は、抱っこしても刺されないんだね」
イレは、寂しそうな顔をして、ヴァーノンの腕を離した。2人に血縁がないのであれば、ヴァーノンもイレも、パドマにとっては大差ない存在だと思うのに、そこに大きな壁がある。
「それは、大変申し訳ないことを」
「いいよ。お兄さんもパドマを落としちゃったし、そもそも師匠が悪いんだし、気にしないで。パドマ兄なら、刺されてもパドマを落とさなかったんだろうなぁ。すごいなぁ。尊敬するよ」
「いえ、妹を嗜められない情けない兄です」
ヴァーノンは、困った顔をした。気持ち悪い兄妹だとバカにされても、今更、パドマを放ることはできないのだ。パドマが生まれた日、初めてパドマを抱いたあの日から、妹への愛情はずっと変わらず持ち続けている。両親不在の今、依存していると言っても過言ではない。パドマも大分甘ったれだが、ヴァーノンも甘えられることで支えられているのだ。
「しょうがないよ。パドマは可愛いもんね」
「そうなんです。いつまでも大人になる気配がなくて。他に家族がいないし、何があっても家族だと言い張れるものもないから、迂闊にケンカもできません。では、行ってまいります」
ヴァーノンは、古い剣を抜いて、イレとの会話から逃げ出した。大分恥ずかしい言葉を発したらしく、耳が赤い。若いなぁ、とイレは眩しく感じた。
「やっぱり否定しないのか」
イレは、誰にも聞こえないような小さい声で、ぼそりとこぼした。
次回、トンボ。