60.パドマの名の由来
カフェでの楽しい朝ごはんの席なのに、パドマはずっとイレに睨まれていた。
昨日は、大人しく抱いて運ばれていたし、ダチョウの皮はぎは遠慮したし、イレに怒られるようなことはしていない。まさか、生肉に不満を漏らしたからではない、と思いたい。
「イレさん、言いたいことがあるなら、言ってくれないかなぁ。まったく心当たりがないんだけど」
パドマは、トーストをかじりながら、睨み返した。
「今日は、ダンジョンで何をするつもりなのかなぁ、と思っただけだよ」
「イレさんが、ウチのダンジョン通いが、気に入らないみたいだからさ。お祭りに行ってくるよ」
「お祭り? 今日、お祭りなんて、あったっけ?」
「ペンギン血祭り。今なら、できる気がするの。もう可愛いのも、見飽きたから。殺れば納得してくれるんでしょ? なら、仕方がないから、大虐殺をしてくるよ」
「え? えっ?」
「イレさんの希望を叶えてあげるよ」
パドマは、薄く笑った。その笑顔から、イレは悟った。嫌がらせを考えているに、違いないと。
「なんとなくだけど、それはお兄さんの希望とは違う気がするよ」
「ダンジョンの先に進みたいなら、ペンギンを倒さなきゃいけないんだよね。皮むきをする子は、怖いから、やっちゃいけないんだよね。女の子は、甘いものしか食べちゃいけないんだよね。
いい加減にしてくれないかな。別にウチは、イレさんの理想の女の子なんて、目指してないんだよ。今まで、ありがとう。すごい助かった。感謝してる」
パドマは、袖からピンクのネックレスを出して、イレの前に置いた。それを師匠が手に取った。師匠の目には、涙がたまって、今にもあふれそうな風情である。
「なんで? なんでなんで?」
「ここ最近、ずっと一緒にいてくれてるじゃん。もういいよ。イレさんは、自分のことをやりなよ。ありがたいけどさ、ダメだと思うんだよ。だけど、それ持ってると、都合良く使っちゃうって言うか、意思に関係なく起動しちゃうからさ。返す。もっと早く返すべきだったよね。ごめんね」
「嫌だよ。言ったよね。パドマに死なれたくないんだよ。可愛い娘だから! いくらでも頼ってくれていいんだよ。お兄さんは、お父さんなんだから!!」
イレは、テーブルを叩いて、立ち上がった。前髪とヒゲの所為で表情を伺いづらいが、目の辺りが湿っていた。
パドマは、シラフのイレの涙を初めて見た。今も酒を飲んでいる真っ最中なのだから、シラフとは言えないが、泣き上戸とは別の涙に見えた。
「は? お父さん? イレさんが、お父さん? マジで? いつから?」
パドマは、驚きすぎて、ごはんを食べるのをやめた。トーストを皿に戻し、いままでのことを思い返した。
イレは、おそらくパドマの母親より年上だ。年齢的には、不足はない。毎日休みなく酒場に来て、いつもパドマの好きな物を食べさせてくれたのは、イレだけだった。高価な物でもホイホイくれて、薪や胡椒を使いたい放題使っても、怒らない。縁結びりぼんを3階層で一緒に食べるなどという、くだらない宣伝にも付き合ってくれた。仕事に差し支えているのに、ダンジョンに行くパドマに付き添ってくれた。パドマがピンチに陥ると、半死半生の風情で駆けつけてくれた。
なんでそこまで親切にしてくれるんだろう、と不思議に思ったことはあった。イレが、ヴァーノンに匹敵するくらいのお人好しで、優しい人なんだろう、と片付けていたが、父親であったのなら、どうだろうか。
髪の色は、似ている。茶色なのか、黒なのか、どちらとも言えない色だ。茶髪の人は沢山いる。ヴァーノンも、ちょっと前のイギーも茶色だった。だが、パドマの髪色は、少し珍しい。茶色に近いので埋没しているが、同じ色は、母とイレ以外、見たことがなかった。顔は見たことがないからわからないが、頑なにヒゲを剃らないのは、パドマに顔が似ているからなのだとしたら?
「ウチの、お母さんの名前、を、知って、る?」
「知らない!」
事実を確認できるかと、試しに尋ねてみたら、胸を張って、堂々と言い切られた。
「え? 知らない? 知らないの?」
「パドマは、まだ子どもだからわからないだろうけど、名前なんて知らなくても、子どもはできるんだ」
普通なら、知らないなりに適当な名前を言ってみたり、どもったりするものだと思われる事象を、胸を張って主張されると、判断に困る。パドマは、最低な発言に戸惑った。
「いや、自分の父親が、母親の名前も知らなかったら、ショックなんだけど。それは、人として、どうなのよ」
「それは、すごく申し訳ないと思う。でも、パドマの名前は、知ってるよ。泥の池の中で清らかに咲く蓮の花のように、困難にぶち当たっても打ち勝つ強く美しい子に育つといいね、ってパドマのお母さんと話したんだ。最初から、父親のいない子にする予定だったからね」
「色々最低だな! 何なんだよ。ふざけんなよ。全部、あんたの所為だったのか!!」
パドマは、走って部屋に帰った。
「パドマ、今日は、何かあったのか?」
商家から帰ってきたヴァーノンが、パドマが布団に潜っているのに気が付いた。パドマは、何かあるとすぐ布団に篭もる習性があると、ヴァーノンは思っている。
「イレさんが、ウチのお父さんだったんだって」
「イレさんが? そんな都合の良い話があるか?」
ヴァーノンは、話しながら鎧を身につけている。妹に不都合がなければ、早いうちにダンジョンに出かけて帰ってこなければならない。
「ずっと親切にしてくれたのは、お父さんだったからなんだよ」
「なんで急にそんな話になったかは知らないが、お父さんが見つかって、良かったな」
「何がいいんだよ。何もよくないよ!」
パドマは、布団から飛び出し、声を張り上げた。
「気に入らないところもあるだろうが、あの人の娘なら、食うに困ることはないだろう。旦那や彼氏には向かないが、父親なら別にいいんじゃないか? でも、本当に父親なのか? 騙されてるのなら、ロクでもない話だぞ」
「それが、最低な話なんだよ。お母さんの名前も知らないのに子どもを作って、父親がいなくても丈夫に育つようにパドマって名前にしたとか言うんだよ。ふざけてるよね」
にこやかに話をしていた、ヴァーノンの声が凍った。凍ったのは、声だけではない。一瞬で表情も急転直下だ。すぐに回復したが、パドマは恐怖を感じそうになった。
「なんだ、それは。最低だな。忘れろ。それは、ウソだ」
「う、そ?」
「パドマがまだお腹に入っていた頃、キレイな蓮の花を見たんだ。だから、名前がパドマになった。そろそろ咲いているかもしれないな。明日は休みだ、見に行ってみるか?」
お怒りタイムは、終わったらしい。いつもの優しい兄に戻った。
「え? ウソ? 嘘なの? なんかすごい剣幕で言われたんだよ?」
最初から、変な話ではあった。都合よく謎の父親が現れたことも、イレの話の内容も、あれもこれもおかしかった。あまりにおかしすぎて、事実でないならそんな話はしないと誤認したが、普通に有り得ない話だったとは。パドマは、騙されていたことが、信じられなかった。
「パドマの名前の由来は、西の池の濃桃色の蓮の花だ。間違いない。近くにハンノキが生えているんだ」
「ハンノキ?」
「ヴァーノンの名の由来になる木だ。それが近くにあったから、パドマに決まった。ヴァーノンの近くのキレイな花。ずっと仲良しでいられますように、きれいに花を咲かせますように。そんな願いをこめて、つけたんだ」
「なるほど、そっちが正解だな。わからないのは、あれは騙す気の嘘か、酔っ払いの戯言のどっちかってことだけだ」
騙されたことに気付いたパドマは、苛立ちを発散すべく、ヴァーノンのお供でダンジョンに出かけた。ヴァーノンの目的は、弁当用のハジカミイオか、ミミズトカゲか、ウインナー用のアシナシイモリを持ち帰ることである。
言わずとも、パドマは承知しているだろうし、ダンジョンに入る前にも説明した。だから、何の問題もないハズなのに、何故かカミツキガメ狩りをすることになった。ヤマイタチが利用できたので、持ち帰りは楽ができたのだが、仕事帰りに行く距離ではなかった。おかげで、帰りが遅くなり、酒場の給仕の手伝いができなかった。
給仕を休んでも怒られることはないが、無断で休めば心配をかける。兄妹揃って、精一杯謝罪した。
「ほうほう、あれが西の池か」
パドマは、夜明け前に家を出て、ヴァーノンに聞いた池の見学に来た。
確かに言われた場所に池はあったが、恐らく池は、他人の家の庭の中だった。花見に行くような話をしていたのだが、他人様の家で花見をするのは如何なものだろうか。時期的なものか、時間的なものか、蕾はあれども花は咲いていないので、今日のところは帰ってもいいかなぁ、とパドマが思い始めたところで、待ち合わせていたヴァーノンがやって来た。
後ろにピンクの頭が見えている。なお一層、パドマは帰りたくなった。
「そんな顔をするな。今日こそ、仕方がないんだ」
目を吊り上げた妹の顔を見て、ヴァーノンはため息をついた。
「何がだよ」
「その家は、イギーの家なんだ。堂々と中に入ろうと思って、家主を連れてきた。諦めてくれ」
「家? でも、だって」
「お前が前に来たのは、うちの本宅だ。親の家だよ。そこは、俺の家。将来、妻子を住まわすための家だったんだが、跡取りになったから、その予定もなくなった。使い道がないから、住みたかったら、住んでもいいぞ」
ピンクのイギーは、今日も脳内に花畑を作っているようだ。微笑みかけられて、パドマは、全身に鳥肌が立った。
「誰がそんな家に住むものか」
「話は聞いた。お前の花が咲いてるんだろう? 俺は、運命を感じたが」
イギーは、うっとりと蓮の蕾をながめている。とうとう脳内の花は、虫が湧いてしまったようだ。
「母子が、あの花キレイだねー、って言っただけだ。日常会話であって、運命ではない」
「俺は納得したぞ。泥の中から、スッと、くるくる巻いた謎の物体が出てきてな。それが開くと、やたらと大きな存在感のある葉になるんだ。その緑も充分にキレイだが、花の赤と白が葉に映えるだろう。花びらが多くて華やかだが、花びらの先は尖っていて、冷たい印象も受ける。神秘的ともとれる美しさだ。お前の名にするのに、相応しかろう」
イギーは、朝から酒でも飲んできたのだろう。これでシラフだったら怖すぎた。パドマは、ヴァーノンの袖を引いて、嫌悪感を顔で表した。
「ここは、イギーの家だと言っただろう。家主が蓮が好きだから、庭に生えているんだ。褒められているのは蓮だ。話半分に聞き流せ」
ヴァーノンが持ってきた弁当を、蓮の庭で食べる予定でいたのだが、商家の跡取りを巻き込んだことで、パドマの周囲が大変なことになった。
まず、座っている席から、おかしい。パドマの感覚では、地べたに座るので充分だった。敷物くらいは敷きたいが、それで良かった。なのに、立派なテーブルセットが用意され、野外だというのに高そうな布を被せられている。日除けの傘まで付いていた。
少し離れた位置で、火を使って、その場で料理を作られたり、茶を用意されたりしている。見ず知らずの立派な身なりの大人に世話を焼いてもらうなど、窮屈この上なかった。坊ちゃんを気軽に誘うと、周囲に多大なご迷惑をかけるとパドマは学習した。
「イギーは、毎日、こんな生活をしていたのか」
なんでも人にやってもらえるのだ。なるほど、道理で、何も知らない何もできないポンコツに仕上がる訳だ、とパドマは納得した。だが、イギーは、顔に不満を乗せている。
「そんな訳がないだろう。うちは商家だぞ? 日々浪費するなど、許されない。これは、俺のための人間じゃない。お前がいるからだ。お前は、この街の英雄だからな」
まさかの食品街の接待再びだった。
「それなら、今すぐやめていい。あれは、ウチに変装した師匠さんがやったことだから。ウチは何もしてないんだよ。感謝はいらない」
「あの愛らしい師匠さんがやったなど、誰が信じるか」
そういえば、イギーも師匠に見惚れていた。一緒にダンジョンに行ったことがあるくせに理解しないなど、思っていた以上に阿呆だった。パドマは、愕然とした。話が通じる気がしない。
「本当に、ポンコツだな! イモリを山盛り担いでスキップしたり、ナイフを乱射してるのを見たことあるよね? あれに比べたら、ウチの方こそ、大した腕じゃないだろうよ!!」
「違う。俺じゃない。世間の誰も信じないだろう。しかも、師匠さんの仕業として感謝してみろ。次の瞬間、殺されているに違いない。だから、街の英雄は、新星様だ」
パドマは、思いもよらないまともな意見に驚愕した。
「イギーが、成長しただと?」
「俺だって、いつまでも子どもじゃない。家を1人で背負って立てるくらいになれば、妻は好きに選んでいい、という条件を提示されて、死ぬ気で勉強に励んでいるんだ。安心して、惚れてくれてもいいんだぞ?」
「いや、無理。これっぽっちも、カスってない」
出自も、見た目も、性格も、能力も、何1つ良い方向に心動かされる物が見つからない。そして、パドマには恋愛をしようという気もなく、玉の輿願望もなかった。イギーが少々まともに近付こうとも、まかり間違ってハイスペック超人に育とうとも、興味を持てる気がしない。ハイスペック超人なら既に身近にいるが、まったく惚れる気配はない。イギーなど話にもならない。
「前はカスってなかったが、今は塵ほどはカスってもいいだろう?」
「いや、教育係の苦労が偲ばれて、感動の涙とともに教育係に惚れてもいいけど、イギーはない」
「どういうことだよ。あいつは、クビだ!」
イギーは怒って、ガンガン酒を飲み始めた。まだ朝である。急に誘われたのだ。都合良く休みの日であるとも思えない。跡取り息子がへべれけで出勤してきたら最悪だなと、パドマは教育係を気の毒に思った。
次回は、楽しいお祭りの時間。兄と別れて、ちょっと男をナンパして遊びに行ってきます。