422.泳ぐ練習
酒抜きデーを挟み、師匠に綺羅星ペンギンに魔法冷凍庫を作らせ、氷菓の販売をできるようにして、次の日、いつもの磯にやってきた。
今年の磯遠足は終わったのに、休暇の男たちはついて来て、バーベキューをやるぞと騒いでいる。師匠は協賛していないから何も持って来ていないが、食材現地調達が綺羅星ペンギンバーベキューの基本スタイルなので、誰も気にしていない。何も獲れなければ、腹減った! と騒げれば不足はないのである。レイラーニ以外は元々、毎日規則正しく食事をとっていない。一食欠けても気にしない者ばかりだった。
レイラーニは水面を前に悩んでいた。水浴着は肌が出なかったので、不満はない。インナーも不必要に着込んできた。問題は泳ぐ練習をしたくないことだ。揃いのウェットスーツを着て、海の中で手を差し伸べて待っている師匠のもとへ行きたくない。あそこまで行けば、殴られるかもしれないし、蹴られるかもしれないと思っている。師匠の地獄のレッスンを受けたくない。
「泳ぎの得意な精霊様、泳げるようにして下さい」
レイラーニは精霊に祈ってみたが、何も変わらなかった。7色の光は発生したが、それだけだった。気合いを入れれば魔法は何でも叶えてくれるが、叶えてもらい方はよくわからない。レイラーニは諦めて、師匠のもとへ歩いた。
「まずは水に慣れましょう。水の中を散歩して、水の抵抗と浮力を感じてみましょう」
師匠は、にこやかにレイラーニに話しかけた。ダンジョンの部屋に蹴り落としたり、タランテラのフリを間違えたら竹刀で殴り飛ばしたりしていた師匠はいない。もう反省したからあんなことはしないよと、全力の笑顔でそこにいる。泳げるようにならなければ、クラーケン退治に行かなくて済むから、泳げるようになってくれなくて構わない。レイラーニが飽きるまで海水浴デートを楽しめばいい。師匠は、そう考えている。
「泳ぐ練習は? 歩く練習なんてしなくていいよ。そのくらいはできるから」
「そうですか。水に親しむことが泳げるようになる第一歩なのですが。それでは、浮き輪を使って泳いでみましょうか」
師匠は、2人用の浮き輪を取り出した。1つの浮き輪に身体を入れる穴が2つ空いている浮き輪である。1つの輪にレイラーニを通し、もう片方の輪に師匠が入る。師匠はレイラーニに捕まるように伝えると、軽く水を蹴って進んだ。
「捕まっている限り溺れませんので、足を動かしてみましょう」
「なるほど」
レイラーニも真似して足を動かすも、あまり進まないし、すぐに飽きた。結果、レイラーニを中心に師匠がくるくる回っている。日頃、歩くのもサボってばかりいるから、足を動かすのも怠いと思ってしまった。
「よし、足はわかった。次の練習に行ってみよう。手はどうするの?」
「レイラーニ。基本はきちんと学ばなければ、正しく泳げるようにはなりませんよ。私もイヌカキは1日とかからずできるようになりましたが、クロールで合格を頂くまでには3ヶ月かかりました。正しいフォームでないと、非効率でスピードが出ないそうです。基礎練習はやってください」
師匠は、ぷんぷんと可愛く怒り顔を作って言った。レイラーニに威圧感を与えることなく、だが不満を伝える最適な表情だ。レイラーニは驚愕を浮かべたが、恐怖の色はない。よしよしと師匠は思った。
「3ヶ月? 嫌だよ。ウチは冬の海になんて入らないからね。夏のうちにクラーケンをやるの!」
「夏のうちに? もういくらもないではありませんか。その間に私はレイラーニを泳げるようにして、クラーケンも見つけて来なくてはならないのですか」
今度は師匠が驚かされた。表情を作る余裕が失われ、アゴが外れそうな顔を晒す。これは可愛くないと慌てて取り繕うが、レイラーニは驚く顔も可愛いなと思って見ていた。明るい表情で大丈夫だよとハンドサインを作っている。
「そうなるね。無理だったら、断ってくれていいよ。自分でやるから。もともとそのつもりだったし、平気」
「平気ではありません。クラーケンを倒しに行く時は、私とヴァーノンを連れて行く約束ですよ」
「いらないよ。滅多にいない敵を掠め取られちゃたまらないから、1人でいく」
「でしたら、協力できません」
「わかった。1人で頑張る」
レイラーニは水中に沈み、浮き輪から抜けた。水の中は空よりも美しいブルーグリーンで、どこまでも白い砂浜が続いていた。たまに魚が横切るが、食欲をそそるサイズではなかった。きらきらと降り注ぐ光がキレイで暫し見とれていたら、師匠に腕を引っ張られ、水上に引き上げられた。
「大丈夫ですか? 足を痛めたのですか?」
師匠は、かなりオロオロとしていた。浮き輪を亜空間にしまい込み、レイラーニを抱いて連れ去ろうとするので、レイラーニは拒否した。
「いやいい。多分、泳げるようになったから。離して。ちょっと泳いでみる」
レイラーニは浮き輪で泳いだのを参考に、顔つけバタ足をした。泳いでいるというよりは、浮いて波にさらわれているだけのような気がしたが、レイラーニの中では満点の出来だった。クラーケンと泳ぎで競争しようというのではないのだから、大体こんなもので足りるだろうと思った。3分経っても息継ぎなしでバタ足を続けるレイラーニをまたしても師匠は力づくで止めた。
「息継ぎが出来ないなら、立って息をして下さい。ここなら足がつきますから」
「息はしてるよ。精霊様が助けてくれるから。精霊様、ありがとう。だいすむぐぅ」
師匠が不穏な空気を感じてレイラーニの口を手で塞いだ。
「おやめください。不用意な発言をすると、この世界が変質してしまいます。私は似たようなことを言って、この世界に神を増やしたことが御座います。精霊は可愛い娘が大好きです。私よりも可愛い貴女が精霊にラブコールとも取れる発言をすれば、地龍は負けます。可哀想なので、やめてあげましょう」
師匠は真面目な話をしているのだが、レイラーニはジト目になった。
「ウチより緑クマちゃんの方がキレイだよね」
「精霊は綺麗な娘より、可愛い娘が好きなんですよ」
「精霊は、ね」
レイラーニは精霊に筋力増強を願ってから、師匠を殴り飛ばした。
「これは10階層の怨み! 邪魔するな」
師匠は吹き飛ばされながら、10階層の怨みを考察していた。アーデルバードのダンジョンのことであれば、火蜥蜴の初出現エリアだ。師匠とパドマの出会いの地であり、そこでは師匠は何かをした覚えがない。出会って、投げナイフの練習をして、ミミズトカゲを焼いた以外に、これという記憶はなかった。まさか出会ってすぐ恨まれるほど嫌われていたのかと、師匠はショックを受けていたが、パドマはあの時点で話が通じずに面倒くさいし、ダンジョンを出た時にはベタベタ鬱陶しい人だなと思ってはいた。恨みは、それとは別件だが。
師匠が離れたら、もう1度レイラーニは泳ぎの練習を始めたが、今度は1分ともたずに泳ぐのをやめた。
「息が出来なくなった!」
先程までは魔法の効力で水中で問題なく呼吸ができていたのに、そのつもりで泳いでいたら身体の中に海水が入ってきて、レイラーニはむせた。苦しさに涙目になって師匠を睨むが、師匠には伝わっていないのだから、呆れられるだけだった。
「ですから、立って息継ぎをして下さい。そして、泳ぐ練習をして下さい。魔法を使う度に死ぬのではないかと、心配している者の身になってみて下さい」
師匠は、レイラーニを抱きしめた。魔力が流れてくるので回復のための行動なのはわかるが、魔力さえくれれば好きなだけ触っていいルールになっている気がして、レイラーニは反抗して暴れた。魔法で筋力を上げた上で動いているのに、少しも離すことはできなかった。先程までは、師匠はわざとやられてくれていたのが、レイラーニにもわかった。
「ありがとうございました」
満足するところまで回復させると、師匠は自発的に離れた。レイラーニは猿のように怒り狂っているが、気にしていないかのように微笑みを貼り付けている。
「レイラーニのおかげで、大変な気付きを得られました」
「気付き?」
レイラーニは師匠から距離を取りながら、話に乗ってやることにした。何を言われても怒りを取り下げる気はないが、師匠のつもりを聞かねば意味不明な行動理論を論破できない。
「ええ。私は貴女の体をおもちゃにするつもりはありません。それの根拠を見つけました。私の妻は、とてもフラットな体型でした。つまり、私は慎ましやかな体型の方が好みなのではないかと思うのです。レイラーニが近いのは、母です。先日、抱きしめた時、母の夢を見ていました。実際は、母とは大した付き合いも御座いませんでしたが、母に包まれて甘えてみたかったのだと、初めて気付いたのです。その憧れが反映されてしまったのですね」
師匠は清々しい顔で「マザコンではないですよ」などと笑っているが、レイラーニは少しも面白くなかった。抱きついてキスするのが、師匠の家族のスタンダードだと聞いている。父として娘を抱くのではなく、息子として母に甘えると聞いて、話の内容は理解はしたがレイラーニのメリットは何もない。おもちゃにされるのは断りたいが、好みじゃないとわざわざ告げられるのも面白くない。知ってるし! と、より嫌な気持ちを吐き出したくなった。
「へーそうなんだ」
レイラーニはイライラする気持ちを封じ込め、泳ぎの練習を再開した。
次回、続練習したくない。




