69.縛られた
次の朝、いつもの待ち合わせ場所である唄う黄熊亭の前に行くと、師匠はパドマをイレの横に並ばせた。そして、イレの左腕とパドマの右腕を合わせて紐でぐるぐると縛り上げ、去って行った。
「何がしたいんだろう」
パドマは、ナイフで紐を切ろうとしたら、イレに止められた。
「パドマ、今解くから、切るのはやめよう。師匠に見つかった後が怖い。あくまで、自然と取れたと言い張る方がいい」
「流石、兄弟子。縛るのは、よくあることなの?」
「お兄さんは、師匠には従順な良い子だったから、縛られたりしないし、師匠も人を吹き飛ばすことはあっても縛るなんて、しないんじゃないかな。なんだろうね」
パドマとしては、解放されさえすれば、切るのでも解くのでもどちらでも良かったが、待てど暮らせど解放される気配がなかった。
師匠は、簡単には解けないように、ぎっちりと固結びをしていったのだ。イレが頑張っているようなのは認めるが、頑張ったらなんとかなるものでもないだろう。
「片手じゃ無理なんじゃない? 切るのがダメなら、せめて両手を使える人のところに行こうよ。足は無事なんだし」
「そうだね。その方が早いかも。誰に頼もうか」
「あっちに師匠さんの息がかかってない暇人がいるよ」
2人で並んで、てくてく歩いた。イレとパドマでは、足の長さがかなり違う。イレはゆっくり歩こうと努力するし、パドマは速く歩こうと気を遣うので、まったく足並みが揃わなかった。他人と歩調を合わせて歩くのは難しいものだね、と話しながら歩くと、すぐに目的地についた。
「弁当屋さーん、紐取って!」
着いたのは、ダンジョンセンター前のパドマの兄の弁当屋だった。
「あの子は、今仕事中だし、暇人ではないんじゃないの?」
「だって、近いんだもん。確かに、ジュール史上、最も人の役に立ってる瞬間かもしれないけど、しばらくイレさんが売り子を交代すれば、ヤツは暇になる」
丁度、目的地方向にいるのがわかっていて、迷惑をかけても気に病まないでいられる存在など、そうはいない。あまり顔を見たいとは思わないが、大切な人の手を煩わせることを思えば、我慢はできる。
「パドマは、やらないの?」
「釣銭の計算は、難しいしさ。利き手は縛られてるしさ。あそこの店は、兄の店なんだよ。兄弟子のイレさんの方が、向いてるよね」
酒場の手伝いの折にも、釣銭の計算はしていない。手伝いをする中で、ダンジョンのポイントを数える中で、買取品の窓口に通う中で、ペンギン施設の運営を検討する中で、段々と大きな数字の計算もできるような気になってはいるが、苦手であることは間違いない。
一般的な人の聞き腕である右手は、縛られて使えない。加えて、パドマの兄の店なんていう屋号の店で、愛想をふりまきたくない。つまりは、やりたくないだけだ。
「本当に、口が達者になったね。左利き寄りの両利きのくせに。いいよ。やるよ。しばらく店番代わるから、この紐を取ってくれないかな。頼むよ」
イレが手を上げて見せると、ジュールはナイフを出したので止めた。
「ごめん。この紐、大事な紐だから、切らないでくれるかな」
「はい。どうしてこうなったか、聞いてもいいですか?」
「イタズラされて、困ってるんだ」
男2人で紐について語り合っているのを無視して、パドマは片手で器用に弁当の包みを開けて、食べ出した。丸い揚げパンが2つ入っていたのだが、片方はトカゲ肉まんで、片方は卵とチーズが入っていた。最近、時々弁当を食べていなかったのが、バレていたかもしれないと、パドマは冷や汗をかいた。
「やっぱり左手1本で、何も困ってないじゃん。手伝ってよ」
「パドマさんが食べるのが1番の宣伝だから、いいんですよ」
「何甘やかしてるの?」
師匠を際限なく甘やかしているイレなので、パドマも勝手にしようとしたのだが、許してはくれないらしい。やはり、パドマでは可愛さが足りないのだろう。いくらもしないで苦情が寄せられたが、何故かジュールが応戦してくれたので、パドマは、そのままもぐもぐと卵チーズピロシキを頬張りながら、眺めさせてもらった。
「ここは、パドマ兄の弁当屋なんですよ。パドマさんに売り子をさせると、そっちばっかり人が並んで、おじさんの前に来る人はいません。助け合いは、できないんです」
「お兄さんだって、イケメンだもん」
「百歩譲ってそうだったとして、男客相手にそんなものが何の役に立つんですか」
パドマは、弁当を食べ終わってしまったのに、まだ紐は解けていなかった。イレと離れられないのも困るが、ずっとジュールに触られているのも、不快に思った。
「おっさんなんて、放っておいていいからさ。紐に集中してくれないかな。そろそろ限界なんだけど」
「姐さん、何やってんの? え? 泣いてない?」
ハワードが目付きの悪い男を4人従えて、パドマのところにやってきた。
「ひどいんだよ。紐で縛られちゃってさー。この人たち、全然取ってくれないんだよ」
イレは頑張っていた、と認めてもいい。だが、ジュールは、パドマの腕をつかんで、おっさんとくっちゃべってるだけだ。迷惑をかけても気にはならないが、能力値が低い件に関しては、もう少し考慮するべきだった。パドマは、自分の選択を後悔した。
「何だそれ。そんなん切っちゃえば、良くね?」
ハワードは、止める間もなく、素早くナイフで紐を切った。
「「あー!!」」
イレと、ジュールは、絶叫した。パドマは、喜んだ。
「よし、よくやった! 外すつもりはなかったけど、通りすがりのチンピラに切られちゃったのは、仕方ないよね? イレさん」
「ああ、そっか。そうだね。切れとも言ってないしね」
「なんだ、それ。切っちゃいけないものだったのか?」
ハワードは、ナイフを仕舞って、恐々と聞いた。パドマは仕えるべきボスだが、人間性に信頼がおけるかと言われれば微妙だからだ。大筋は信用しているし、心酔してもいいと思っているのだが、ふざけ始めると、その範疇から外れることを体験したことがある。
「ありがとう。ハワードちゃん」
パドマは、渾身の笑顔と共に、お礼を言った。パドマがそんな表情を見せる相手など、いくらもいない。イレは、不思議に思った。
「ちゃん? その子は、パドマの何なの?」
「妹」
「妹? 絶対違うよね。男な上、年上じゃないの?」
「そっか。妹だと服だの武器だのを支給しないといけないのか。ダルいな。じゃあ、弟でいいや」
「何の話?」
「ダンジョン内で、敵と戦わせたり、気軽に蹴飛ばしたりしてもいい人!」
イレは、ようやく気付いた。師匠とパドマの関係を、パドマはなぞろうとしているのだ。パドマは、師匠のおかしなところをマネするのが得意だが、それは覚えなくていいところだ。
「それをやると、暗殺を仕組まれたり、ペンギンを食べさせられたりするんじゃないの?」
「ちゃんと殺してくれるなら、別に不満はないけども」
パドマは、あっさりとした顔で、小首を傾げた。
「なんで? ダメだよね!」
「そうだね。今のところ、そんな信頼はないから、任せられないね」
パドマは、真面目な顔をして、繰り返し頷いている。死ぬこと自体にはこだわりがなく、信頼がないから殺される選択はしない。イレは、パドマの言う意味が理解できなかった。
「姐さんを殺したりしたら、街中から袋叩きにされるじゃん。やらねぇよ。言うこと聞いて、ダンジョン行ってくるし、マジ勘弁してくれよ」
ハワードは、パドマが意味不明なことを言う子どもだという理解をしていたので、慌てもしなかった。頭のおかしな人間なら、ハワードの周りには沢山いた。それらに比べれば、パドマは、まだマシな部類だった。
「もう行くの? そこまで頑張んなくていいし、無理そうだったら、引き返してきていいからね」
パドマは、恐らく本心から、そう言っている。ハワードたちの過去の過ちも、一切問われてはいない。失敗に寛容な人物なのだろうと思われるが、組織の他の人間はそうではない。失敗すれば制裁が待っているし、下に落とされる。こんなに小さいボスに、それらから助けてもらうなんてみっともないことは、頼めない。
「不吉なこと言うなよ。手ぶらで帰ってきたら、格好悪いじゃねぇか」
「適当に違うものを持って帰ってくればいいじゃん。他の美味しい物だって、大歓迎だし。しくじっても、何度でも成功するまで送り込んでやるから、安心して失敗してきなよ」
パドマは、ダメで元々だと思っているのだが、ハワードは、自分たちを気負わせないための愛情だと思っている。まったく噛み合わないまま、会話だけが成立していた。
「ぜってー成功して来っからな。見てろよ!」
ハワード他3人は、ダンジョンに行ってしまったので、パドマは、ぼんやりしていたヤツに弁当を持たせて送り出した。
「で、あの子たちは、何なの?」
「チンピラの功名心に火をつけて、真珠拾いを頼んでみた」
それが、パドマの正真正銘の真実だ。本当に実行されるかは不明だが、チンピラの人数が多すぎて、ペンギン飼育だけなら余ってしまう。他に仕事があるのなら、どんどんそちらに割り振って、金を稼がせなければ、またパドマが養わなければならなくなる。それを回避するために、仕事を思いついたのだ。
「え? パドマも真珠が好きなの?」
「嫌いな訳ないよね。ぼったくり価格で、飛ぶように売れたんだよ」
「ぼったくり?」
「師匠さんが、いらないってくれた丸くない真珠に穴をあけて、フライパン屋に作ってもらったTピンを刺しただけで、土産屋で売れたの。1つあたり中銀貨が数枚もらえたんだよ。ダンジョンセンターに持って行ったら、小銀貨1枚にもならなかったんだよ?」
夢のような話だった。フライパン屋をかませれば、苦情はでないし、更に金にまでなるのだ。自分の小遣いは増えないが、減る心配はしなくて済むなら、有り難い話だった。
「パドマさんが、首から下げて歩いてるからですよね」
「そうなんだよ。こうやって首から下げるものなんだよ、って手本を見せるだけで商売として成立するなんて、お手軽すぎてやめられないのに、商品がなくなっちゃって、ガッカリしてたの」
暗殺武器を装備していた首に、今はバロックパールのペンダントを下げている。売り上げに響くので、色や形は、日によって変えている。お気に入りのペンダントもあるのだが、それを身に付ける余裕はない。
「もしかして、パドマさんは、何で売れているのか、気付いてないんですか?」
「気付いてるよ。新星様人気だよ。そんな物、とっとと地に落ちてしまえ!」
ダンジョンセンターで売れない値段で、飛ぶように売れるのだ。パドマも、その原因を認めない訳にはいかなかった。手本ではなく、お揃いだから売れることは、知っている。お揃いを認めたくないから、日替わりで違う物を身に付けるのだ。ぼったくり価格で売るなんて最低! と嫌われる予定でいるのだが、今のところ、苦情が寄せられることもなく、並べただけ売れる。
「それで、高値で売っているのですか。でも、それだけじゃないですよ。パドマさん自体に価値がありますよね?」
「新星様は、同年代の女の子なんて、太刀打ちできないくらい稼ぐよね。嫁にしたくなる気持ちはわかる。だが、嫁には行かない。1人で遊んで暮らしたい」
妙に男がついてくる理由も、パドマなりに考えた。納得できる理由は、簡単に見つけられた。
「確かに、稼ぎもとんでもなかったですが、それに関しては、多分、それほど知られていませんよ。見た目が」
「師匠さんがふざけて、新星様の格好で遊び回ったから、変なことになったんだよ。ウチの所為じゃないし!」
「師匠、そんなことしてたの?」
「してたよ。髪と目の色を寄せて、髪を短くして、ウチのネックレスを振り回して、街中のチンピラをシバキ倒したんだよ。イレさん、本気でウチの仕業だと思ってたの?」
「パドマが、街でまでバトルジャンキーに豹変したのかなぁ、って思ってた。あり得ない話じゃないなぁ、って。何度か止めようと思ったんだけど、パドマが捕まらなかったんだよね。でも、師匠の仕業の方が、しっくりくるかな」
パドマが捕まらないのは、当然だ。チンピラをしばき倒しに出かけていなかったのだから。
「師匠さんの変装で、パドマさんと見分けがつかないというのは」
「うるせぇな。それ以上、傷をえぐるな! ひどい野郎だな。もういい!」
パドマなりに、一生懸命はぐらかしていたのに、ジュールは、いつまでもしつこく追撃してきた。たまらなくなって、パドマは、走って逃げた。
「どこに行くの?」
パドマの後ろをイレがついてきた。
「え? 泣いてる? なんで?」
パドマは、両目から涙を滴らせていた。瞳を潤ませている姿は何度も見たことがあるが、ダンジョン内だし仕方がないよね、と思って見ぬふりをしてきた。だが、今は外にいる。
「ジュールが、大嫌いだから!」
「そっか。じゃあ、弁当屋に行くのは、もうやめようね。食べたかったら、お兄さんがもらってきてあげるから」
「うん。ありがとう。お兄ちゃんのお弁当は、食べなきゃいけないんだ」
「いけないってことは、ないだろうけども」
「ダメなんだよ。妹じゃなかったから。返しきれない恩があるんだ。ウチなんか、本当に、とっとと死ねば良かったのに!」
隠しようもない程に、ぼたぼたと涙をこぼしながら、怒っているようにも見えるパドマの腕をイレはつかんだ。パドマが何に対して泣いているのか、怒っているのかはわからないが、イレにも気に入らないことと言いたいことがある。
「さっきも言おうと思ったんだけどさ、死んでいいことなんかないよね!」
「他に何ができるんだよ。お兄ちゃんにあんなことまでさせて、それでも生きろって、何でだよ。嫌なんだよ。生きてたから、ロクなことにならなかった。お兄ちゃんが死ぬなって言うから、死なないよ。だけどさ」
パドマの剣幕に怯んで、イレが手を離した隙に、パドマは逃げだした。ずっと海方向に走っていたのだが、パドマは、柵を飛び越し、海に落ちた。イレも慌てて、後に続いた。イレが追いつくと、パドマは、海底で剣に魚を突き刺していた。イレは、パドマの後ろ襟を掴んで、水上に引き上げた。
「イレさん、すごいよ。この服、全然、浮かばないの。魚突き放題だよ!」
「それ、死ぬよね。もう海に入るの禁止だから」
イレはすこぶる怒っているのに、パドマは楽しそうな表情を浮かべていた。
「えー、じゃあ、もう1匹獲ってきていい? お昼に食べようよ」
「もう上がります。自分で上がれない人は、黙って大人しくしてなさい」
「けちー」
泳ぐ趣味なんて聞いたことがないのに、パドマは海から出たがらず、まだ暴れて逃げようとしていた。泳げるのであれば少しくらい見逃してもいいのだが、自力で泳げないと自己申告している人間を野放しにはできない。仕方がないから、イレは下手に出ることにした。
「形見の剣が錆びないか心配だから、上がらせて下さい。泣くよ」
「あ、ごめん。早く上がって。置いてっていいし」
パドマは、さっきまで泣いていた。イレは、優しく接しなければと思っていたのだが、優しくしているうちは、意地でもいうことを聞いてくれないのだと悟った。
「上がれ!」
怒鳴りつけたら、パドマは途端に大人しくなった。ずぶ濡れでわかりにくいが、また泣いているし、震えている。イレは後悔したが、どうするのが正解だったのか、わからなかった。
「ごめんなさい」
パドマがイレの背中におぶさったら、イレは崖登りをして道まで連れ戻した。その時点でパドマは下に降りようとしたのだが、足をつかまれてイレの家まで連れて行かれてしまった。
次回、紐で縛られた理由がわかるようなわからないような。