442.レイラーニの指
レイラーニは瀕死の重傷を負った。うっかり師匠の養父への怒りで魔法が発動されてしまったのを、自分で引き受けて傷を負った。
風の刃でズタズタに切り裂かれ、四肢はすべて取れて内臓が零れる有様だったが、魔法使いの咄嗟の癒しで、瀕死の重傷までに回復した。血と内臓はこぼれなくなったが、骨は癒着していない。魔法使いの回復魔法を最後まで享受しなかったからかもしれない。魔法の途中で、クマちゃんが魔法使いからレイラーニを強奪したのだ。魔法の壁を越えてしまったから、癒しの魔法も途中で終了した。
レイラーニを取り戻したクマちゃんは、わっせわっせとレイラーニを抱えて階段を上がり、パドマの寝室のベッドにレイラーニを寝かせて、魔法を念じた。痛いのいたいの、あのクソ魔法使いのところに飛んでいけ! 大馬鹿コハクのもとへ飛んでいけ! いけ! 全部どこかへ行け!! クマちゃんは必死の形相で祈りを捧げたが、魔法使いではないから、レイラーニの容体は何も変わらなかった。
血の匂いに誘われたのか、クロアシネコとレッサーパンダがやってきた。クロアシネコは、肉食獣である。クマちゃんは来るなくるなと反復横跳びをしてガードした。レイラーニはケガをしているから、今は遊べないの! と、つぶらな瞳で訴えると、クロアシネコは任せろにゃんとでも言うように胸を張って部屋を出て行った。クマちゃんがドアを開けっぱなしにしていたから、余裕で出ていけた。そして、隣の部屋に転がるアデルバードを見つけると、腕にガプッと噛みついた。後ろからついてきたレッサーパンダもガジガジと反対の腕に噛みついた。酔い潰れて寝ていたアデルバードは悲鳴を上げて、飛び起きた。
絶対服従のダンジョンモンスターに襲われるなんて、有り得ない。アデルバードは目を白黒させてレイラーニのペットたちを見ていたら、2匹とも寝室に逃げていった。アデルバードの両腕は血まみれになっていた。甘噛みを通り越し、少し肉を食われたかもしれない。渋面のまま呪を唱え、光龍に不満をぶつけつつ傷を癒やしてもらい、血を洗浄した。
戻ってきたクロアシネコを見て、クマちゃんはいっぱい置いてある枕を使って、来るなくるなと追いやった。その音がバタバタと喧しかったので、異変を感じて、アデルバードは寝室を覗いた。そこではいなくなったと聞いたクマのぬいぐるみがクロアシネコと追いかけっこをしており、ベッドの上に血塗れのレイラーニが倒れていた。
「フェリシティ!」
アデルバードは呪を唱えながら、ベッドサイドに駆け寄った。クマちゃんがダメダメと枕で叩いてきたから、つかんで遠くに投げた。
「諦めきれずに、クマを強奪してきたのですね」
金色の光を浴びたレイラーニの顔は、険しさが取れた。続いて洗浄魔法を唱えて、血を洗い流す。ベッドについた血も、ついでにきれいになった。
「フェリシティ、起きて下さい。寝坊したあなたに昼寝は必要ありません」
アデルバードは昨夜の恨みを込めて、少しだけ強く頬をつねると、レイラーニは痛いいたいと声を出した。
「離して欲しければ、目を開けなさい」
「痛いいひゃい。痛くて開けられない。いたぁい!」
「早く目を開けなさい」
という攻防を5分ほどやって、アデルバードが折れて手を離した。これだけ嫌がってるのに目を開けないとは、本当に開けられないのかと思ったのではない。昨日の恨みが晴れた気がしたのと、飽きたからだ。これだけ痛がる元気があれば安心だと思ったのもある。
「ひどいよ。千歳以上年下の可愛い妹のほっぺを何だと思ってるの?」
「生まれて数ヶ月の赤子のわりには固いので、ほぐして差し上げました。他に痛いところは御座いませんか」
アデルバードは、レイラーニの頬に手を当てて、回復魔法を発動させた。もう痛みも引いただろうに、レイラーニの瞳に盛り上がった涙はひかなかった。だから、アデルバードが指で拭って、なかったことにした。
「多分ない」
「多分とは、どういうことですか」
「射手に射られた。あれは、ちょっと格好良かった。ウチも弓を使おうかと思った」
「何を阿呆なことを」
初見では、いにしえの魔法使いは格好いいお兄さん、カイレン父は女装癖の人、師匠実父は地味な人だったが、伝説の魔法使いが変態になってしまった今、カイレン父は気合いのキラキラ、師匠実父はプロの仕事人の地位についた。あの3人なら暗殺射手を推すよ、お婆様! と、いうのが、レイラーニの感想だった。
「あれ? おかしいな」
レイラーニはコロコロとベッドから転がり落ちて、アデルバードに背を向けた。腰の辺りをぺしぺしと叩く。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。このへんに穴空いてない?」
「穴? 何もなさそうですが、どんな穴ですか?」
「矢傷。マジか。あのおさわりは魔法だったのか。魔法まで、ど変態か。完敗だ」
レイラーニの憧れの格好いい魔法使いの最後の砦、人間性は最低だが、魔法を使う姿は格好良いの幻想も崩れた。ケガを叩いてケガ人を痛がらせて治し、傷んだ服は着たまま撫でて修繕する。一言呪を唱えれば済む話を、あえて高度な技術を使ってそんな変態行為をしているのだ。レイラーニには、その言い訳を思いつけなかった。かばうのは、もう無理だ。
「矢傷? どんな矢傷ですか。血塗れだったのですよ」
「ああ、それはちょっと魔法使いの変態行為に耐えかねて、自傷行為に走ってみただけ。誰も悪くない」
「自傷で血塗れ……」
アデルバードはわなわなと手を振るわせた。剣鬼に斬られたり、魔法合戦に巻き込まれることは想定していたが、養父の痴漢行為で妹が死ぬことは考えていなかった。そんなことまで気にしなければならないとしたら、もう生還確率はゼロだ。養父の変態性まで、責任を負えない。
「お願いです。もう100階層には行かないで下さい。クマを取り戻したのですから、もう気は済みましたよね?」
「うーん。矢尻に毒を塗る趣味がないなら、無事といえば無事なんだけどさ。指が1本なくなっちゃったのは、このままでもいい?」
痛くないから、このままでもいいんだけどさと、レイラーニが両手を広げると、両手の指がそれぞれ1本ずつ欠損していた。右手の人差し指と左手の薬指が、途中で切れてなくなっている。アデルバードは悩んだ。100階層に落ちているなら拾ってくっつけたいが、魔法で再生させる方が無難だろう。しかし、元通りに再生させる自信はない。どんな指だったか、覚えていない。
「あ、こっちも短くなってた。2本だったよ、お兄ちゃん」
アデルバードはレイラーニの緊張感の全くない様子に脱力した。
「ひとまず100階層に指が落ちていないか、見てきます。拾えるようなら拾いますし、見つからなければ、貴女の設計図が残っていないか問い合わせて、復元することにします。どの辺りに落としたか、ご存知ですか?」
「部屋と階段の境目辺り。上手くいけば、階段に落ちてるかもね」
「それはいい情報です。行ってみましょう」
アデルバードが1人で行こうとしているのを、レイラーニは甘えておねだりをしながらついて行った。その後ろをクマちゃんがついて行く。更にその後ろをクロアシネコとレッサーパンダが並んでついてきたので、クマちゃんは寝室のドアをロックした。シャーと怒る声が聞こえて優越感に浸っていたクマちゃんは、アデルバードによってダイニングに閉じ込められた。ダイニングのドアが壁になってしまったのだ。またクマちゃんがいなくなったら面倒だとアデルバードが封鎖したのだ。クマちゃんがドアがあった場所をペシペシと叩いても、壊れてくれなかった。発声器官がないからシャーも言えないし、何もできることがなかった。
100階層へ行く階段を下ると、小さな肉片が落ちていた。レイラーニは気味悪がって、そんなの捨てちゃってと言ったが、レイラーニの指である。嫌がるレイラーニの手と照合すると、右手の人差し指のようだったので、アデルバードは呪を唱え、指を元通りに接着した。回復魔法や洗浄魔法を使った結果、見た目はまずまずそれらしくなった。
「如何ですか。不具合はありますか」
「どうかなぁ。ちょっとだけだったから、よくわからない。異物をくっつけたような変な感じはするけど、痛くはないよ」
「それは良かった。何か不具合を感じましたら、早めに言ってくださいね。では、帰りましょう」
アデルバードは、レイラーニの手首をつかんで、階段を登り始めた。
「あのお父さんが持ってるの、ウチの指じゃないかな。返してもらわなくて、いいの?」
レイラーニが指差す方向には、変態魔法使いがいる。変態魔法使いは、レイラーニから見て正面の通路近くの壁にもたれて、レイラーニの指らしきものを手に持ち、顔の近くで小さく振っている。その周囲に地龍が3人取り囲んでいて、魔法使いから指を取ろうとしては、避けられていた。魔法でも体術でも魔法使いは地龍に勝るらしい。見た目と能力だけは格好良いんだなと、レイラーニは残念な気持ちで見ていた。
「指1本のために、命を危険に晒すおつもりですか? 他に指を取り戻す方法がある以上、どうしても欲しい物ではありません。あの顔を見て、気付きませんか? こちらを誘っています。絶対にロクでもない計画を練っていますよ」
「確かに、あれはそんな顔に見えるけど」
レイラーニはアデルバードの手を振り解いて、フロアに飛び降りた。アデルバードは後を追い、レイラーニの回収をした。だが、レイラーニの用はその数秒で足りた。
「コハクさんのお父さん。それ、ウチのだったら返して」
レイラーニがそう言っただけで、魔法使いは持っていた指を投げて寄越したのだ。それは、アデルバードによって階段に連れ戻されたレイラーニの手に収まった。回収して下がる距離まできっちり予測を当てていることに、アデルバードは歯噛みした。
「ひい」
自分のだとわかっていても、気持ち悪くて取り落としそうになったものを、アデルバードがつかんだ。それが見えているのか、魔法使いは爆笑している。アデルバードは、そのまま99階層に撤退した。
次回、指の接合。




