52.対イレ用技と、対師匠用武器
酒場に帰ったパドマは、皆が用意してくれたタライ風呂で、血を落とした。身体の血も乾いて張り付いて厄介だったが、服に付いた血を落とすのは、気が遠くなりそうだった。頂き物の上等な服だが、廃棄してもいいだろうか。綺麗に血が落ちたとして、もう一度着たいと思えそうになかった。
着替えが済んだら、水とタライを片付けた。一息ついて、酒場に向かって歩いた。
「おっちゃんたち、ありがとう! 感謝の気持ちを表して、小娘が皆に酒を1杯ずつ馳走するよ。ウチの酒が飲めないヤツ以外は、皆飲んでね!!」
パドマは、唄う黄熊亭に顔を出してすぐにそう叫び、マスターにお金を渡した後、次々とエールやワインを運び出した。
パドマと一緒に酒場に来た面々は、内心はともあれ大はしゃぎし、何も知らない客は首を傾げた。
「よっし、お礼にパングラタンを注文しよう。食ってくれ」
「じゃあ、俺は、オニオングラタンスープだ!」
「クワトロフォルマッジ!」
パドマのから元気を察してくれたのだろう。楽しそうにのってくれる常連客の様子に、パドマは笑ってしまう。
「いや、そんなのメニューにないから」
断ったのに、オニオングラタンスープとパングラタンが、タイムラグすらなく提供された。マスターは、エスパーなのかもしれない。
「出てきたよ。なんで?」
「今日は、チーズ祭の予感がして、あらかじめ用意していたからね。商機を逃さないのが、一流の商売人だよ。ヴァーノンが、そう言っていたから、間違いない」
マスターは、優しい微笑みを浮かべている。ママさんは、横にチーズ煎餅を添えてくれた。
「みんな、大好き」
パドマは驚きに目を見開いて固まった後、くしゃりと顔を綻ばせた。
パドマは空席に料理を運んで、食べ始めた。そこにジョッキを持ったイレが近寄ってきた。
「今日は、パドマが酒を奢ってくれて、料理を奢り返す日なの? お兄さんは、2品選べばいい?」
イレは、勝手にパドマの横に座って、飲んでいる。
「もうお腹いっぱいだから、いらなーい」
「何それ、寂しい! ちょっとマスター、フルーツ盛り合わせを特盛りで!!」
パドマはイレを無視してスープを食べようとして熱さに負け、パンを食べようとして熱さに怯んでから、イレに言わなければならないことがあったことを思い出した。
「そうだ。イレさんにも、お礼を言わないといけないんだった。
イレさん、ありがとね。今日、思いがけず積年の恨みを晴らさなきゃいけない羽目にあったんだけどさ、イレさんのおかげで勝てたんだよ。対イレさん戦のために開発してた技が、大活躍したの。実践で使ってみて、精度も確度もイマイチだなって思ったから、本番のイレさん戦までには、もう少し仕上げておくね」
にこにこ微笑むパドマに、イレは凍り付いた。
「え? なんで、お兄さんが抹殺対象になってるの?」
「だって、イレさん、怒ると怖いじゃん。絶対、勝てないし、引いてくれないし、もう何とかして倒すしかないよね。だから、次に機嫌を損ねる前までに、何とか頑張る!」
子どもらしい可愛らしい謎の決意表明なのだが、イレは少しもほっこりできなかった。ダンジョンの敵のように、鮮やかに自分が斬られる未来が見える。
「お兄さんの方こそ、パドマの機嫌を損ねるのが、怖いんだけど! 何が悪かったのかわからないけど、許してー」
「パドマさん、フルーツ盛り合わせと、シュークリームをお持ちしました」
いつの間にやら、ジュールが酒場の給仕をやっていた。さっきまでは、客としていたハズだ。エールを出した記憶がある。
「頼んでないよ」
「イレさんのフルーツと、わたしからのシュークリームです」
「なるほど、あんたはイレさん側の人間か。見込みはないな」
選んできたものを見て、パドマはなんだか少し安心した。微塵も心が揺さぶられない。食べなければならなければ食べれるが、今は特に欲していない。
「イレさん側ではありません。パドマさんの味方です」
「そういう意味じゃないのを理解しないのが、イレさん側なんだよ」
パドマは、チーズ煎餅をパリパリと咀嚼しながら、ジュールを切り捨てた。
「お兄さんが何もしてないところでまで、お兄さんをいじめるのは、やめて!」
今日のイレは、泣き上戸らしい。泣いているイレは、湯水のように散財する傾向にあるので、悪くはない。絡まれると多少面倒ではあるが、仕事だと割り切れないほどではない。
「ジュールには悪い意味で言ってるけど、イレさんは、それがいいところだと思っているよ」
「全然、わかんないよ!」
イレは、持っていたジョッキを一気に飲み干し、ジュールにおかわりを頼んだ。
昨日の今日なので、本格的に1日部屋から出ずに過ごそうと思っていたパドマだったのだが、出勤したヴァーノンが戻って来て言った。
「師匠さんが、待っていたぞ」
相変わらず、兄は師匠の顔が好きらしい。とろけるような満面の笑みを見せられても、頭が痛くなるだけだった。
「よりによって、今日か。ごめん。食べ過ぎで、マジ腹痛い。今日こそ無理だから」
機転をきかせたマスターにより、ずっとダンジョンにお使いに行かされていたヴァーノンは、昨日、パドマに何があったのか、まったく知らない。パドマも、その配慮を有難く思ったので、自らバラす気はなかった。食べ過ぎも実話なので、特に問題はないハズだった。
「なんで、そんなになるまで食べたんだ」
「お兄ちゃんが、言ったんじゃん。客に散財させて食べまくるのが、ウチの仕事だって」
「悪かった。次は、そんなになるまで食べるなよ」
「お願い、師匠さんに断ってきて」
ヴァーノンは手を振って、部屋を出て行った。
兄の手腕は、相変わらずだった。
サンディブロンドのふわふわの髪と月長石の瞳が、扉の陰からパドマを覗いているのが、見える。
「今日は、絶対にダンジョンは無理だからね。ウチは、これから厠通いの予定が目白押しだから」
パドマが、布団から顔を出しただけの状態で応じると、可愛い顔が赤く染まった。この場合、恥ずかしいのはパドマであって、お前じゃねぇよ、お前が言うことを聞かねぇから、こっちが恥かかされてんだよ、と言ってやりたいが、言わずとも実は通じているだろう。パドマは、睨みつけるだけである。
「師匠さんは、もう本調子なの? ケガとかしてない?」
念のため問いかけると、師匠は部屋に完全に入ってきて、両手を広げ、2回うなずいた。
「だから、入ってくるなっつーの。今は、マジでどこまでも無理だから、せめて昼集合にしてくれない? それまでには、なんとかしとくから」
パドマが折れると、師匠はとびきりの笑顔を見せて、帰って行った。
昼というのが、明確に何時を指すのかは知らないが、腹の調子がこなれたところでパドマが外に出ると、師匠はいつものように待っていた。
「悪いけど、ダンジョンに行く元気はないからね」
フライパン以外はダンジョン用装備で出てきたので、パドマは師匠に釘を刺した。
昼ごはんを食べていないという師匠のために、適当な食べ物を買い込んで、目指すはダメな武器屋だ。
「おっちゃん、おーっす! お礼参りに来たよ」
パドマは、ずかずか入って、いつもの席に師匠用弁当を置いて、くつろぎだした。
「悪ぃ。今日は、何も用意してないぞ」
武器屋は、困り顔だった。ここが何の店だか、店主が最も理解していないのかもしれない。
「ここは、甘味屋じゃないでしょ。今日こそ、武器を買いに来たんだよ」
「いや、嬢ちゃんは、買ってくれんでもいいんだが」
「だったら、ポイント景品でも貰えば良かったな。武器屋への礼は、武器の購入じゃないのかよ」
珍しく率先して武器屋に来たのに、パドマは肩透かしを喰らった気分になった。
「武器の開発と宣伝の方が、役に立つ嬢ちゃんだからな。ポイント景品を使われちゃ、困る。何でもいいから、うちの武器を使ってくれよ」
「ウチが今欲しいのは、使い捨てできるナイフだよ。ぶっちゃけなんでもいいの。小型のマルティーニナイフか何か。フルタングにもこだわらないし、安けりゃ何でもいいよ。失敗作でも、ある程度の物なら、引き受ける」
「ナイフを使い捨てって、また豪気だな。倒した後、拾えないような相手なんかいたか? どうせ素材回収するなら、拾えるだろう」
「違うよ。ダンジョンじゃなくて、ナイフは、人殺しに使うんだよ。気持ち悪いから、再利用したくないんだ。ごめんね。こないだのネックレスも殺害現場に、証拠品として置いてきた」
洗えば元通りになったかもしれないし、店主に返せば鋳潰して再利用ができたかもしれない。だが、最終的には血まみれで、手が滑って使いにくいくらいにしてしまったので、嫌になって置いてきてしまった。
あれは、最近、パドマのトレードマークとして広めたところである。置いてくれば、関係ない人が犯人として吊し上げられることはないだろう、と思った。自分がやってしまったことなので、逃げ隠れするつもりはなかった。罪を償えと言われたら、責任を持って命ある限り、追ってきた人間を八つ裂きにする覚悟を決めている。
「ひ、人殺し!?」
店主は、目を見開き、一歩後ろに下がった。師匠も、びっくり顔に変わった。え? え? 何の話? と、キョロキョロするも、詳細の説明はなかった。
「故意じゃない。急に襲われて、人数も多くて、手加減する余裕がなかった。手持ちの武器が、おっちゃんにもらったネックレスしかなかったんだよ。ないより大分助かったけど、使ったことない一見武器で戦うなんて、もう2度とごめんだよ。師匠さん暗殺シミュレーションをしてなかったら、今頃、死ぬより酷いことになってたかもしれないじゃん。あんな暗殺にしか使えないような武器をくれといて、人殺しはダメなんて、逆にどういう了見だ」
「や、それは、無事で良かった。無事なんだよな? あれの使い出は、どうだった?」
店主も、席についた。パドマは同じ年頃の娘の中に入れても小柄な方だ。襲われたなら、過剰防衛で相手を殺してしまったとしても、情状酌量の余地を武器屋なら提示する。パドマを襲うのに成功したら、犯人はどうせ死罪だ。だから、パドマの人間性を信じて、商売をすることにした。
「もう少し太さを出すと、安心感がある。一応、素人の短剣は止めれたし、奪えたし、殴れたし、首も絞められたけど、首を絞めるのは、脅しと最後の1人にしか使えなかった」
「想定敵は、師匠さん1人だったろう?」
「師匠さんを敵に回すと、セットでイレさんも敵になる。暢気に首なんか絞めてらんないよ」
真剣な顔をして話し合う2人に、師匠は震えた。冗談話でも嫌なのに、ガチで師匠を殺す相談をしている意味がわからなかった。
「イレさんも師匠さん並みに使えるって、言ってたな。嬢ちゃん1人で相手すんのは、無理じゃねぇか?」
「ウチは、1人じゃないよ。武器屋のおっちゃんがついてるじゃん。次話は、新星様がおっちゃんの武器で無双して、達人2人を薙ぎ倒すストーリーだよ。とんでもない売り上げが、見込めるよ」
「そりゃ、いいな」
「ほら、師匠さんも泣いてないで、対師匠さん武器開発の意見を出してよ! 有用な意見なら、採用するから」
パドマは、フォークを置いて泣いている師匠の背中をバンバン叩いた。
「嬢ちゃん、師匠さんには内緒じゃなかったのか?」
「自分の弱点は、自分がよく知ってるものでしょ? 大丈夫だよ。わかってても不可避な罠とかだったら、バレてても問題ないじゃん。師匠さんの性格の悪さを甘く見ちゃダメだよ。絶対、いい案の100や200は持ってんだよ、この人は」
パドマは師匠の知恵に信頼を置いて頼ってくれたが、師匠は何も嬉しくなかった。ずっと可愛くイヤイヤしていたら、「ちっ、使えねぇな」と切り捨てられ、心が砕けた。
次回、あまり治安のよくなかったアーデルバードが、少しずつクリーンになっていきます。ありがとう、新星様。
パドマ「何もしてないけど」