79.花飾り
朝、師匠との集合場所に行くと、パドマは、師匠に髪をねじりあげられた。
「痛いいたい痛い。何?」
師匠が勝手を働くのはいつものことだが、パドマは少しも許したことはない。いちいち指摘するのも面倒にはなっているが、許したことはない。特に、痛みが発生することに関しては、本気でやめて欲しいと思っている。
「今度は、髪飾りを作ったみたいだね。似合うよ。可愛いよ。流石、師匠だね」
イレは、状況説明をしてくれたが、師匠に殴られていた。パドマは、自分が褒められたのだとしたら、師匠よりも先に殴りたい気持ちになったことだろうが、誰を褒めたか全くわからず、どっちだよ、と思っている間に、師匠に先を越されていた。流石、どこまでもモテない男だ。褒め言葉を口にしても、誰を褒めているのか、伝わってこなかった。
「師匠さん、どんなの付けたか、1回外して見てもいい?」
手で触ると、かなり大振りの布製の何かが右耳の上の方についているのがわかるが、何がどうなっているのか、まったくわからない。
師匠は、またしても自分にも髪飾りを付けて、首を横に振ると、イレの頭にも髪飾りを付けた。
イレの頭は、白い小さな梅が3輪つけられただけだったが、師匠の頭には、アネモネやらアジサイやら、アグロスティスやらが咲いていた。くすんだピンクやグレーの花は、おしゃれかもしれないし、似合ってはいるが、まず似合うこと自体が微妙だ。師匠は誰よりも可愛いが、アラフォー以上のおっさんのハズなのだ。
そして、パドマに付けられた飾りは、師匠が付けているものよりも大きい。何を付けられているのかわからないという状況が、不安を誘う。いっそ悪口でも書かれているなら嬉しいのだが、飾られているのだろうな、と思うと、パドマの心は沈んだ。
「花飾り、なのかな? 今日は、ダンジョンに行くつもりなのに、壊れちゃうよ」
「いいんじゃないの。知ってて作って来てんだし。壊れたら、きっと直すか新しいのを作るかしてくれるよ」
師匠におなかを殴られて、転がされていたイレが起き上がって言った。だが、師匠は、また首を横に振っている。
「頭に一撃もくらうな?」
パドマが、恐る恐る口にすると、師匠は大輪の微笑みでうなずいた。
「マジか。ハードルが上がってんじゃん」
少し前の師匠は、敵を倒しさえすれば、他は割と寛容だった。パドマがケガをする主原因は師匠であるためか、ケガの有無は問われなかった。
だが、少し前に負ったケガは、止血しても復活するし、治っても治っても何故か再び同じところにケガが復活して、どうにもならなかった。師匠も、治療が嫌になったのだろう。気持ちはわかるが、ダンジョンで戦うのに無傷で済ますとは、約束はできない。痛い思いをしたくはないので、いつでも努力はしていたが、守れてはいない。
流れで、うっかりとタカを倒せることに気付いてしまったので、今日も練習するつもりでいたのに、ケガなしでと言われると、自信がない。あの時、後ろに補助がいなければ、立っていられたかどうかも怪しいものだし、その上、単独で制圧できるグラントが、パドマの護衛をしていたからこその賜物だった。
師匠がグラントの代わりを務めてくれたら、無傷でいられるだろうが、そんなことは期待できない。理解不能すぎて、チンピラより信頼できないのが、師匠なのだから。
朝ごはんを食べて、弁当をもらって、ダンジョン内を歩いて。どこへ行っても、パドマの髪飾りは褒められた。馬子にも衣装な褒められ方なら我慢できたが、そうではなかった。パドマは、何をするにもやる気を失って、武器も抜かずにとぼとぼと歩いた。狩場に着くまでは、敵は師匠が沈めてくれるから問題はないが、全てを任せきりにするのは、久しぶりのことである。最近は、パドマが1人で走り回って暴れることの方が多かった。
「パドマ、どうしたの?」
明らかに様子がおかしいパドマに、イレは声をかけた。髪飾りを付けて以降に様子が変わったのだが、それには気付いていない。
「花飾りをイレさんのと交換したい」
すぐそこでアシナシトカゲが暴れているのだが、パドマは見もしない。うつむいて歩き続けている。見なくても戦えるのがパドマなので、見る必要もないのかもしれないが、交換したいと言う割に、イレの飾りも見ていなかった。
「え? お兄さんの頭に、そんなに可愛いのが付いてるの? お兄さんのをパドマにあげる分には構わないけど、パドマのをお兄さんに付けたら、師匠はきっと怒ると思うなぁ。それが似合う自信もないし。あげるだけでもいい?」
「これ以上の飾りはいらない」
「そうだね。それだけで充分いいと思うけど、反対側には何もついてないし、飾りを増やしてもいいかもしれないよ」
イレは、なんとかパドマの機嫌を直そうと、必死に言葉を探した。あまりにもズレすぎているので、機嫌は直らなかったが、更なる怒りも買わずに済んだ。
パドマは、イレを見上げて、ため息をついた。
「イレさん、ちょっと座ってくれない?」
「え? ここで? なんで?」
安全地帯でもないのだが、イレは大人しく座った。トカゲよりも、パドマの機嫌を損ねる方が、余程怖いからだった。
「やっぱりだ」
イレの髪飾りを取り上げたパドマは、何ごとかを呟いていた。騙し討ちをしてまで欲しい髪飾りだったのか、とイレがパドマを見上げると、パドマは目を潤ませて、パドマの髪飾りをイレの頭の上に乗せているところだった。少し前に、やっと震えるのをやめてくれるようになったところだったのに、また震えていた。
「そんなに嫌なら、付けなくていいよ。一緒に師匠と戦ってあげる」
「すごい嫌だ。この飾り、イレさんの頭には付けられないんだよ。髪にある程度の長さが必要なの。これって、髪を切るな、ってことだよね。絶対に嫌だ」
パドマが、そのままペタリと座った。下を向いて、頭をイレの腕に頭突きさせている。イレからはパドマの表情を伺えなくなったが、泣いてはいないと思う。
「そっか。何がしたいかわからなかったけど、そういう意味だったんだ。でも、なんでそんなに髪を短くしたいの? ちょくちょく切るより、伸ばした方が楽そうじゃない。師匠は、寝癖がつくと直すのが大変だから、って理由で伸ばしてるんだよ」
「世界一嫌いな人に、、、褒められたから」
聞き取るのが難儀なほど、小さな声で、パドマは言った。褒められて拒絶反応を示すなど、重症である。だが、イレには、そんな相手に心当たりがあった。その人が該当人物だと思うと、自分のしでかした罪の重さに嫌になった。
「お父さんか」
「比べ物にならないくらい、もっともっと嫌いな人。イモリよりも何よりも嫌いな人」
パドマが、イレの袖をぎゅっとつかんだ。パドマは、袖だけのつもりでつかんでいるのだろうが、少し肉も持っていかれているので、イレはやめて欲しいと思ったが、やらかしてしまったことを思い出すと、何も言えない。
直視できないほどに嫌っているアシナシイモリ以下と評された父親を、ダントツで突き放す最低評価の人間がまだいたなんて。
別の機会に、パドマは減点方式で人物を評価すると言っていた。つまり、とても嫌われるためには、それなりの付き合いの長さが必要になる。1番古い付き合いの兄は、大恩人だと言っていた。次に長い付き合いのある人間は、イレも内包される唄う黄熊亭関係者だろう。その中でなら、嫌われることを沢山している方だという自覚が、イレにはあった。好かれてはいないとは思っていたが、そこまで嫌われているとも思っていなかった。可愛がっていたつもりの小さな生き物に、圧倒的な嫌悪感を向けられることに、恐怖を感じた。
「えっと、それ、お兄さんじゃないよ、ね? パドマは、短くしても可愛いから、どんな髪型でもいいと思うけど、剣でザンバラ頭にするのだけは、やめようね」
イレの声が、かすれてすべった。気を遣って、気をつけて言葉を選んだつもりなのに、パドマの声にはトゲが生えた。
「丸刈りにしたくなった。丸刈りって、どうやればいいのかな。剃ればいいのかな。難しそうだけど、頑張ってやってみるよ」
「髪の毛なんて、放っておけばすぐに伸びるし、やりたければお兄さんが剃ってあげてもいいけどさ。そこまでしたって、結局、可愛く見えると思うよ。何が気に入らないか知らないけど、諦めなよ。師匠を見ればわからない? ボロをまとわせたって、髪の毛をむしったって、ジジイになったって、絶対、可愛いままだよ」
「あんな妖怪と、一緒にしないで欲しい」
「お兄さんの目は曇ってるから、同じように見えるんだ」
パドマは頭を上げて、目を見開いた。握りしめられていた袖も、解放されている。
「何それ。納得しかない」
「ひどい!」
パドマはくすくす笑って、白い梅を自分の頭にくっつけた。
「イレさんが、羨ましがってうるさいから、渋々交換してあげるね」
「ああ、もう。めちゃくちゃ嬉しくて震えが走るよ。ありがとう。お兄さんが死んだら、墓にはイケメンだった、って刻んでおいてね」
「うん。モテモテすぎてみんなが困ってたって、書いとくよ」
師匠は、両手で口を押さえて、肩を震わせてパドマたちを見ていた。飾りを交換したことには不満を見せなかったが、イレが飾りを取ることには反対し、ピンを沢山出して、ガッチリ頭に止めていた。
元パドマの髪飾りは、根本から花弁の先に向かって桃から紫に色変わりする透き通った美しい大振りの蓮の花を中心に、色とりどりのピンポンマムや白い梅の花、真珠まで散らされたかなり豪華な作りであった。見た人が褒めてくるのも納得の存在感だった。
「師匠さん、随分とすごいのを作ってくれたんだね。ありがとう。でも、恥ずかしくて付けられない。ごめんね」
師匠は、ふわりと微笑みながら猫の手で、パドマの頭を撫で回した後、元イレの髪飾りを付け直した。
梅が3つの髪飾りは、蓮の髪飾り用に作った梅の余りに見えるように制作された余りではない髪飾り。
次回、続タカチャレンジ。