423.よくあること
「泳ぎの得意な精霊様。もう1回泳げるようにして欲しい」
レイラーニは精霊におねだりをして、七色の光を浴びてから、バタ足を始めた。すると、先程は見なかった変な生物がふよふよと泳いでいるのが見えた。カタツムリの貝にイカを差し込んだような、見たこともない物だ。ヴァーノンが取ってきたことはないから食べられないのかもしれないが、貝の部分をつかんでみたら、簡単に捕獲できた。幼少期のパドマでも捕まえられそうなくらい頼りない泳ぎだった。
「何だこれ」
レイラーニは泳ぐのをやめ、立って貝を振ってみたが、イカは出て来なかった。強力に刺さっているのかなと強く振ってみたが、やはりイカは落ちない。イカの足を引っ張れば取れるかもしれないと思うが、ぬるぬるしていたら触りたくないから、どうしようかなと考えた。
「それはオウム貝ですか」
師匠が寄って来たので、変な貝を師匠に向けて放って、レイラーニは逃げた。
「知らない。欲しければあげるから、こっちに来ないで」
「これは、まさか、アンモナイト? すごい発見……ではありません。来ないでとは、どういうことですか? ですから、私は貴女に変なことはしませんし、安全ですよ」
「うるさい。こっちに来るな!」
段々と数を増してきたアンモナイトをレイラーニは次々と鷲掴み、師匠に向けて放った。師匠は麻袋を亜空間から出し、レイラーニから飛んでくるアンモナイトを全て袋でキャッチした。内心では、全部拾ってね、それ食べるからねと思っているレイラーニだが、全部簡単に受け止められるのも腹立たしい。
しかし、そんなことも言っていられなくなった。沖に向かって泳いで行った男たちが、騒いでいる。波の動きも強くなった。レイラーニの力では立っていられなくなり、浜に向けて流されて師匠にぶつかった。たまたまではなく、受け止められたのだろう。
「1度、陸に戻りますよ」
師匠は有無を言わせず、レイラーニを抱いて砂浜に戻ろうとすると、大波が来て、逃げるのが間に合わず、突き飛ばされた。その勢いで2人は宙を飛んで、浜に投げ出された。師匠は、レイラーニを離さなかった。落ちる下敷きには師匠がなったが、何かに激突したのはレイラーニだ。師匠は砂に塗れた身体も厭わずにレイラーニの確認をしようとしたのだが、腕の中のレイラーニはぬるっと抜けて、そのまま海に向けて走っていく。
「待って下さい」
師匠はアンモナイト袋を放ってレイラーニを追ったところで、またレイラーニが飛んできて受け止めることになった。海から強力な水鉄砲を撃たれて、レイラーニが飛ばされてきた。
「大丈夫ですか」
「師匠さんにぶつかって、最悪」
師匠は、たまたまぶつかったのではない。レイラーニにケガをさせないようにと、受け止めたのだ。気を遣って頑張った結果、勢いを殺す様にキャッチした。上手くいったと手ごたえを感じたところでダメ出しをされ、師匠は悲しくなった。だが、嫌がられても嫌われても、死なれるよりはマシだから、レイラーニを羽交いじめにした。
「はーなーせー」
「危ないですよ」
「気持ち悪い。いーやーだー」
「ゴムの感触しかしないでしょうに」
師匠はレイラーニを抱えたまま、水鉄砲を避けた。ずっと左方向に避け続けたら、水鉄砲は飛んで来なくなった。そこで水鉄砲を飛ばしていたものの正体に気付き、師匠はレイラーニを抱えたまま近寄って行った。
波打ち際に、鯨が転がっていた。大分肥え太った鯨にワニの頭が付いている。キバは鋭く、イノシシの様に口から盛大にはみ出していた。それに噛まれたら痛そうだが、足も強そうだった。およそ水性の生き物とは思えないライオンの前肢と、アシカの尾鰭が付いている。下半身はほぼ魚で、太陽の光を鱗が反射していた。
「ケートスですか。これは何者かの悪意を感じますね」
師匠は波打ち際に打ち上げられた珍生物についての考察を始めたが、レイラーニは完全に萎れていた。
「もぉおう。やだって言ってるのに。嫌なのに、なんで離してくれないの? ホントやだよぅ」
と小さな声でこぼして、泣いている。師匠の胸はかなりエグられた。嫌だと暴れられている方がマシだった。水鉄砲でレイラーニが飛ばされた辺りから傍に控えていたギデオンが、「こちらに」と言うと、レイラーニの手がギデオンに向かって伸びる。レイラーニがギデオンのところに行きたがっているのは師匠も理解したが、渡したくはない。渡さないで済ます方法はないものかと考える間に、レイラーニは奪われてしまった。レイラーニはギデオンの腕の中で、ありがとうと言って泣いている。師匠は奪い返すことをせず、胸を焦がしながら、ケートスをつかんで後ろからついていった。
磯遊びの拠点に戻ると、何事もなかったかのように、バーベキューの準備が続けられていた。レイラーニと海に来れば、変なことが起きるのは折り込み済みなので、ケートスが現れたことを誰も何も思っていなかった。レイラーニが少々吹っ飛ばされるくらいなら、ダンジョンに行けばよくあることだから、騒ぐような話題ではなかった。どうせあの人は無事でしょ、それより早く火をおこしておかないと怒られちゃうぜ、と言うのである。
師匠は呆れたが、確かに今回は人的被害もなく、モンスターは勝手に座礁して戦闘不能になった。まだ息はあるが、いずれレイラーニの胃袋に収まってしまうだろう。海だけでも大海蛇、大魚、鳥女と遭遇しているし、陸でも火龍が変化させられたおかしなものを筆頭に、パドマは変なものに遭遇している。アーデルバードを出ると、必ず変な物が出てくると言っても過言ではない。皆が、そんなものだと驚かなくなるくらい出てくるのは、おかしい。師匠はこれは誰の差し金だろうと悩み出したが、アンモナイトを豪快に叩き割っている男を見て、思考を中断させた。アンモナイトを奪って、ナイフで身を抉り出す。
「親愛なるギフトベネノよ。闇の深淵にて、秘め事を謀る者がないか、探れ。命の輝きを損う物が見つかれば、我に示せ。その魔眼で世界を守れ」
師匠はふと思い立って、アンモナイトの悪意の付与を魔法で調べてみたが、何も出なかった。ケートスだけでなく、アンモナイトもこの辺りは生息域ではない。現に、レイラーニが捕獲せずとも死にかけている程度に、環境があっていなかった。直接殴って成敗するのを諦めて、食べた物で害するために寄越したのかと心配したが、そうではなかったらしい。師匠は安心して調理を続けた。
と言っても、師匠にとってもアンモナイトは未知の食材だ。食べたことがないから味を知らないし、貝もイカも好きではないから、知りたいとも思わない。脚がヌルヌルしているだけで勘弁して欲しいと思うくらいである。塩で洗ってぶつ切りにし、肝と和えて炒めた。周囲の男たちが、それはそうやって食べるものなのかと感心して見てくるが、師匠はそんなことは知らない。適当に知ったかぶっているだけである。何か問われたら、故郷ではこうすると言うだけだ。不味くても師匠は食べないから、どうでもいい。
「かんぱーい」
レイラーニは師匠から離れて復活したらしく、誰かが持ってきたサングリアとカプレーゼに囲まれて、ご機嫌になっていた。アルコールを身体に入れてしまうということは、食後は泳ぎの練習はしないということだろう。まだ何もしてないのになと、師匠は残念な気持ちになった。
「皆はさ、どういう風にして泳げるようになったの?」
レイラーニは泳ぐ練習をする気はない。何かお手軽に泳ぎを習得する方法を模索して、皆に話を振った。
「我らは大体、子どもの頃に度胸試しと称して、誰かに海に突き落とされます。その折に、何もしなければ死んでしまうので、どうにかこうにか足掻いていると、いつの間にか泳げる様になっているのです」
「私は、その方法では泳げるようになりませんでした。ですが、海底を歩けば移動できます。呼吸するための道具を用意すれば、死にはしません」
「泳げないくらいが、よく沈んでウニ拾いに重宝されますよ」
男たちは和気藹々とにこやかに教えてくれたが、レイラーニの役に立ちそうな情報はなかった。
「無謀な飛び込みは何度かやったけど、すぐに助けられちゃったからなぁ。誰もいないところで飛び込まないといけなかったか。その前にオモリを脱いでからじゃないと、泳げる人も沈むな」
レイラーニはお代わりのサングリアを注いでもらいながら、反省した。何度か海に落ちたことはあるのだが、当時は着込みを着ていた時期だった。とりあえず飛び込んでみるがアーデルバード流の泳ぎ習得法だったとして、そんな服装でダイブするバカは自分くらいだなと、レイラーニは思った。
師匠は、アンモナイトの肝炒めをレイラーニの前に置いた。誰もいないところでこっそり飛び込みをしようとしている娘の気を変えさせる作戦だ。
「うわぁ。思った以上にグロいかも。何、この色」
レイラーニは文句を言いつつも、躊躇なくアンモナイトを口に入れた。そういうところが師匠は信じられないのだが、レイラーニは師匠を信じて食べている。
「!!」
レイラーニはもぐもぐと数回咀嚼すると、ぴたりと動きを止めた。それを見て、男たちもアンモナイトに伸ばしたフォークを止めた。こういう時のレイラーニは毒の存在を警告するか、美味いから独り占めしたいと言い出すか、どちらかなのだ。
「シャキシャキふわふわがいい。見た目通りのイカ貝味。旨みと甘みもあって、まろやかな肝も美味しいけど、肝はいらないかな」
よし、肝はいらない! 安心した男たちは、食事を再開した。肝がたまらなく美味いが、レイラーニとは酒の種類が違うから、そうなるかなと思った。
「あちらは、どうされますか?」
ギデオンがケートスを指し示した。上半身は大体ワニと鯨で、下半身は大体魚とアシカだ。恐らく食える。今までのレイラーニなら、間違いなく食べていた。だが、あまりレイラーニの食欲はそそられなかった。そろそろ誰かが取ってきたカニから、いい匂いがしてきたのだ。謎の生き物を解体している場合ではなかった。カニは沢山いたが、レイラーニの大好きな黒いカニは1匹しか獲れていないのである。絶対に目は離せない。あれを食べられてしまったら、そいつを斬り殺してしまうかもしれない、大変危険な状態なのだ。
「師匠さんが拾ってきたんだし、師匠さんがどうにかするんじゃない?」
師匠は、アンモナイトも数匹こっそり着服していた。何か使い道があるから持ってきたのだろうとレイラーニは思っていた。
そんな返しをしている間に、黒いカニはハリーの皿に移転していた。レイラーニはショックを受けて、邪魔したギデオンとハリーのどちらを先に血祭りにあげようかと悩んで、手に剣を出した。どちらにしようかなと呟いていると、むいたカニがレイラーニの前に差し出された。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
ハリーは自分でレイラーニの好物を獲ってきた特権として、殻をむいてレイラーニに直接献上する栄誉を得ただけだったのだ。仲間たちに早くむかないと殺されそうだぞと言われた時は慌てたが、チンピラ界ではその程度の不条理はよくあることである。慌てながらも、仕事は完遂した。
「ありがとう」
レイラーニは途端に機嫌を直して、カニを食べ始めた。幼い頃の思い出は蘇って来ないが、あの当時から大好きだった味である。他のカニよりも味が濃くて美味いのだ。ちなみに、カニをヴァーノンとはんぶんこする際は、身がパドマの取り分で、殻がヴァーノンの取り分になる。乾煎りして粉砕して、美味しいなと泣きながらヴァーノンは食べていた。ヴァーノンは、涙を流すくらいにカニの殻を愛しているのだ!
「ふぁて、泳ぎの練習に戻るかぁ」
散々飲み食いし、へべれけになったレイラーニが立ち上がった。酒を飲んだレイラーニは、一口目から呂律が回っていない。酔った演技とリアルに酔った境目は慣れた者でもわかりにくいが、これは完全に酔っているなと、ギデオンは思った。
「レイラーニ。酒を飲んだら入水は危険です」
師匠はレイラーニを止めに走ったが、剣を向けられただけだった。
「ふふっ。この方が、野生を取り戻せるしょー。イノシシにできて、ウチにできないことにゃんて、空を飛ぶことくらいらお」
レイラーニは皆の意見を参考に、釣り場にしている岩壁から飛び込みをして、海にぷかぷかと浮いた。
「どうら、見らかぁ。ひっくり返れば、息継ぎにゃんていらねーのらぁ」
レイラーニは背泳ぎのバタ足をして、とても満足そうに泳いでいた。半分沈んでいるし、呼吸ができているのは魔法の賜物なのだが、今はそれを言っても聞き入れられないだろうと、師匠は諦めた。クラーケンと戦うのに背泳ぎはないなどと正論を言っても、精々泣いて駄々をこねられるだけだろう。
「わかりました。降参致します。貴女は泳げます。練習はしなくていいですから、浜で遊びましょう」
付け焼き刃で泳げるようになったくらいで、どうにかなる相手ではない。全力で守ろうと師匠は誓った。
「むーりー。こっちは浜じゃないー」
レイラーニは、どんどん沖に向けて泳いでいく。魔法でキック力を上げているから、どこまでも行ってしまいそうだ。師匠も海に入り、ラッコのようにレイラーニを腹に乗せ、陸地まで泳いでいった。
次回、ルーファスのおかげでクラーケン退治の旅へ行ける。と、レイラーニは喜びますが、縁の下には師匠が千人詰まってます。




