62.ペンギン師弟
「師匠さんのシフォンケーキ最高だったー。お茶味のケーキなんてあるんだね。あれが食べれるなら、今日も血祭りしようかなぁ? でも、フトコロも温めたいんだよなぁ。首刈りかなぁ? どうしようかなぁ」
朝食を終え、ダンジョンに向かう道すがら、可愛らしい口調で物騒なことを言うパドマの横で、師匠は幸せそうな微笑みを浮かべていた。見た目だけなら、幸せの光景だった。可愛い師匠と可愛いパドマが、笑顔で歩いている。それを眺めながら、イレはまだ、パドマの人格矯正を諦めきれないのだが、何をしたら良いかわからず、途方に暮れていた。
「昨日の彼は、誘ったりしてないのかな?」
父親気分に浸りたいイレは、沢山の心配ごとを抱えていた。身なりをもう少し女の子らしくして欲しいし、危険な階層で特攻をするのをやめさせたいし、おかしな交友関係を解消させたいし、暗殺を企むのはやめさせたいし、もう少し自分の評価を上げて欲しい。どれを取っても、言うと怒らせることと、自分が言う立場にないことは理解したが、諦めきれなかった。
「地上の仕事をいくらか任せたから、ダンジョンには来ないと思うけど、有能っぽいから、どうだろうね。さっさと仕事を片付けて、合流してきたりするかな? お兄ちゃんほどじゃないけど、ウチよりは格上だから、連れてっても邪魔にはならないと思うよ」
仲良くなったつもりの自分でも、誰が見ても可愛らしい生物である師匠でも、得られていない信頼をポッと出の謎の男が得ていることが、イレは何より納得できなかった。娘にすることに失敗したところだが、男ができたり、嫁に出さねばならなくなったりするのは、許せない。
「やっぱり! なんで、そんなに評価が高いの? 昨日の今日なのに!!」
「ああ。加点方式じゃなくて、減点方式だからだよ。イレさんのダメっぷりは3年見てきたけど、グラントさんは、まだ減点は空想上だけだから」
「空想上?」
「多分、過去にロクでもないことをしてたと思うし、腹黒そうな気配もしてるけど、まだ確定はしていない」
想像の埒外だった。恋でもして目が曇っているのかとイレは心配していたのだが、そんな辛口評価を持ちつつも、カエル以上の評価を得ていたとは、驚きだった。
「!? そんな人物と、2人きりになっちゃダメだよね」
「腕っぷしでは負けそうだからリスキーだけど、酒場の手伝いに遅刻するよりは、いいじゃん。こないだやらかして、心配かけちゃったからさ」
「そんなもののためにリスクを負わないで欲しいって、マスターも思ってるよ」
イレは、漸く気が付いた。パドマは、ダンジョン外でも、特攻スタイルだったのだ。確かに、そんな性格でもなければ、師匠に正面切ってケンカを売るようなマネをすることは、ないだろう。ダンジョン外でもストーキングするアイテムが欲しいと、切実に思った。
「そういう考え方もあるよね。イレさんと2人きりになるのは、やめよう」
「お兄さんは、悪いことはしないよ?」
「とんでもなく、子ども心をえぐる嘘を吐く」
「ごめんなさいいぃ」
イレは、パドマより大分長生きをしているのに、言葉では一生勝てないだろうな、と思った。
パドマは、もう臆することはなかった。ダチョウにそろりそろりと寄っていき、唐突に首を斬り上げ、足首を割る。身長と腕力が足りないため、首斬りは仕損じることもあったが、即座に切り返せば、間に合った。どちらかと言うと、斬り損じることよりも、まれに首なしで暴れる個体が発生する方が危険だった。師匠は、ひょいとパドマの襟首をつかんで距離を取り、助けてくれたが、1度攻撃態勢に入ったダチョウを倒すのは困難なので、もう仕留めた物も諦めて、別の部屋に行った。制圧が済めば、皮を剥ぎ、ヤマイタチのリュックに仕舞う。
そんなことを繰り返していたら、下り階段を見つけたので、降りて次の敵の見学をしたが、倒せる気がしなかった。久しぶりに出たウズ高い壁になる予感である。
「何あのふざけたの。あんな生き物がいてたまるか」
羽根付き皮を売却した後、パドマは布屋にやってきた。
「師匠さん、ペンギンのぬいぐるみの作り方って、わかる?」
何をどれだけ買えばいいかわからず、わかりそうな人に気軽に聞いてみたが、聞いた瞬間にパドマは後悔した。師匠は瞳を輝かせ、黒と白の毛皮のようなものと、桃色の皮と、綿と、黒いガラス玉のようなものを、あちこちの店で大量購入し、パドマを引きずって宿の部屋に戻り、荷物を抱えて、イレの家に行った。
師匠は早速と、布にダイレクトで型を起こそうとしているので、パドマは慌てて止めた。
「待ってまって待って! 大きさとか形とかは、もう決めてるの。ペンギンだったら、なんでもいい訳じゃないの。おしりのところから手を入れてね、手でクチバシをパクパク動かすぬいぐるみが欲しいの。できるかな?」
師匠は、10数える程度、動きがピタリと停止したが、顔を綻ばせると、またペンを持って作業を開始した。
「どこの部分を描いてるのか、まったくわからないんだけど、本当にフリーハンドでサイズが合うの?」
今のところ支払いは師匠持ちだし、使いきれないほどの材料を集められてしまった。だが、皮も布も、決して安くはないものだ。無駄にしたくはないものだと、パドマは心配しているのに、師匠は、迷いなく定規も使わず手書きで型を描き、ザクザクと裁断していった。
ある程度布が切れたところで、パドマの仕事が回ってきた。針と糸が、目の前に置かれた。縫うのは、パドマの係らしい。師匠の指定の通りに、縫い合わせた。以前、教えてもらったことがあるので、できないことはないのだが、その時の師匠は、指定したピッチのまま寸分の狂いもなく縫い進めないと、やり直しを強要する鬼師匠だった。雑巾すら、乱雑な縫い目を許してくれなかったのだ。ぬいぐるみは、縫い目が見えないように縫い合わせる物だが、ペンギンのぬいぐるみなのである。絶対に、あの時以上の品質を求められるに違いない。パドマは、細心の注意を払って、丁寧に縫った。
「やったー! できたー!!」
出来上がったパペットは、頭と背中とフリッパーの外側が黒、おなかとフリッパーの内側が白、クチバシと目の周りと足が桃色、目がガラス玉のペンギンになった。適当に書いていたように見えたが、寸分の狂いもなく、かなりリアルなペンギンのフォルムが再現された出来に仕上がり驚いたが、それよりも鬼師匠のダメだしに耐え、仕上がった喜びが勝った。
だが、ふと前を見ると、まだ切られた布地が、積まれていた。どう考えても、今縫い上げた1つ分の布地より多いと思われた。
師匠は、できたばかりのパペットの仕上がりを確認すると、山積みの布地から2枚取って、パドマに差し出した。
「いや、無理だよ。そろそろ酒場のお手伝いの時間だよ。明日やるから! ね? ほら、マスターの美味しい料理が待ってるし!」
師匠は恐らく、何よりも美味しい食べ物が大好きだ。マスターの料理で釣れば、勝利確定に違いない。
「パドマ、何やってんの?」
師匠は、唄う黄熊亭に戻ることを許してくれた。きっと師匠は、お腹が空いていたのだ。満面の笑みを浮かべて歩いて行くのを、パドマは後ろからついて行った。だが店に着き、マスターのところに行こうとしたら、サスマタが許してくれなかった。力づくでイスに座らされた後、裁縫セットが師匠の懐中から出てきたのである。
「ないハズの締切に追われている」
パドマは、渋面でペンギンパペットを縫っていた。手伝いをさせてもらえないのも腹立たしいが、優しさと称して、たまに口に食べ物を詰められるのも腹立たしい。微塵も休憩を許すつもりがないということなのだろう。
1人では、こんなにうまい具合にパペットを作れなかっただろう。だから、感謝する気持ちもなくはない。そんな気持ちも探せば、きっとどこかに転がっていると思う。だが、何故こんなにも必死に作らなければならないのか。これだけ頑張って、あの山積みの布を消化した後で、全部師匠のだよ、と独占されたら、どんな仕返しをしてやろうか。パドマの頭は、そんな内容でいっぱいになった。
「ふふ、ふふふふ」
「パドマも、そんな風にしてたら、普通の女の子に見えるね。冬みたいに髪を伸ばせばいいのに」
イレは、暢気に酒をあおりながらパドマを見ていたが、ヴァーノンは、自腹を切って、果実水とチーズの盛り合わせをパドマの前に並べた。しかし、それはパドマの口には入らず、師匠が消化してしまった。パドマの瞳は、何も映していなかった。
「パドマまで、そんなにペンギンが好きになっちゃったの?」
イレは、そんな言葉を残して、ダンジョンに旅立って行った。
パドマは、就寝時間はもらえたが、また朝ごはんを返上で、ペンギンを縫わされている。知らぬ間に、裁断布は増えていた。布を増量したり、裁断したりする時間があるのなら、自分で縫えばいいものを、針仕事は全てパドマに任せてくれる優しい師匠は、釜戸で何かを作っていた。目を吊り上げながら、パドマは縫い物を進めていたが、少しして、ダイニングテーブルに誘われた。
チーズミルクスープとデザートのパヴロヴァが並んでいた。パヴロヴァは、上にさくらんぼやブルーベリーが飾られていて、とても可愛らしい仕上がりになっている。
「何? 今日は自分で食べてもいいの?」
師匠は、いつもの微笑みで頷いた。
「スープを食べさせるのは、難しいからな。諦めたの、、、か? 師匠さん! 今日は、ダンジョン休んで、ペンギンを作ってていいかな?」
パドマは、デザートまで片付けると、ご機嫌で縫い物の続きを始めた。食べてみて、チーズの存在に気付いたからだ。
おやつ、昼ご飯、おやつと師匠はパドマの機嫌を取り続け、数日後にはイレの家のリビングが、ペンギンだらけになった。最初に作ったパペットはアデリーペンギンだったが、その後、他の種類のペンギンも作り、パペットではない普通のぬいぐるみやら、帽子やら着ぐるみやら、大量のペンギングッズが出来上がった。
作っただけでなく、実際に着てペンギンに変わり果てている師弟に、イレはかける言葉が見つけられなかった。
「何がしたいの?」
次回、ペンギンぬいぐるみが欲しかった訳。