49.オサガメパニック
装備が何もない日なのに、29階層に連れて来られてしまった。パドマはどうしようと思った。
29階層の主は、オサガメだった。オサガメは、巨大な海亀である。
「あれは、一体、どういうことなの?」
海亀など、陸にあげてしまえば、たいしたことはできないハズだった。であるのに、パドマの目の前のオサガメは、空中を泳いでいた。水中で対峙させられるよりはいいのかもしれないが、何故、空中を泳いでいるのか、わからない。
パドマが呆気にとられて見ていると、師匠がフロアに躍り出た。カメたちは、師匠の姿を見とめると、次々と突撃を開始した。
師匠は、ひらりひらりと避けていたが、相手はイレ10人分くらいの重量級である。避けきれなければ、大変なことになるだろう。カメ自体も、突撃した半数くらいは、再起不能に陥っていた。そのくらいの威力がある。
「避ければ終わりって言われてもなぁ。この部屋のサイズであの巨体を避けるの、難しくない?」
カメは大きすぎた。勝手に再起不能になってくれるのはいいが、動かないカメが出ると障害物になってしまう。師匠は、簡単に飛び乗っているが、どう考えてもパドマにはマネができるとは思えなかった。頑張れば上によじ登れるだろうが、即座に飛び乗るのは無理だ。カメが突っ込んでくる方が、早い。カメにふさがれて、逃げ場を失ったところで突撃されたら、潰される以外できない。死んでしまうのに躊躇なく突っ込んでくるのは、敵は生物ではないからなのだろうか。死兵は、性質が悪い。
第2陣の突撃が終わって、あらかたカメが落ちた後、残ったカメは、師匠に首を刈られて果てた。
隣の部屋に進んで、部屋に踏み込んだパドマは、一瞬で後悔した。避けるために走ったら、恐怖で立ち止まれなくなったのだ。止まったら巨体に潰される気がする。冷静に考えれば、あの巨体では通路に侵入できない。通路では止まっても問題ないし、そこで引き返すことも出来たのに、パドマは走れなくなるまで走って、走れなくなったところで困った。
助けてもらおうにも、師匠が追いついて来ていない。師匠の方が走るのは速いが、後ろからついて来ていたのだ。通路がカメでふさがれてしまえば、走るスピードが少々速かろうと、関係なくなる。パドマは、ここまで恐怖にかられた心で、心の赴くままにランダムにジグザグに走ってきた。通ってきた部屋の通路は、大体亀にふさがれた。迂回に迂回を重ねないと追いつけない。追い付くのは、容易ではないと思う。
第1陣は、なんとか飛んで避けた。だが、2陣は避けられそうな気がしない。さっき突っ込んできたカメが邪魔で、逃げ道がふさがれている。こういう事態が起こり得ることには、あらかじめ気付いていたのに、だ。次に避けるルートを考えて、避けるべきだった。そんなものを考える前に避けなければ、間に合わないのだが。
もう無理だ! そう思った瞬間、思いがけない方向から、師匠が突っ込んできた。
「うぃ〜。危なかったー。死ぬかと思ったー。師匠さん、生きてる?」
パドマとは違うルートで迂回してきた師匠が、間一髪のところでパドマを動かないカメと床の隙間に詰めて、突撃してくるカメをやり過ごすことに成功した。カメが少しでもグラつけば、たちまち圧死しそうな状態に肝が冷えるが、それより大問題なのは、カメの隙間に収まりきっていなそうな師匠の方だった。パドマが声をかけても、動かない。
「ちょっと、師匠さん? え? なんで動かないの?」
師匠は、呼んでも叩いても起きない上に、押しても重くて動かなかった。パドマは、かなり危険な密室に閉じ込められてしまった。
「なんなのこれ、どうしたらいいの!」
どうにもならないので、しばらくそのままでいたら、イレの声が聞こえた。少しでもぶつかると亀が倒れてきそうで怖いのだが、それでもパドマは精一杯声を張り上げた。
「パドマどこ〜? ししょー!」
「イレさーん! ここだよー!! 助けてー! 師匠さんもいるよー」
「え? どこよ」
「カメの下!」
「なんでまた、そんな危ないところに」
イレは、師匠側のカメを蹴りどかし、師匠を引っ張り出してくれたので、パドマは自力で這い出た。
「ありがとう、イレさん」
イレは、師匠の顔を覗きこんでいたが、ため息とともに担ぎあげた。
「こんなところで、何してたのさ」
「カメに挟み討ちされて、閉じ込められたの。それより、師匠さん、どうしちゃったの? 全然、動かなくてさ。怖かったんだけど」
「師匠は、気にしなくていいよ。寝てるだけだから。この人、場を弁えずに急に寝るんだ。ふざけてるよね」
「寝てる、だけ?」
「そう。寝てるだけ。申し訳ないんだけどさ。お兄さんも、いっぱいいっぱいでパドマのことまで面倒見切れないから、まとめて担いで行ってもいいかな?」
「え? 重いから、いいよ。師匠さんの剣も抜き身で持ってるし、危ないよ」
「あー、師匠の剣か。特注品を置いてく訳にもいかないよね。それなら、場所わかる。ちょっと待って」
イレは、担いでいた師匠を床に下ろし、背中側の服をまくって、剣を収納した。
「これで良し。パドマ、おいで」
イレは師匠を担ぎ直し、パドマに手を伸ばしたが、パドマは拒否した。
「走る。大丈夫」
「なんで、こういう状態になったのか、理解した上で言ってる?」
亀の下に転がっていた向きから、何があったか、おおよそ予想はできる。イレが怒っているのが、パドマにも伝わった。
「ひっ」
「めんどくさい」
パドマが怯んだ隙に、イレは許可なくパドマを抱え上げて、走り出した。
イレは、ダンジョンを出てもパドマを降ろすことなく、そのまま帰宅した。そこで初めてパドマを降ろし、師匠をベッドに寝かせた。
「本当に、寝てるだけ?」
パドマは震えながら、師匠を見下ろした。イレは、動かない師匠が死んでしまうことを心配しているのかと思っているが、パドマは単純にイレが怖くて怯えているだけだった。
「そうだよ。師匠が死ぬ訳ないし、実際、死んでないでしょう。しばらく起きないかもしれないけど、そのうちケロリと起きるよ」
イレは、ベッドに腰を下ろして、師匠を見下ろした。愛おしそうな瞳で、痛そうな瞳で見ていた。
「しばらく起きないの?」
「睡眠が足りるまでは、叩いても蹴っても刺しても、絶対に起きない。その程度で起きるくらいの消耗なら、あんな場面で寝ないって、前に本人が言ってたけど、おかしいよね。明後日か明明後日くらいまで寝てると思うから、パドマは明日はダンジョン行きを休んでね」
イレは、パドマを睨みつけた。イレの眼力は、パドマの恐怖を呼び起こす。少し距離を取って口答えをした。
「なんか、その言われ方は嫌だな。腹立つな。ウチが好き好んで、ミミズやカメと戦ってるみたいじゃん」
「期待の新星様は、ダンジョンの最奥で巨万の富と名声を勝ち取るために、今日も突き進んでたんでしょ」
「そんな訳ないのを知ってるくせに。イレさんは、最奥に行っても、ただの小金持ちで彼女も作れない冴えないおっちゃんじゃん」
「お兄さんは、最奥の一歩手前までしか行ってないからね。本当の最奥は、無理だよ」
謎の自信家が、珍しくしょげていた。イレが無理な最奥には何があるのか、気にはなるが、聞いても何の役にも立たないだろうと思われた。
「そうなんだ。それは、ちょっと心が惹かれるけど、イレさんが無理なら、ウチにはもっと無理だね」
「お兄さんと師匠とパドマの3人がかりなら、行けるかもしれないよ?」
しょげていた男が、急に元気になった。口がニヤけている。師匠の弟子だ。ロクでもないことを思いついたのかもしれない。イレと師匠の実力は拮抗しているが、パドマは格下どころか駆け出しだ。並び立てる物は何もない。
「それなら2人で行ってきなよ。なんでウチを混ぜるんだよ。ただのお荷物じゃん」
「戦闘力はそれほどでもないけど、パドマのメンタルは、最強だから。最奥は、メンタル的に勝てない相手なんだ」
「それ、絶対に褒めてないよね」
思った通り、揶揄われているだけだった。パドマが怒る場面だと思うのに、またイレに睨まれた。
「だってさ、こんなに可愛い師匠が、ここまで消耗するほどのことをしたのに、まだ師匠のことを虫けらみたいに思ってるんでしょう?」
「?! い、いや、そんなことはないよ。もうどうにもならない大ピンチに陥ったところで、どこからか颯爽と現れて、身を挺して助けてくれたんだよ。そうだな、すごく格好良くて、惚れちゃいそうで危なかったから、1月くらい顔を見せないでくれると助かるよ? そうだね。ニセハナマオウカマキリ並みに、格好いいもんね。大変だよね」
本当に絶体絶命だと思っていた。そこを助けられたのだから、褒めなければならないことは、わかる。性格以外は、褒めどころしかない人だ。褒めるのは簡単なハズなのに、パドマの気持ちはまったくついて来なかった。
「ああ、今日のカマキリへの攻撃は、かなり残忍だったよね。顔を蹴り飛ばして、踏みつけて、ふみにじって。あれは、そういうことだったんだ」
「違うよ。無腰でダンジョンに連れて来られて、必死だっただけだよ。でも、そうだね。そう考えると、次回もカマキリには、フライパンはいらないような気がしてきたね」
大変なことに気がついてしまった。虫相手には、フライパンが最強なのに、足で踏みにじった方が、気分がスッキリしていた。これでは、人のことをとやかく言えない程、性格が悪すぎる。
「なんで、そんなに師匠が嫌なの?」
「嫌じゃないよ。どちらかと言えば、好きだよ。家事能力が高くて、姉にしたいくらいだよ。だけどさ、性格の悪さも嫌ってくらい味わったしさ。暢気に格好良い〜とか、可愛い〜とか、言えないよ。無理だよ」
顔はいい。顔は好きだ。だが、それ以外の何かが、すべての良さを全否定して拒否する。師匠を追いかけている皆様の気持ちを、理解はできても、共感はできない。
「どうしたら、パドマは恋愛ルートに入ってくれるの?」
「なんで恋愛なんてしなきゃいけないの?」
思わぬ角度で切り込まれて、パドマは驚いた。イレは、師匠に首っ丈なのに、パドマの恋愛事情にまで興味があるとは思わなかった。
「パドマと同じような理由で、パドマを姐さんにしようと企んでるんだ」
「相手が師匠さんなら、死んでも無理だよ」
師匠本人にも約束したし、パドマにも、そんなつもりは毛頭ない。師匠の性格が直れば幸せに暮らす未来もあるかもしれないが、あの性格は何があっても治らないと思われるし、師匠を眺め隊の皆様に追いかけ回されて暮らしたくもない。そして、一番大事なことは、何をどうしようと、パドマは人を愛することは、できそうもない。付き合う相手の条件として、あの人はいいよね、という話をしているのであって、恋の話となれば、死んでも無理だと思っている。
「師匠の横に立たせても死ななそうな人材が、パドマくらいしか心当たりがなくてさ。パドマもときめいてくれないけど、師匠も大概じゃん。ある意味、似合いの2人だと思ったんだけど、ダメ?」
「師匠さんに恋に落ちるなら、自害した方がマシだ」
恐ろしい計画を聞いて、パドマの顔色は真っ青になった。今の状況に、パドマの恋心が足されたら、最悪である。恋心を師匠に知られれば、その時点で殺されかねない。イレならともかく、師匠に隠し通すことは、難しいと思う。早晩に、死ぬ。
「なんでよ。師匠、めっちゃ可愛いのに!」
「そんな風に、見る目がないから、イレさんは、モテないんだよ。弟子なんだから、少しは師匠さんを見習いなよ」
「ひどい!」
「数々の計画を立ててきたけど、やり返されると、すっっっごい嫌な物なんだなって、わかった。まったく怒らないお兄ちゃんは、すごいな」
師匠と結婚してくらいならまだしも、イレの嫁になれと言っても、ヴァーノンは怒らなかった。お人好しなのも、優しいのも知ってはいたが、まだわかっていなかったことに、パドマは気付いた。
「ダメだよ。パドマ兄じゃなくて、師匠に惚れて!」
「イレさんにモテ期がくる以上に、無理だよ」
「ひどすぎる!」
次回、師匠がお休みのため、ジュールをお供にします。