451.最後の挑戦
「むかつく、むかつく、むかつく」
レイラーニは、唄う黄熊亭の自室にいた。
もう師匠たちと一緒にいるのが嫌になって、衝動的に魔法を使ったら、自室に瞬間移動していた。魔法を使って、魔力切れを起こし、身動きがつらいから、その場で倒れている。残念ながらベッドの上ではなくソファの上だったが、床の上よりは居心地がいいので、そのままでいる。少しずつ魔力が回復していく心地良さを感じながら、悪態をついていた。
不満はさわるなと言っているのにべたべたと触られる件と、師匠に押し倒されて恐怖を感じたことだ。男性恐怖症は、好きでもない相手だから発生するのだと思っていたのに、師匠がダメならもう治らないのか、師匠が好きだと思っていたのは勘違いだったのかと悩みが増えた。
「まぁ、別にどっちだっていいけど。叶うことはないんだし」
レイラーニの中では、いまだに師匠に惚れないという約束が生きている。師匠の想い人は亡き妻で、師匠を好きな気持ちは婚約者である地龍に負けていると納得している。師匠がレイラーニに構うのは、娘に対する謎の憧れでしかない。だから、師匠を思うと苦しくなる気持ちは、師匠を見ると幸せになる気持ちは、誰も幸せにしないと決めつけていた。父娘ごっこで距離を縮めようなどという、誰にも共感されない師匠の取り組みは、レイラーニの心に何も響いていなかった。
レイラーニは気合いで立ち上がってベッドに移動し、クマちゃんを抱いた。
「ウチの最強イケメンは、クマちゃんだもんね」
そのままゴロゴロ転がって、普通に動ける程度に回復すると、窓から飛び降りて出かけた。唄う黄熊亭でも魔力は回復するのだが、その速度は遅い。完全回復までは時間がかかるから、適当な頃合いでダンジョンに向かった。
ダンジョンセンターに行くと、センター職員にヴァーノンさんが探してましたよと言われたが、レイラーニはだめだめと答えた。
「今、お兄ちゃんとはガチ景品をかけた鬼ごっこをしてるところだから、簡単に居場所を教えないでね」
「そう、なのですか? 顔色悪く、かなり必死のご様子でしたが」
「そう。お兄ちゃんの第一子の命名権をかけて争ってるからね。男の子だったらベイビー、女の子だったらレイディーがいいって言ったら、怒っちゃったの。フラッフィーとかウィスカーでも可愛くていいなぁ、って言ったの。別にまだ授かってもいないんだから、ミラのお腹に適当に呼びかけるくらい、何でもいいと思わない?」
「そうですか。それは大変でしたね」
ベイビーやレイディーというのは、シャルルマーニュ大使館で走り回っている犬の名前だった。一般的に、アーデルバードでは人命に使われない名前である。だから、冗句と捉えて、センター職員は笑った。それで話は済んだだろうと、レイラーニは「そういうことで、よろしく」とだけ言って、入場口に行った。
今日は赤の剣や寸胴剣など、旧装備を身に付けてきた。レイラーニの覚悟の表れのつもりだ。9階層まではグーパンチだけで敵を吹き飛ばし、11階層からは寸胴剣を抜いて、敵を切り伏せながら走った。生きている実感を感じ、先を進む。後ろからついてくるのは、赤いナイフを2本持ったクマちゃんである。入り口付近では護衛らしき男もいたのだが、増えては減ってを繰り返し、50階層を過ぎる頃にはついて来るものがいなくなった。
「焼肉作ってきたよー。おいでー。本当に、ここの猫たちは懐かないなぁ。ほら、ぱんだちゃん、お肉だよー」
レイラーニの持ってきた肉は誰も食べてくれなかったが、53階層で少しだけ猫休憩をして、また走る。70階層からは魔法も大盤振る舞いして、どんどん先に進んだ。恐怖の81階層以降の穴も飛べるようになってしまえば怖くない。敵も何もかもを無視してクマちゃんを抱いて階段までひとっ飛びで先に進んだ。99階層に着くと、アデルバードがいた。階段下の部屋で立っている。レイラーニの到着を待っていてくれたのだろう。
「どうしても行くのですね。それならば、せめてお供させて下さい」
「因みに、お兄ちゃんの強さは、どのくらい?」
「星1.5と言ったところでしょうか」
「それは戦力として、微妙だね」
「それでもダンジョンマスターですから、お役に立てることはありますよ」
「酒精さん、やっちゃえ」
アデルバードが一歩前に踏み出たので、レイラーニは魔法で酒を盛った。アデルバードは一瞬怒ったような表情を浮かべたが、すぐにふにふに言って倒れた。レイラーニはアデルバードをクマちゃんに持ってもらって、アデルバードの寝室に寝かせてから100階層に下った。
100階層の入り口に、武装したチビ師匠とチビ地龍と黒魔法使いがいた。チビ地龍はいつも通り可愛らしいワンピース姿だが、チビ師匠は胸当てや手甲、鉢金などを身に付け、剣を背負っている。うわぁ、可愛すぎる! とレイラーニは思ったが、何を考えてそんな格好をしてきたかわからない。抜剣して警戒しつつ、フロアに入った。
レイラーニがフロアに降りると、チビ師匠は3人ずつ正面と右の通路の前に立った。何のつもりか知らないが下り階段は右前方方向なのだ。構わず右の通路に向かうと、右の通路前にいたチビ師匠と中央に残っていたチビ師匠が、レイラーニを押し戻した。
「いけません。いけません。こちらは危険です」
「そうは言っても、こっちに用があるんだよ」
「急がば回れと申します。彼方から向かわれた方が、安全で速く進むことができますから」
必死でレイラーニを止めるチビ師匠は可愛かった。1人でも可愛いところを「声を出してはいけません」「話してしまいました。どうしましょう」などと複数人でわちゃわちゃしていると、更に愛い。だから、レイラーニは言うことを聞いてあげることにした。
「どうしても? 仕方ないなぁ」
レイラーニが左の通路を選ぶと、また武装したチビ師匠が沢山いた。今度も右と正面の通路を封鎖している。
「いやそろそろさ。逆方向過ぎるんだけど」
レイラーニが難色を示すと、チビ師匠は黙れというハンドサインを出した。先程はチビ師匠が声を出したことを嘆いていたが、声を出してはいけないのはレイラーニも含まれるらしい。レイラーニが同じサインをすると、是のハンドサインが返ってきた。そして、あっちあっちと背中を押され、左の通路を進まされる。
もしかして、最初に聞いた階段の位置が違うとか? と訝しみ、魔法使いを見ても、彼はチビ師匠たちを見てニヤニヤしているだけだった。魔法使いとチビ地龍は、レイラーニの後ろを黙ってついてくるだけだった。
次は直進、次は右と、レイラーニの行きたい方向とは真逆の方向に進んで行く。新しい部屋に行く度にチビ師匠の数が増えたり減ったりするが、魔法使いとチビ地龍の数は変わらなかった。そろそろもう言うことを聞くのを辞めようかなぁと思い始めた頃、大鎧前天冠姿のチビ師匠が現れて、左の通路を指した。やっとレイラーニの行きたい方向に行ける。ずっと無言で歩いていたが、3部屋直進すると、チビ師匠たちは急に全方位の通路を封鎖し、レイラーニを壁際に追いやった後、また黙れのハンドサインを出した。何をしているのかわからないが指示に従うと、カツカツという足音が聞こえた。どうやら、誰かがこちらの部屋に向かって歩いて来るらしい。
そこで初めて、レイラーニは魔法使いと師匠と地龍にしか会っていないことに気付いた。師匠たちは以前会った時はトコトコと靴音を鳴らして歩いていたのに、今日は足音がしなかった。もしかして、他の家族に会わないようにしていたのだろうかと思った。
いよいよこの部屋に繋がる通路に靴音が向かった時、チビ師匠はレイラーニを隠すように取り囲んだ。レイラーニを隠すには身長がまったく足りない。レイラーニはチビ師匠の頭を撫でた。だが、靴音の主は部屋に入って来なかった。魔法使いがその通路に進むと、一緒に去って行ったのだ。チビ師匠が1人そちらに向かって歩いていくと、別のチビ師匠が帰ってきて首を振った。何が起きているのか、そちらから爆発音が聞こえる。消えた魔法使いが暴れているのかなぁとレイラーニは思った。
大鎧師匠が右手を指して、皆で静かに移動すると、魔法使いが戻ってきた。レイラーニに向けて指を4本ずつ立てた。レイラーニはそんなハンドサインは知らない。降参ではないだろう。魔法使いがレイラーニに降伏する意味がわからない。魔法使いの指示で、右手に進んだ。更に左手に行くと、レイラーニの計算が間違っていなければ、元の部屋に戻ってきている。左行って左行ってと指を動かしていると、レイラーニが何を考えているのかわかったのだろう。大鎧師匠の目が潤んでいた。可愛すぎるその姿に、レイラーニはきゅんきゅんした。
次回、可愛い方の妹




