40.新しい短刀
昨夜、唄う黄熊亭に師匠が現れなかったが、今朝、パドマが家を出てみても、師匠は外で待っていなかった。こんなことは、師匠に出会って以来、初めてのことだった。
「パドマ、何したの?」
師匠と朝ごはんを共にするために待っていたのであろう、イレの機嫌は悪そうだ。声が刺々しかった。
「一生懸命に謝ってるらしい師匠さんに、暴言を吐いて傷付けたんだと思う」
ここまで効果があるとは、悪いことを言ったなぁと思うが、言ったこと自体は後悔していない。もしあの時に時間を戻せるならば、なるべく同じ言葉をもう一度言おうと思う程度に、後悔はしていない。
「師匠を傷付けるって、何を言ったの?」
「イレさんを参考にしたんだ。前に、おっちゃん呼ばわりしたの、嫌がってたでしょ? それに、師匠さんの方が年上って言ってたでしょう? それで、あれだけキレイなら、言われ慣れてないだろうからさ。おっさん呼ばわりしてやったの」
パドマは、ニヤリと笑った。幼い子どもの無邪気なやりとりのようなイタズラで、誰にもどうにもできない人を陥落させてしまったとは到底思えないが、実際、師匠は姿を現していない。
「何それ。すごいな、パドマ。恐ろしいな」
「武器屋のおっちゃんにも怒られたけど、やめる気はない。それが、ウチなりの恩返し」
パドマは、胸を張って両手を腰に当てている。妙に誇らしげにしていたのは、パドマが善行のつもりで行っていたからだった。
「恩返し?」
「そう。前はね、イレさんを彼女ができる男に改造計画をしてたんだけど、ウチの成果とはまったく関係ないなりに、彼女ができたみたいだからさ。今度は師匠さんをまともな人格にする計画を実行しようか、と画策してるの」
「えっ? 彼女ができたの? 誰?」
「師匠さんと、結婚を前提にお付き合いをしてるんだって、言ってたよね?」
実際には彼女がいないため、うっかり素で聞いてしまったが、以前、パドマの危険回避のために師匠の人気を落とそうと、師匠をイレの彼女に仕立て上げたことを思い出した。誰にも聞かれていない場なら、真実を明かしても構わないが、外でバラすことはできない。イレは、慌てて、適当に誤魔化した。
「それね! いやぁ、まさか、パドマにまでバレてるとは思わなかった」
「何回ヤメロって言っても、毎日のようにイチャイチャデレデレしてて、バレてないと思ってたの? バカにしすぎだよ」
バレても構わないパドマには、全然バレる気配もない。きっとそれ以外の人にも、真実は知られなかっただろう。イレは、そっと胸を撫で下ろした。
「しょうがないじゃん。師匠はしゃべんないんだもん。ああでもしたら、それらしく見えると思ったんだよ。そういうのは、師匠は、昔から得意だったし。
ホント、なんだか知らないけど、師匠、パドマには、かなり従順だからね。あんまりイジめないであげてね」
「ウチに従順って、そんな訳ないじゃん。気付いてないんだねー。アレは、そんなんじゃないよ。
霞んで消え失せかけてるけど、感謝する部分も欠片くらいは見つけられなくもないから、師匠さんとお話し合い次第では、仲良くしてもいいんだけど、師匠さん側がウチを嫌になったなら、もうこのままでいいんじゃない? 正直、ウチなんかに付いてても、何の得にもならないし、師匠さんと仲良くしたい人なんて、この街中いっぱいいるんだし、その方が師匠さんも幸せだよ」
「マジで、師匠、可哀想! なんで、そんなこと言えるの?」
イレは、声を荒げた。頬を膨らまし、口をすぼめて怒っているようだ。小さい子どものような仕草が、まったく似合っておらず、それを見たパドマは目を細めた。
「イレさんこそ、何言ってんの? あの人、どこだって1人だって生きていける人じゃん。ウチと一緒にいてくれたら、ウチは恩恵があるけど、師匠さんは何も得しないじゃん。マスターの料理だって、ウチなしでも頼めるんだし、ウチが提供できるものなんて何もないんだよ」
「パドマのことが、大好きなんでしょ。だから、ご機嫌伺いまでして、一緒にいるんでしょう。損得なんて、どうでもいいんだよ。なんで、わかんないかな!」
「わかってないのは、イレさんだよ。ウチだって、気付いてるんだよ。師匠さんは、好きな人は蹴らないよ。なんなら、ダンジョンに入れることはあっても、戦わせたりしない人でしょう。違う?」
師匠は、普段は全てを人に丸投げして過ごしている。平然と人の心を踏みにじるところもあるが、その気になれば、気遣うこともできる人だ。下手に出た師匠は、パドマを甘やかしていた。きっと大好きな嫌われたくない人相手なら、性格の悪さを片鱗も見せずに、完璧にいい人を装うに違いない。だから、師匠の性格の悪さを日々体感しているパドマは、その範疇にはいない。いてたまるか。
「じゃあ、お兄さんは、師匠に好かれてないの? 泣きそうなんだけど!! パドマなんかより、よっぽどひどいめに遭わされてきたんだけど!」
「そんなことまでは知らないよ。イレさんは、弟子だったんでしょ。今は、恋人なんだからいいじゃん」
「そうかな。パドマのために恋人になってるって言っても、愛されてると思える?」
「意味わかんない。ウチは関係ないよね」
「パドマしか関係してないんだよ」
「そんなに嫌なら、別れてしまえ。ウチは関係ない。但し、別れれば、もう可愛い彼女はできない。無理だ。知らん」
クソデカいおっさんが、小さいパドマにすがりついていた。そもそも何の話をしていたのか忘れているようで、袖をつかむ手が必死だ。シワになってしまいそうなくらい握り締められている。
「ひどい。世界の半分は女だよ、とか慰めてよ」
「無理だよ。師匠さんは、性格と性別に難はあるけど、それ以外はケチのつけようがないじゃん。イレさんも、イレさんなんだよ。それだけ稼ぎがあったら、普通、ブサイクでも性格悪くても多少はモテるでしょうよ。それでも無理な何かを直す気もないんだから、ウチの手には余る。完全に諦めた」
ダメなところが目に見えてわかりやすいから、それを修正すればいいだけだ、と気楽に考えたのが、はじまりだった。だが、修正しようにも、本人がまったくやる気を見せないのだ。パドマだけ頑張ったところで、どうにかなる問題ではない。彼女を作るだけが幸せではないのだし、それ以上に大切な物があるという話は、理解できなくもない。このおっさんのこだわりには、共感するところはないが。
「諦めないで! お金以外のいいところを探して!」
「お隣さんも、稼ぎと金払いの良さだけはいい男って言ってた。お兄ちゃんも、格好良くも可愛いくも見えないって言ってた。いろんな角度で見た結果、それ以外は見つからないんだよ。
ケガしたりして、ダンジョンに潜れなくなったら、終わっちゃうよ。早く師匠さんと、正式に結婚しちゃいなよ」
「パドマの個人的意見じゃないなんて。裏取りまでしてるなんて、えぐい! ひどいひどい。もうケンカの仲裁とか、知らない。帰って泣きたいー」
「だから、本気でモテたかったら、そのボサボサ頭とヒゲをやめて小綺麗な服着て、くねくねしたりデレデレしたりするのをやめたらいいじゃん。そこがようやくスタート地点だよ」
「ヒゲは、ダメなの。絶対に取れないの。このまま好きになってくれる人じゃなきゃダメなの!」
「だから、諦めたんだよ。師匠さんに逃げられないよう、頑張って」
いつものお店で、泣きじゃくるうっとうしいおじさんと2人でごはんを食べて、ダンジョンに向かうと、師匠が合流してきた。パドマを見つけると、前に回り込んで、短剣を差し出してきた。
「また剣を作ったの? 正直、師匠さんの剣を適正価格で買取るのは、出世払いを含めても無理なんだけど」
「師匠が欲しいのは、お金じゃないよ。気付いてないの?」
まだイレは、スネたような口をしている。師匠の様な見目であれば可愛かったかもしれないが、ヒゲもじゃの大男だ。フォローもしたいと思えない。
「ウチはね。師匠さんの弟子にも妹にも、なりたくないからさ。だから、受け取りたくないんだよ。
そうだな。師匠さんは、信じられないくらいキレイな顔をしてるし、やれば何でもできるし、気まぐれに優しくした程度でも、皆がみんな師匠さんに惚れるんだろうな、っていうのは、理解した。
だけどね、ウチは惚れないからさ。蹴飛ばしてみたり、嫌がらせするのをやめてくれない? そういうのをしないでくれるなら、受け取ってもいい。弟子でも妹でも、多少のことは我慢する。嫌だけど、我慢する。師匠さんの存在自体は、残念だけど有益だから、我慢する。
その剣の使い勝手の良さは、手に取る前から信じられるけど、待遇が改善されない限りは、絶対に受け取らないよ」
パドマからすれば、師匠の顔の方が上にある。下から見上げているにも関わらず、見下すような冷めた目を向けていた。対して師匠は、目を見開き、震える手でパドマの顔に触れたが、「さわんな!」とパドマに振り払われた。
「こんなにキレイな師匠に惚れない女の子なんて見たことないんだけど、ひょっとして、年齢を詐称してない?」
イレも、驚愕の顔でオロオロしている。
「お兄さんの好きになった人は、みんな師匠が好きだったよ?」
「芸術的価値は認める。飯の種になるくらいキレイなのも認める。何をさせても出来のいい完璧超人だった。でもさ、その顔で散々嫌がらせされて、やっと魔獣に怯えず寝られる場所ができたのに、それを捨てる覚悟までしたんだよ? ごめんね、って甘やかされたら惚れんの? バカにしすぎじゃない? 100歩譲って、惚れても惚れないよ。どうしてくれんだよ。イレさん以上に、恋愛できる気がしないよ」
パドマは、目を吊り上げて吐き捨てた。長いこと師匠と一緒に過ごしてきたが、師匠の前に立つ女の子がこんな態度を取っているところをイレは見たことがなかった。
「なんて、罪作りな。責任とって、師匠に嫁にもらってもらう?」
「ごめん。森に帰るわ。師匠さんを旦那にするなら、魔獣の嫁になる方がマシ」
パドマの言葉の途中で、師匠は膝をついた。かしずいて、パドマに極上の微笑みを向けて、短剣を差し出す。
「やっぱり、その性格の悪さは、女避けだったのか。苦労してるのかもしれないけど、やられる方の身にもなってよ。傷薬くれたって、許さないからね」
パドマは、奪い取るように荒々しく短剣を受け取って、その場で抜いた。
「うわぁ、また変なの作ってきたなぁ」
片刃の直刀だが、長さはパドマの上腕ほどしかない。刃幅は小指の長さほど。樋は入っていないが、刃は比較的薄い気がした。濤乱刃の刃紋が美しい。今度の短刀は、刃が黒であったが、鞘と持ち手は、桃黄碧のグラデーションカラーだった。籠手と同じ色である。
「軽いのは有難いけど、薄くて折れない? 柔らかい敵専用なのかなぁあぁあ」
師匠がパドマに抱きついてきたので、パドマは持っていた短刀で斬りつけた。服の中身は刃が通りそうにないため顔を狙ってみたが、避けられた。
「ちっ。避けやがったか」
パドマは、憎々しげに睨み付け、師匠は頬の傷を指で触って微笑み返している。
「なんで斬りつけるのさ。やめてよ」
イレは、師匠を守るため前に立ったが、完全に腰が引けていた。パドマは小さい上に、力もない。動きも遅い。完全に格下の相手なのに、斬られる気がした。薄くとはいえ、ふいをついたとしても師匠を傷付ける腕は、尋常ではない。パドマは、どこかがおかしい。
「触んのやめてくれたら、斬らないよ。ごめんね。嫁入り前の大事な身体なんだ。嫁に行く気なんてないんだけど、さわるのをやめてくれないなら、斬り捨てる大義名分にさせてもらうよ」
ザンギリ頭に、師匠と揃いの狩衣姿。パドマは、この街の女性としては逸脱した格好をしている。その上、目はこれ以上ないほど吊り上げられ、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。それなのに形容しようとすれば、イレの頭には、可愛いだのお人形さんだのという単語しか浮かばなかった。どうにか見た目通りに育って欲しいな、と思っていたのだが、パドマがそうしたように、自分も諦めるしかないのかな、と空を見上げた。
物騒な妹弟子と、嬉しそうにしている最愛の師匠が心配になって、イレは2人に付いてダンジョンに入場した。
以前は、師匠がナイフで露払いをしていたが、今日はパドマが1人でフライパンで道を開いていた。10階層までくると、火蜥蜴を倒さずに走り抜ける。11階層まで来ると、パドマは、新しい短刀を抜いた。
ミミズトカゲは、パッと見ただけでは、どちらが顔かしっぽかはわかりにくく、頭とアゴの向きも見分けづらい生き物なのだが、パドマは正確に頭の後ろに回り込んで斬り捨てていた。
「うーわー、また進化してるぅ。技能だけなら、もう勝てないかもしれない!」
イレは、師匠にミミズトカゲを1匹担がされ、パドマの後ろをついて行った。
パドマは、その後も1人で短刀を振り回し、20階層に着いたところで、止まった。
「火蜥蜴の死なないところにナイフを刺して、肉を焼いてる妹弟子が、怖いです! 階層進んでないから油断してたのに、成長しすぎじゃない?」
いつぞやイレが渡した棒手裏剣は、いつの間にか、焼き肉の串になっていた。フライパンを皿にして、棒手裏剣で肉を頬張るパドマの姿が、なんともワイルドだった。
「ん? リンカルスの時も言ったけど、進もうと思えば、いくらでも進めるような気はするよ? 安全第一にしてるから、止まってるんだよ。次の階にイモリみたいのがいたら、ダンジョンが怖くなっちゃうじゃん」
ある程度はナイフで細切れにしてあげたのに、パドマは豪快に歯で食いちぎって食べていた。ダンジョン内でナイフとフォークで上品に食べている師匠も変だと思ったが、それを見てこう育ってしまったパドマの方が心配だった。
「安全対策の内容がおかしいのと、嫁の貰い手の心配と、どっちをツッコんだらいいのか、わからないよ!」
「大丈夫。ヘビ皮が売れなくならなければ、多分、独り身でいる方が優雅に暮らせる。お兄ちゃんの子に小遣いでも握らせて懐柔すれば、寂しくないよ」
パドマの横で、師匠も大きく頷いていた。
「師匠、変な教育しないでよ!」
22階層のヤドクガエルとフキヤガエルは、短刀で難なく倒した。得物が少々短いので、斬り捨てる時に触らないでいられるかが、最大の焦点である。袖口が広い服なので、うっかりすると袖がカエルに触れそうになる。1度目は、師匠に助けられてしまった。その時に、紐で縛って袖を片付けたので、その後は危なげなく通過した。
そんなことがあっても、顔色1つ変わらない2人を見て、イレは驚いた。震える手を押さえて、恐る恐る聞いてみる。
「パドマ、大丈夫なの?」
「何が?」
パドマは、見た目通り、何の感動もないらしい。イレの方を向いたが、表情に変化は見られなかった。
「さっき、師匠が颯爽と抱き上げて助けてくれたじゃん?」
「ああ、おかげで毒に当たらないで済んだよ。あれは、触んなって斬りつける訳にはいかないよね。蹴られるよりはいいし」
助けられたのに気に入らないらしい。目付きが悪くなったことから、それがわかった。
「師匠、格好良くなかった?」
「何が?」
即答だった。顔を赤らめることもなく、思い返しもしていない。
「な、何が? パドマって、今後、どうやって恋愛フラグ立てんの?」
「ミミズトカゲステーキをくわえて、ダンジョン内を走り回ってたら、ふいに曲がり角で同じように走ってた誰かと衝突したショックで恋に落ちたりするんじゃない?」
頭を打った拍子に人格崩壊でもすれば、恋に恋することもあるかもしれない。つまり、パドマがパドマであり続ける限り、無理だという回答だった。
「それ、どんな状況なの?」
「たとえ目隠ししてても、衝突する手前で斬り捨てるだろうから、悲恋決定だけどね」
パドマは、ふふふと笑っている。その横で師匠も繰り返しうなずきながら、微笑んでいた。
「ちょ。何で2人とも笑ってるの? パドマの人格修正、今からでも間に合う?」
師匠は、とても幸せそうに、首を横に振った。
次回、新キャラ登場。パドマの目が吊り上がる。