460.魔法使いを言い負かせ
部屋の隅に3台のベビーベッドとタンスが置かれ、中央には厚みのある大きなマットが敷かれている。マットの上には、ベビージムとボール型ラトルが3つずつ並べられ、マットの周囲には、不恰好なクッションともぬいぐるみとも言い難い何かが並べられていた。
淡色でまとめられた部屋には似合わない、黒ずくめの男がいた。男はソファに深く腰掛け、ひざの上にトカゲを乗せている。ひょろひょろとしたとても頼りない大きさの白菫色のトカゲである。トカゲは部屋に人影が増えると、ぴぃと鳴いて、男とソファの隙間に潜り込んだ。
「ご無沙汰しております。お父様におかれましては、お変わりなくお過ごしのご様子ですね」
魔法で部屋に現れた師匠は、中央のマットを迂回して黒ずくめの男の前に移動し、礼をした。レイラーニはマットの上に子どもたちを下ろし、それぞれにベビージムを近付けた。レイラーニが作ってぶら下げた黄色いクマや水色のペンギンのマスコットには興味を持たれず、魔法使いがぶら下げた赤い蝶々ばかり見ているのが納得がいかず、今日もクマだよと外して見せたが、無視された。手を伸ばすのは、やはり赤い蝶々だった。蝶々の中には、レジ袋が仕込まれている。目を引く赤に、触るとカサカサ鳴る素材は、今日も子どもたちに人気だった。
「ああ、やっと来たか、バカ息子。いや、シャルルを復活させたのだから、孝行息子か。どうせならもう少し守りを固めて、子を授かることなく引き渡してもらいたかったが、それは不問にしておいてやろう」
レイラーニはてっきり「お父様、大好き!」「今日もコハクは可愛いな」と抱き合うようなファミリー劇場を見せられるものだと思っていたが、師匠はギスギスした空気を醸し出し、魔法使いは下僕を見るような目をしていた。とても仲良し父子には見えない。あのテンションのどこにキスやハグが挟まるのかと疑問に思って見ていたが、騙されていたのかとひらめき、ショックを受けた。最近は、師匠には二言目には騙されていると言われていたが、師匠が騙していたのだ。道理で騙されているを連発するのだと、合点がいった。
「その件につきまして、申し伝えたい事項があり、罷り越しました。そこのレイラは母の血を薄く受け継いではおりますが、母ではありません。また、私の所有物ですので、断りもなく干渉するのはやめて頂きたく存じます」
師匠は礼の姿勢を解き、冷やかな目で魔法使いを見下ろした。その態度の豹変に、魔法使いはノドを鳴らして笑った。
「ああ、知っている。正確には、シャルルの子孫をもとに作った魔法生物だろう。俺の血も混ざっているようだな。阿呆は勘違いをしているようだから、訂正してやろう。俺はシャルルの子孫も、自分の子孫へも特別な感情を持ってはいない。今となっては数えられないほどにいる子孫に、情をかけていたらキリがないからな。だがな、その女は別だ。シャルルでできている。
俺はずっと、シャルルの生まれ変わりを待っていた。そのためだけに生きていた。生まれ変わると信じたから、シャルルの死を受け入れたんだ。新しい生で、俺だけのものにするためにな。だが、シャルルはもう現世に興味はないのか、生まれ変わりを拒否していた。そんな時に、お前が魔法生物を作ろうとした。拙い技術でな。それは成功しない魔法だったのに、お前の悲しむ顔に耐えられずに、シャルルは自分の魂を削って女を作った。もうシャルルは生まれない。その女がシャルルだ」
「なっ?! そんなことが、どうしてわかるのですか。適当なことをおっしゃらないで下さい」
師匠は、魔法使いの視線から隠すように、魔法使いとレイラーニの導線上に立った。そんなことが起こり得るだろうか、そうだったとして、どうやってそれを知るのかと考えるが、わからない。魔法使いは断言しているから、確証を得ているのだろうと思うが、師匠にはわからなかった。昔からそんなことはよくあったから、魔法使いの方が正しいような気はしてしまう。だから、レイラーニの身体のサイズが設計と少し違うのかと思い付いたが、それは想像であって、証拠ではない。
「俺は、シャルルかお前しか起こせないように設定して寝ていた。ただ生きているのも飽きたんだ。あの女の来訪で、俺は目覚めた。ならば、これがシャルルなのだろうと調べた。まさかそんな方法で、現世に呼び戻すことができるとは、俺もまだまだ勉強不足だった」
「レイラが、お母様を素材にできている? そんなことがあるでしょうか。私はお母様には、さして好かれていませんでした。モウロクして、夢と現実の区別が付かないだけではないですか」
「シャルルは、いつもお前を気にかけていた。いくつになっても反抗期が終わらない阿呆だったからだ。夢ならば、生まれ変わりではなく、シャルルそのものを造った。シャルルに関してだけは、絶対に間違えない。シャルルは俺のすべてだ。可愛い息子のお前でも、くれてはやれん。お前の物は俺の物だ。何の不都合もないことだな」
魔法使いは、ニヤリと笑った。自分の優位を疑わない顔だ。師匠は、魔法使いの勝手な言い分に歯噛みした。理論的におかしいところを突いても、養父は気にしない。力で師匠を抑え込み、自分の好きなようにするだろう。ずっとそのように育てられてきた。生まれたその日から1日中勉強漬けにされ、父が学びたい医学の道に進むよう強要された。学校で学んだ実技、就職後に行った手術、学会での出来事などを話し、時に実践してみせると、本を読むだけではわからなかったと養父は喜んだ。
師匠の夢は、あたたかい家庭を築くことだった。それを邪魔しないものだったから、医師になることは構わなかった。師匠は、それなりに養父を愛していたから、喜んでもらえることは嬉しかった。だが、養父に師匠の気持ちを気にされたことはない。自分の思う方向に進ませるために誘導することはあるが、結果、養父に感謝しても、嫌悪しても、どちらでも気にされなかった。やたらと構われることに実子たちはヤキモチをやいたが、結局のところ師匠は人生をかけて養父の趣味に付き合わされただけだ。愛されていたからではない。最も使えたのが師匠だっただけだ。師匠がテストでいい点を取ると、奨学金がもらえると母が喜ぶという点は気にしていたかもしれないが、精々その程度だ。
養父は、育ちが師匠と違った。両親が奴隷だったため、生まれながらの奴隷として人生がスタートした。更に、奴隷たちの中で商品価値が低い部類だったため、生存も期待されずに放置され、勝手に自給自足して生き残った奇跡の人だという。だから文化的壁があって、考え方が違うだけで悪い人ではない。ちょっと着地点がおかしいだけで、優しい人なのよ。というのが、母の養父に対する人物評だった。師匠も、そうだと思っていた。睡眠時間すら勉強漬けにされて他のことは何もできないのが不満だったが養父も付き合ってくれているとか、嫌がらせをされているのかと思ったら手間をかけて用意したプレゼントだったなど、結果はともかく、一応、師匠のためを思っているらしい痕跡はあった。
そんな人なので、レイラーニを取り戻すために、養父に常識を説いても、情で訴えても無駄である。なんとか養父理論の範囲内で、諦めさせねばならない。屁理屈でもいい。何かないかと、師匠は過去の出来事を思い出しながら必死に考えた。
「私のものはお父様のもの。でしたら、お母様のものは誰のものですか」
「シャルルのものは、シャルルのものだ。俺のものも何もかも、この世のすべてが、シャルルのためにある。シャルルの毒となるならば、何物も存在を許さない。それは、俺自身も例外ではない。
魔法使いは、幸せそうに断じた。
母は大抵嫌がっていたが、養父は時に国を造り、神殿を作り、すべてを最愛の人に捧げていた。着地点は受け入れられていなかったが、母のために行動をしていたのは確かである。
現在のレイラーニと魔法使いの関係は、子はいない方が良かったと言いながら、出産や育児の協力をしているようだ。魔法使いは子を流すことも、なかったことにもできるのに、レイラーニに黙ってそうすることはせずに、協力している。その間にちょくちょく挟まれるセクハラの疑いが、師匠のハラワタを煮えくり返させるのだが、魔法使いはお楽しみを挟みながら、誠心誠意尽くしているつもりなのだろう。レイラーニの、誰の子か知らないけれど、産んで自分の子にして育てたいプロジェクトに、誰よりも協力をしている。蛟竜が混ざっていたり、珍しい魔法生物の出産である。実験対象にしている可能性は否定しきれないが、レイラーニの要望を汲んだ結果だろう。
「それでは、レイラがお父様以外の人物との結婚を望んでいた場合、如何なさいますか」
師匠の言葉に、魔法使いの顔は沈んだ。先程までの自信は影を潜め、痛そうに胸を押さえた。
「俺はシャルルのためにある。邪魔はしない。死んでも、その願いを叶える。だから、お前が生まれたんだ」
師匠は、母と母の恋人の子である。第二子以降は我慢がならなかったようだが、第一子は尊重したという理論なのかもしれない。母の実子だけを抜き出すと、養父の子は必ず恋人の子の後に生まれている。養父理論では、母の意向に沿った正しい行動だったのだろう。最愛の人が望むなら、自分以外の人物との恋や結婚を認めるというのなら、それが養父の泣きどころだ。師匠はグッと腹に力を入れた。
「私は、私が作った魔法生物だから、所有権を主張しているのではありません。結婚の約束をした仲だから、私のものだと言っています。レイラ。条件が達成されれば、結婚しようという約束をしましたね」
師匠が促すと、ラトルを振っていたレイラーニは顔を上げた。結婚はカイレンとするんだよと思ったが、条件付きというところで思い出した。白蓮華でした父娘ごっこのことだろう。レイラーニがカイレンより大きくなったら結婚しようという、実行されなそうな話である。話をあまり聞いていなかったレイラーニは、娘との仲良しさを自慢しているのかと勘違いし、呆れた。
「したね。あの条件は、達成できる気がしないけど」
カイレンは、綺羅星ペンギンに混ぜても頭1つ飛び出るくらいの巨人である。並の女性の身長に追いついて喜んでいるようなレイラーニが追い越せる相手ではない。大きくなりたい願望はあるが、あの身長に追いつくくらい足だけ伸ばされたら不気味だろうなと思う。だから、身長を伸ばして欲しいというおねだりをしないでいるのだ。
顔色1つ変えることなく返事をしたレイラーニを見て、魔法使いは師匠の言に偽りがないことを補強された。師匠の物言いから、既に真実だと思っていたが、否定材料を見出す気を失せさせた。
「そうか。今生も手遅れだったのか。もうシャルルは生まれてこないのに。こんなことになるのなら、やっぱりシャルルより先に逝けば良かった」
魔法使いはソファから腰を上げると、レイラーニの近くに移動し、ひざを折った。その後ろを白菫色の蛟竜がついていく。
「最後の願いを聞こう。達成できない条件とは何だ。お前の願いは、全て俺が叶えてやる。コハクと幸せに過ごすといい」
魔法使いは表情を消して、レイラーニを見つめている。レイラーニはギョッとした。師匠と結婚するつもりもないし、魔法で足だけ伸ばされたら気持ち悪い。嫌だ。
「お願いを聞いてくれるなら、セレちゃんをこのまま育ててくれる? クロちゃんにお願いしたら、師匠さんみたいに可愛くて多芸な子になるよね。ああ、でも1人で育てるんじゃなくて、ウチにもお世話をさせて欲しいの。頑張るから」
「できるのか? 苦手なのだろう?」
「そうかもしれないけど、お母さんだから、頑張るぅうう!」
ヤル気を語るレイラーニの前に、魔法使いはベビーフード代わりのミミズを出した。ケースの中からは出て来ないのに、レイラーニは顔を真っ青にしている。やはり無理だなと言いながら、魔法使いはミルワームのケースと差し替えたが、反応は変わらなかった。見かねた師匠が、粉末ミルワームとミルワームペレットを差し出した。師匠がペットの蛟竜のエサに使っているものだ。生き餌の管理も手間だし、見た目も悪い。生き餌を扱う人間の気がしれないから、レイラーニの気持ちに共感した。レイラーニは喜んで手に取ったが、魔法使いは呆れた顔をしてダメだと言った。
「生き餌を食べ慣れているものに、そんなものを与えても食べない。嫌なら諦めろ。ペットじゃないんだ」
実際にレイラーニがケースから出して与えてみたが、セレンディバイトは食べなかった。見向きもしないし、匂いを嗅ぎにも来ない。人が悪いのかと、魔法使いに持たせて与えてもらったが、食べなかった。ミミズを与えると、手に取ってむしゃむしゃと食べる。レイラーニは、それを師匠に隠れて見守った。
「可愛いのに、可愛くない」
「わかった。セレンディは俺が育てよう。可能な限りシャルルに懐くように配慮はするが、しばらくは難しい。許してくれ」
魔法使いは嘆息した。シャルルが他の人間と付き合うところなんて見たくもないのに、まだ死なせてもらえないらしいと、悲しい気持ちになっている。
「うん。ありがと。あとね、イレさんも緑クマちゃんも乳母さんもいるから、皆と仲良くしてね」
レイラーニは魔法使いの気も知らず、ふふふと笑った。
次回、最終回。長かった。そして、寂しい。




