404.神の奇跡のおすそ分け
師匠を助けようと鳥女を追って泳いでいたヴァーノンは、鳥女が落とした師匠を回収した。師匠は、腹と足に大怪我をしている。本来なら、即時撤退をするべきだが、鳥女にレイラーニが突っ込んで行った。レイラーニを助けるためならば、自分が死んでも構わないと師匠は言うだろう。ヴァーノンはそう言い訳をして、レイラーニを追うことにした。心の隅には、いやいや助けろよと言っている師匠がいるのだが、ちょっと前の師匠は恋の相談をしてきたのである。男なのか女なのか知らないが、好きな相手のためならば、気合い入れろや! と喝を入れて、無視をした。しかして、墜落したレイラーニも無事手中に収め、ヴァーノンは急ぎ陸に戻ることにした。レイラーニの気道を確保するのに手一杯で、師匠がどうなっているか定かではないが、師匠はほぼ死んでいたから、何をしても変わらないだろうと、一応つかんでいるという状態だ。
そうして陸に近付くと、綺羅星ペンギンの男たちが寄って来たので、ヴァーノンは師匠を任せた。手が空いたので、レイラーニを抱えていくことにする。
「大丈夫か? 息はあるな?」
レイラーニの目は焦点があっていないようだが、意識はあるように見える。だが、返事はなかった。心音も呼吸音も聞こえるのに、これといった反応はない。見える範囲の外傷もないから、どうしたものかなと考えた。ぱっと見は何ともないが、どこかを傷めている可能性が頭をよぎる。ミラに服の中身を点検してもらうかと馬車に足を向けたところで、レイラーニはぴくりと動いた。
「師匠さん、いけるか?」
「この傷はヤバくね」
「一応、医者を呼ぶか?」
「縫うとこなんて残ってねぇじゃん」
そんな声が聞こえているのに、反応したのだ。
「変態仲間の光龍さん。ケガを治して」
レイラーニはまたしても失礼な呪を口にして、眩しい光を振りまいた。ヴァーノンの目は灼かれて失明したが、魔法で回復してすぐに見えるようになった。師匠の失われた肉は盛り上がり、傷は完全に塞がった。傷だらけの綺羅星ペンギンの男たちの古傷が癒え、過去に失った欠損部分も取り戻した。ルーファスの捻挫も、テッドの足と膝の痛みも、イギーのぎっくり腰も治った。
光龍は失礼発言に腹を立てたが、悪口の犯人が師匠の妹だと思ったので、素直に奇跡を起こした。師匠はどうでもいいが、師匠の両親が怖い。常識的に考えて、始祖竜である光龍に敵うことのない脆弱な人の身でありながら、膨大な力を振るうのである。時に、何でもない顔をして、世界を破壊し尽くすような力を放出する。これを人は進化と呼ぶなどと嘯いて、何もしていない光龍を何かのついでに吹き飛ばすのだ。巻き込まれただけだから生き残っているが、標的にされたら命はないだろう。慢心して力を奮った同胞は、捻り潰されてしまったのだから。特にヤツらは周囲の人間を害されるのを嫌う。だから、彼らの子どもには最大限配慮してやらねばならないのだ。情けは人の為ならず。すべては自分の身の安全のために!
レイラーニは魔力切れで昏倒したが、それは光龍にはどうにもできないことだった。本来なら奇跡を起こす代わりに魔力をもらうところなのだが、出血大サービスで微塵も魔力を受け取っていないのだ。気合いで奇跡を起こしてやろうと、自発的にレイラーニが撒き散らかして無駄遣いしただけなのである。そう言っても師匠の親たちは光龍を怒りで殺そうとするだろうが、そんなことを言われても、それに関してはどうすることもできない。
目を開けた師匠は、レイラーニを探した。身支度より朝ごはんより、レイラーニが大事だ。愛しいその娘は、ヴァーノンに抱えられていた。ヴァーノンなら、安全である。ヴァーノンなら何も心配ない。だが、そう思っても胸の奥はチリチリと焦げている。こちらに寄越せと叫びたい。
レイラーニはヴァーノンを見て笑っていなかった。白い肌をより白くして、力無くぐったりとしている。魔力切れだと、師匠は気付いた。パドマなら問題ない。放っておいても回復する。だが、レイラーニはいけない。レイラーニは失えない。死んでも何度でも甦らせるが、それは同じレイラーニにはならない。師匠の好きなレイラーニは1人だけだ。新しく作れば、レイラーニはまたパドマから切り離されるところからスタートする。いずれ師匠はそのレイラーニに恋をするだろうが、今までの記憶が失われるのは嫌だと思った。やり直した方が上手くやれるだろうが、それらも共有したい大切な思い出だった。
師匠はレイラーニに駆け寄ると、もう1人の自分もレイラーニに縋っていた。モンスター師匠ではない。師匠本人だ。切り離された足に魔法が作用して、欠損部分が修復されてしまったのである。師匠はそんな事情は知らないが、ひとまず棚上げにした。時間が惜しい。
「抱いてついて来て下さい」
レイラーニを抱く権利まで譲って、魔法を使うのに適当な場所を探した。人目に付かない森の中に入ると、師匠は魔法を行使して、レイラーニを抱く師匠を殺した。もう1人の自分の魔力を全て奪い取って、レイラーニに与えた。これ以上の恋敵はいらない。魔力を失った抜け殻が落ちて、師匠はそれがモンスター師匠でないことを知ったが、気にしなかった。高温で焼き、土と混ぜて、この世界の一部に変えた。
「そんなに簡単に死ねるなんて、羨ましい」
師匠はレイラーニを抱いて、皆のところへ戻った。戻る途中でレイラーニは目を覚まし、師匠の胸ぐらをつかんで錯乱していたが、夢を見たのですねと言うと、落ち着いた。
「夢? そっか。道理で変なことが沢山起きると思ったよ」
「そうですよ。私は鳥女如きに後れを取ったり致しません。鳥女の歌にまんまと催眠をかけられたり、喰われたり、攫われたり、2人に増えたりなんて、絶対にありませんから」
「そうだよね。ハワードちゃんだって引っ掛からなかったのに、師匠さんとイレさんだけやられちゃうなんて、変だと思ってたよ」
ふふふと笑い合うと、皆に無事を伝え、磯遠足を再開させた。
問題となったのは、ギデオンが鳥男を捕獲してしまったことである。カイレンに蹴飛ばされて海に落ちた鳥男は、気を失っているところをギデオンに捕まえられて、縛り上げられていた。歌が危険なのかとクチバシも塞がれているので話も聞けないし、そもそも意思の疎通が取れるのかもわからない。
「夢なんじゃなかったの?」
レイラーニは疑惑の目を向けると、師匠は笑顔を深め、しゃあしゃあと言った。
「鳥女はいませんでした。鳥男はいたようですね」
そう言いながら、師匠はルイに蝋板を渡した。中には『私の腹部の傷と、鳥女を殺したことが心の傷になっています。夢ということにします』とある。なるほどと、蝋板を回していった。
「どう致しましょう。身体は鳥に見えなくもありません。絞めて食材にしますか?」
ギデオンが真面目腐って聞くので、それにも師匠が回答した。『レイラーニの前で人型のものを殺すな!』
レイラーニは意識を取り戻したが、魔力不足でいくらも動けない。師匠の魔法で服の水分と塩気は抜けたが、元気に暴れるほどは回復していない。ハワードが釣り上げてきた見たことない謎の細長い魚を焼いてもらって食べたりしていたら、紅蓮華メンバーが並んで低頭していた。不穏な空気を感じて、レイラーニはあえて背中を向けると、それを無視するように会頭が話し始めた。
「この度は、祝福を下さりありがとう御座いました。我らを思ってなされたことでないのは重々承知致しております。恵みのお裾分けを預かっただけで御座いますが、僅かなお力でも、我らにとっては神の祝福。レイラーニ様のお力添えで、命を繋いだ者がおります。感謝の気持ちを伝えさせて下さい」
レイラーニが魚を置いて耳をふさぐと、ルイがやってきて進言した。
「先日、牧場で使った魔法がアーデルバードでも作用したようですよ。同時刻に、こちらでも光が降ってきたそうです。その時、たまたま梯子から落ちて死にかけていた御子息が、軽症になったという話を伺いました」
「時期会頭が梯子に上って、何をしてたの?」
「シャンデリアの蝋燭を取り替えていたそうです」
「まだ雑用を任されてるのか。それも向いてないだろ。使えない男だな!」
ひそひそ話をしていたが、皆は静かにレイラーニの動きを見守っていたから、声は聞こえている。イギーは胸を押さえたが、他は何も変わらない。レイラーニは会頭に向き直って言った。
「ウチは、ダンジョンの神。美味しいものを見つけて、ダンジョンに採用してって師匠さんにおねだりする以外は何もできない。イギーを治したのは、光龍様っていう変態の神様だから、ウチは関係ないよ。光龍様を信仰したらいい」
「かしこまりました。ご教授頂き、ありがとうございました」
紅蓮華は解散して、BBQの手伝いをすることにした。レイラーニを追い詰めても、冷遇されるだけなのは理解しているのだ。適当に野放しにしておいて、困った時だけ縋っても、お人好しの神は助けてくれるから問題ない。
師匠の料理と、紅蓮華のシェフの料理と、適当な誰かの料理を堪能して、酒の品評会をして、皆の宴会芸を見て、セスののろけ話を聞いて、シエラが先生を目指すことを聞いて、レイラーニは楽しく時間を過ごした。
何故かレイラーニの魔法よりも師匠が男だったことが話題に上りがちで、しかも身体が貧相すぎてヤバイ、顔があれであの身体はないと言われて、師匠が泣いていた。足師匠が全裸だったのだ。
「師匠さんは貧相じゃないよ。可愛いよ」
レイラーニの取りなしがあっても、師匠は浮上できずに、料理に逃げた。
磯遊びをして、BBQの片付けを済ませると、また馬車で撤収する。寝ているカイレンの回収は忘れてしまったが、危険かもしれない鳥男は厳重梱包のまま連れ帰った。
師匠は、鳥女の歌に魅入られたのが自分とカイレンしかいなかったというレイラーニの話を信じなかった。だが、ヴァーノンはあんなのただの鳥の鳴き声だと言うし、テッドは姉ちゃんを見慣れればあんなの美人じゃないと言い切った。師匠は、衝撃を受けた。パドマかレイラーニの所為で、アーデルバード街民の魅了耐性がおかしなことになっている。音楽を解する心がないのかと、メドラウトに救いの目を向けると、フェーリシティの歌劇は素晴らしいですねと返された。演者が師匠しかいないので、半分はお世辞だとわかっているが、言っていることがおかしい。師匠本人が耐性がついていないのに、それを聞き慣れたアーデルバード街民は歌に造詣が深いと言うのである。絶対にヴァーノンは歌劇場に行っていないだろう。ダンジョン国アーデルバードは怖いところだな、と師匠は思った。
メドラウト家族や黄蓮華の女たちは、歌が聞こえる範囲にいなかったので無事でした。彼らは戦闘民族アーデルバード街民ではないので、鳥女の歌に魅了されるかもしれません。
次回、みんなにバカにされる師匠。