397.ヒーランクー?
自分はポンポーニオ並みのダメ父かもしれないとショックを受けた師匠は、レイラーニを旅行に誘うことにした。熱海旅行ではない。バイロン牧場への道行である。
そろそろヤギを飼い始めて半年ほどになる。ヤギの出産も終え、ヤギ飼育の役割分担の割り振りも慣れてきたと思われる。フェーリシティに住みたいがばっかりに、ペンギン男が増えすぎて作業がないとジョージ一家から苦情も来ている。今なら飼育動物を増やしても問題はなさそうだった。
飼育舎をパパッと魔法で作り上げ、動物を増やす準備をしておけと指令を出した後、師匠はレイラーニを誘いに行くと、またしてもアデルバードがいた。パドマをカイレンと結婚させようと師匠を誘った男である。師匠は心の中で、シャーッと威嚇した。
「レイラーニ、バイロン牧場へヒーランクーを買いに行きましょう」
レイラーニは、アデルバードの演奏を聴きながら、黙々と燻製玉子を食べている。師匠は卵が苦手だったと思うが、アデルバードが卵にハマっていて、やたらと卵料理を作るようになったからである。今日は沢山作った燻製玉子から美味しさグランプリを決める催し物の審査員長を任されたため、食べ比べをしているところだった。兄妹2人のイベントなので、これっぽっちも盛り上がっていないが、レイラーニは目立ちたがりではないので、このくらいの規模が丁度良い。
美味しい美味しくないの前に、殻を割ったら白身が固まっていないべちゃべちゃの玉子が時折出てくるのに苦戦しているが、今の所暫定10位までは決まった。キジとカモが美味い。アーデルバードのダンジョンにいない鳥なので、盲点だったと震える思いだ。そろそろ玉子味に飽きてきて、口の中がもそもそするから食べたくないのだが、ツルの卵の味を確認しなくちゃという使命感で食べ続けている。
「行かない。今忙しいんだ」
レイラーニはカメの卵を割ったら、またドロドロが出てきて顔をしかめた。作りたいを先行させずに、結果を考えてから作って欲しいと言いたい。
「牛への興味はなくなったのですか」
「牛? ウチはイレさんたちが好き。闘牛はいらない」
レイラーニは、ネジツノヤギのことを思い出して言った。ネジツノヤギは特に戦わせられてはいないが、ツノをぶつけているところを見たことはある。その時、飼育員たちははしゃいでいた。闘牛を飼えば彼らは喜ぶかもしれないが、レイラーニはミルクでチーズを作りたいだけだ。余計な要素を盛り込んだら、余興で対戦させられそうだし、そんなものはいらない。
「ええ、ですからヒーランクーを、、、カイレン牛の正式名称ですが」
「あの子たちの正式名称なら、パヴァン印のイレサン牛肉だよ」
レイラーニは、ヴァーノンに教えてもらったエピソードを手短かに話した。肉が美味しくてフォークとナイフが止まらなかった話はしない。金にあかせて買い占めて、食べて根絶やしにされたら困る。
「パヴァンはパドマの偽名ですよね。その名に何か疑問はないのですか?」
「疑問しかないよ」
パドマは、あの牧場とは何の縁もない人物だ。ただ通りすがりに牛を見て、可愛いなと思っただけだった。変な肉食獣さえ出なければ、出会うこともなかった。縁もゆかりもなく、本名ですらないのに、何がパヴァン印だというのだろうか。パヴァンなら、牛は肉にはしない。イレ牛を肉にするのを推進する立場のようで、すごく嫌な気分になったものだ。
「では、あの牛の入荷は見送りましょう。私は見島牛の方が好きです。牛は見島牛に致しましょう」
師匠はポンと手を叩いた。父として娘を喜ばせようと思ったが、いらないと言うのであれば、師匠もカイレン要素はいらない。素顔を気に入られるよりはいいが、カイレンの名を呼んで、牛を愛でるレイラーニを見たいとは思っていない。
「え? やだよ。見島牛も飼っていいから、イレさんも仲間に入れてあげてよ! イレさんに、お友だちを作ってあげて」
「見島牛は美味しいですよ」
師匠は、とろりと溶けるような極上の笑顔を浮かべた。レイラーニは食に弱い。それを知っての誘惑だ。
「うちの子は食べない約束でしょ」
レイラーニの顔に怒りが浮かんだ。師匠は、早々に諦めた。見島牛に思い入れもなくはないが、危険を冒すほどではない。今回の目的は父の株を上げることだと、わかっている。
「わかりました。見島牛は諦めます。カイレンを連れて来ましょう」
「うんっ」
師匠とレイラーニが牛談義に花を咲かせる間、アデルバードは静かに演奏を続けていた。
バイロン牧場へ遊びに行くメンバーは、師匠、レイラーニ、カイレン、ルイの4人に決まった。2人で行く気満々でいた師匠は、出発日にレイラーニのところへ行ったら、同行するメンバーを紹介されて、怒りに震えた。口からは不満をこぼしていないが、周囲に魔力はこぼれているし、精霊たちは何をしてやろうかとワクワクしている。
カイレンは、アデルバードに言われて来た。レイラーニが師匠と2人きりで旅行に行くらしいよ、と進言されたのだ。レイラーニは何も考えずに物に釣られているよと言われれば、魔法特訓をしている場合ではない。だから約束の日時と聞いた時間の1時間前に、しれっとレイラーニのところに行って、先日の詫びだとリコリスで聞いたオススメお菓子を持って来たのだ。レイラーニは悪かったのは自分だと思っているので、カイレンを受け入れて、イレさんに会いに行くんだと、カイレンを誘った。
ルイはたまたま真珠の上納に来て、巻き込まれている。折角来たのだから、ヤギの世話か畑仕事をしてから帰ると言ったところ、丁度いいから牛の世話をしろと無茶振りされた。牛がいるという話を聞いたこともないし、今のところ何を求められているかを理解していない。カイレンが後から来て、牛の話題を出したので、ようやく牛を増やす手伝いを求められているのだと知ったところだ。そして今、師匠が歓迎していないことを知った。ならば綺羅星ペンギン代表として、参加せねばならないなと思っている。
相変わらず、レイラーニの旅支度は何もない。カイレンが持ってきたアデルバードのジャーキーがあれば、もうそれ以上は必要ないと思っている。師匠の旅支度はいつもの亜空間に仕舞ってきているし、カイレンは小銭だけあれば何とかなる派である。外貨だからと安く見積もられても構わないで済むように、ジャラジャラと多めに持ってきた。軽装でいる彼らを見たから、ルイも旅支度が必要だと気付かず、出発することになった。
「今回は馬車はないの?」
「馬車に牛は乗せられませんから。疲れたら背負います。問題ありませんよ」
師匠はそう言って、レイラーニを抱えて走り出した。カイレンはともかく、ルイは簡単にまける。フェーリシティ近郊であれば、今日見て回らなくてもいい。全速力で走り抜けたら、ルイは余裕でついて来た。カイレンの背に乗って、カイレンに指示を出している。師匠の敵はカイレンの仲間理論で丸め込み、実際にカイレンをもまこうとする師匠の動きを察知して、役に立ってみせた。カイレンはすっかりルイを気に入った。
レイラーニは串焼き屋や串カツ屋に興味を示さなかったので、師匠はまっすぐバイロン牧場に行って、呆然とした。牧場がなくなっていたのだ。
以前、牛を囲っていた柵は薙ぎ倒され、大型爬虫類がのっしのっしと歩いていた。体高は師匠の身長と同程度あり、体長はイレの身長の5倍はある。半分くらいはしっぽであるが、プルスサウルスもかくやという巨体を持った生き物が見える範囲に6体歩いていた。
プルスサウルスはワニ型であるが、歩いている爬虫類は二足歩行で歩いている。火蜥蜴人間のような直立二足歩行ではなく、前傾姿勢気味だが。前傾してはいるが、前肢は地についていないし、3本の長い爪を前方に構え、拍手をするような姿勢を保っている。頭は先のとがったスリムな形であるが、身体全体が大きいから充分に脅威を感じられる。
それを見つけると、暢気に揺られていたレイラーニも地に降りた。真っ直ぐに大トカゲを見つめて、走り出す。師匠が止める隙もなかった。いっそレイラーニの踏み台にされ、よろけている間に突破された。
それを確認すると、ルイもカイレンから降りて、カイレンにレイラーニの援護に入るように言って、自分も大トカゲに向かって走る。ダンジョンに戦いに行く予定はなかったから刃広斧しか持っていないが、のんびり見ていることはできない。真っ先に突っ込んだレイラーニは、無手である。
「剣!」
レイラーニは一言で水の剣を作り、最も近くにいた大トカゲに向けて剣を振りかぶった。
「きゃん!」
レイラーニは吹っ飛んだ。大トカゲも黙ってはおらず、レイラーニに向かって噛みついてきたのを助けようとしたカイレンの手に触れさせまいと、師匠が蹴飛ばした結果だ。レイラーニは、ぬるま湯のダンジョン生活を続けた結果、師匠への警戒を怠っていたことを思い出した。最も注意すべきは、師匠の足癖の悪さだ。
レイラーニの剣は、魔力の込め具合さえ間違わなければ、理論上は何でも斬れる剣である。硬いカボチャでも、ぐにゅぐにゅの皮付き鶏肉でも、弾力性に富む灰色の食物でも、鉄でもダイヤモンドでもロンズデーライトでもスパンときれいに斬れる。だから、大トカゲに食われるなら、口を真っ二つに裂いてやればいいだけだ。助けてもらわずとも、自力でどうにでもできた。故に、レイラーニは師匠を許すつもりはない。
既にカイレンと師匠が1頭ずつ仕留めてしまったし、2頭目3頭目を沈めるのも時間の問題だ。
「ウチの獲物を取るな!」
レイラーニは全方位に魔力を放出し、大トカゲと師匠とカイレンを止めるように、精霊に願った。その結果、海もないのに局地的な大波が立ち上がって、全てを押し流した。
師匠は、ずぶ濡れになった身体を腕の力で地面から引き剥がした。すっかりレイラーニにしてやられた。魔法を使えるようになったレイラーニは、師匠よりも強い。地龍ほどではないが、全力を出されると手に負えない。大水に流される間、何だかわからない物に何度も激突した。身体中が痛いが、いずれ治る。それよりも問題は、レイラーニである。あの愛しいまぬけ娘は、敵を殲滅する魔法に味方を巻き込んだだけでなく、自分も巻き込まれていた。水魔法であれば無償で魔法が使えるのだが、レイラーニは更に自分の魔力を代償にしていた。意識を保ったままの師匠でも大水に抵抗できなかった。気絶したかもしれないレイラーニはどうなったか、気が気ではない。
カイレンは、大分ズタボロになってしまった。大波が見えた時、回避しようと思えば出来たのだが、レイラーニが巻き込まれるのを見たので、戻った。レイラーニを回収して、迫り来るいろいろな物を自分を盾にして回避していたから、そんなことになってしまったのだ。
服が傷んだのはさしたる問題ではないが、扱いに困るのはレイラーニである。大波を発生させて以来、意識がない。だから、ケガをしていないか問うこともできない。息はある。と思う。胸が上下運動しているような気がする。しかし、それは願望が見せる幻想かもしれないと思うから、自信がない。現に、カイレンはパドマが死んだ時、まったく気付いていなかった。
先程はやむを得ず触れてしまったが、触れて魔力を搾取して殺してしまうのは嫌だし、胸元をじっくりと見つめるなんて恥ずかしくてできない。このまま放置したら風邪をひかせてしまうだろうが、服を脱がせる勇気もない。無事だったら、逆鱗にふれるのは学習済みだ。火を起こしたらいいかなと思っても、周囲には湿った何かしかないし、レイラーニを連れて移動はできないし、レイラーニを置いていくのも心配である。先程、大型肉食獣脚類の謎生物に出会したところなのだ。これでレイラーニを置いて行って、その間に襲われたら阿呆すぎる。
悩みに悩みきったところで、とりあえず自分の服を脱いで、乾かすことにした。上衣を脱いで雑巾を絞るように水を切る。引きちぎらないように力をセーブすることが肝要だ。幼少期は師匠の洗濯を手伝って、何着も服を千切って呆れられた。今はもう大人だから、そんなミスはしない。慎重に慎重に絞って、うっかり引きちぎった。何者かに頭をどつかれた所為である。カイレンが阿呆だからではない。
「恵み多き大地よ。奥底に眠る力を解放せよ。温かな心で我を包み、その力を我が身に宿せ。美しい輝きを我は欲する」
美しい橙色の光が周囲に舞った。
次回、バイロン牧場。




