402.後日談
バイロン牧場から連れ帰った牛の母娘は、無事フェーリシティのジョージ牧場に収まった。名前はそれぞれイレさんのお母さんと、イレさんの子どもに決まった。レイラーニが何の気もなくそう呼んでいたのが、正式名称として採用されたのである。いっぱいいるヤギは、管理のためにジョージが適当に名付けたのだが、マコちゃんってどれだよ、こっちがシュネッケだろ? と綺羅星ペンギンのアルバイトには、まったく覚えてもらえていない。その点、レイラーニの付けた名前は皆がすぐに覚えた。子どもが大きくなった後も、ちゃんと見分けがつくかは、レイラーニは保証しない。可愛がっていた時期もあったが、レイラーニはバイロン牧場で見分けられる牛は1頭もいないままだ。
アーデルバードに戻って、レイラーニに捕獲されたカイレンは、とても残念そうな顔をして告げた。
「パドマのお友だちは、とても素敵な人だと思う。だけど、あの人はお父さんの娘なら、お兄さんの妹なんじゃないかな」
レイラーニは衝撃を受けた。ジェスがかなり乗り気だったようだから考えもしなかったが、カイレンの話は確かにその通りだと納得したのである。師匠が兄妹じゃないと太鼓判を押しても、レイラーニは聞き入れなかった。そもそもジェスは友だちではなく、ちょっと苦手な人だった。彼女のために頑張る気は失せた。別にどうでも良くなってしまった。どちらかと言うと、緑くまの味方をして、師匠をどうにかした方が良いのではないかと思われた。魔力回復を言い訳に、ベタベタされるのを鬱陶しく思うようになってきたのだ。外出中ならまだしも、フェーリシティに戻ってきたら、そんなものはいらないのに。今もレイラーニの手を取って、魔力を流してくれている。ぽかぽかと気持ちがいいので放置しているが、気候が良いから暑苦しくも感じ始めていた。
「ジェスとイレさんの結婚よりも、現実的なのは師匠さんと婚約者さんの結婚だと思う。だって婚約してるんだし」
「親が勝手に言っていただけです。私は初めて聞いた時には断りましたよ。当時4つか5つか、そのくらいでした。その後、充分、人生のやり直しができる年齢だったと思います。私はもしかしたら気が変わるかもという隙もなく、拒否し続けておりました。詳しくは、こちらをご覧下さい」
師匠は交換日記をレイラーニに渡した。牛を求める旅の間は日常を持ち込まないようにしようと決めて師匠は休みにしていたが、家に戻ってきたなら、再開してもいい。レイラーニと交換日記をするほど親密なんだぞとカイレンに見せつけるように渡して、カイレンに「古っ」と言われて、師匠はイラッとした。レイラーニはスキンシップが苦手なのだから、最も適当な手段は何かと、師匠は真剣に考えたのに。まったく進展がない男にだけは言われたくはない。
レイラーニはまたそれかと、嫌そうな顔を浮かべたが、そういえば前回はダンジョンの攻略のヒントを聞いたんだったと思い出して、うきうきとページをめくった。カイレンがそーっと覗こうとするのに気付いて、パタンと閉じた。100階層に行くのはレイラーニだ。横取りは許さない。
「返事を書いてくるから、またね」
レイラーニは自宅に帰った。師匠はカイレンから日記を隠したところを見て、レイラーニの成長を感じて嬉しくなった。もしかしたら唄う黄熊亭は、家族だからオープンだっただけかもしれない。そう思うことにした。
るんるんるんと、唄う黄熊亭に帰参したレイラーニは、自室の卓について、交換日記を開いた。『師匠さんのお父さんの理想の息子はどんな人』の答えを見る。
『父たちは口を揃えて、元気ならいい、幸せならいいと言いました。ですが、それは方便でした。この世界と母の故郷と、大人になった時に好きな場所で暮らせるようにと、父たちと別居して母の故郷にある学校に通わせていただきました。入学にあたって、私が困らぬようにと父は学校教育も仕込んで下さいましたが、それを望んではいませんでした。ともにこの世界で暮らしてもらえないのは寂しいというものでしたから、嫌ではありませんでした。そう望んで頂けるのは、光栄です。
父たちは、それを叶えるために私を嫡男に指名しました。仕事の後継はいらないのに、生活面での後継にしました。地龍との婚約も、外に出さないための手段の1つです。絶対に死ねないように呪いをかけて、父たちが死ぬまで私が側にいることを望まれました。』
随分と重い内容に、レイラーニは絶句した。花柄の桃色の服を着て、桃色の飾りをつけて、抱っこしてチューするんだよ! というような回答が返ってくるものだと信じていたのだ。それはそれで嫌だが、この回答も参考にはできない。生きてこの世界にいれば良いなんて、レイラーニは既に達成している。
『牛は気に入りましたか。他に何か欲しい物、したいことはありますか』
師匠の答えの下には、また質問がついてきた。これまた返答に困るざっくりとした疑問だった。はい、いいえくらいで答えられるものにしてくれたら、返事は楽なのに。
『アーデルバードに戻って来れて、すごく幸せ。みんなに会えて、生き返って良かった。ごはんが美味しくて、本当に嬉しい。師匠さんのおかげ。感謝してる。ありがとう。ウチはもう満ち足りているから、皆を幸せにしたい。幸せに生まれて、幸せに育って、幸せに暮らして欲しい。ウチを思い出すのは、たまにでいい』
レイラーニは何を書いたらいいかわからなかったので、真綿に包んだような適当な返事をした。そして、質問の項には『師匠さんのしたいことは何』と書いた。書いてから抱きしめたいとか、口付けたいとか書かれたら最悪だなと思ったが、ペンで書いたものは消えない。『ウチが叶えられるような、簡単なのがあればいいんだけど』と書き足した。抱きつかれるだけなら、我慢すれば誰にでも出来ることである。違うんだ。それは嫌だと悩んだが、抱き付くのはなしなんて書けない。もしかしたら思い付かないでくれるかもしれないのだ。その上、それは書いてなかったなどと、斜め上をいく最低なことを求められるリスクもある。このざっくり感のまま提出しようと、心に決めた。
短くてすみません。昨日、ここまで書けば良かったですね。
次回、お見合いパーティ。