391.唄う黄熊亭の最後
アデルバードと茶会をしたレイラーニは、ロバチーズを堪能すると、酒をあおった。レイラーニが好む甘い酒ではアデルバードが興味を示さないから、酒を飲むのはレイラーニだけである。それならばと、前回酒盛りした時に増やされた酒から、琥珀色の酒を持ってきた。前回飲んだ時は、酒精が強かった記憶がある。レイラーニ用の激甘茶に琥珀色の酒を混ぜて飲み始めたところで、アデルバードの手が伸びてきた。お気に入りの酒を、なんて勿体無い飲み方をするのだと我慢がならなくなったのである。レイラーニは茶会なのに飲むの? とアデルバードのグラスに並々と酒を注ぎ、潰してから早々に帰った。
魔法をフルに使って全力でダンジョンを抜けると、夜が近かった。ごはんを食いっぱぐれちゃうと急いで唄う黄熊亭に行くと、滑り込みアウトだったが、ヴァーノンは受け入れてくれた。
「残り物だけだぞ」
と言いつつ、次々と料理を出してくれた。唐揚げは揚げたてだし、ホースマクロも新しく焼いてくれたと思う。それらを果実水とともに食す。
ヴァーノンは、客がパドマかレイラーニ限定であれば、一流料理人と言えるくらいには成長している。妹の好みは熟知しているし、それを叶える調理法を優先的に学んだからである。甘やかされて幸せ気分で食べていると、レイラーニの卓にヴァーノンも座った。
「毎日、ちゃんと食べてるか?」
「うん。自宅の地下室で、無限に肉が湧いてくるからね。あ、最近ね、知らない間に卵も自動で集まってくるようになったの。白ソース用の生食用卵。欲しくなったら、注文してね。持って行ってもらうから」
「ああ、ありがとう。レイラはすごいな。ただ生きててくれるだけで良かったのに、新星様になって、英雄様になって、きのこ様になって、今や女王様だもんな。次は何になるのか、楽しみだな」
ヴァーノンは、きのこのマリネを食べた。レイラーニが不満気な顔をして睨んでも、笑うだけで動じてくれない。寂しくないかと心配されたり、困り事はないか聞かれるだけだった。レイラーニは寂しかったし、不満もあったが、モンスターヴァーノンが全部解決してくれるから大丈夫と答えた。
「そっか。良かったな」
ヴァーノンは寂しそうだった。レイラーニは、何と答えれば正解だったのだろうと頭を悩ませた。
「うん。一緒に暮らせなくなっちゃったけど、お兄ちゃんはここにいるって知ってるから、大丈夫。寂しくなったら、いつでも会いに来れる距離でしょ。だから、長生きしてね。薬草園もできてたから、薬も作ってもらえるからね」
「ああ、心配ない。俺はお前たちのためなら、何でもできるから。レイラの寿命は、どのくらいだ? パドマはテッドが長生きするって言うから、任せたんだが」
「は? 長生き?」
「ああ。魔法使いは長生きするんだろう? パドマが、そんなことを言っていた。だから、パドマと結婚するなら、それ以上に長生きしろと条件を出した。テッドは500年は生きると約束して、魔法の研鑽を始めた」
ヴァーノンは、真顔で話している。婚約しても、妹バカは治っていなかったようだ。それは嬉しいことだが、500年は努力次第で達成できる数字ではなかった。師匠たちの長生きの秘訣を知らないから何とも言えないが、一族以外は長生き仲間がいないのだから、しようと思ってできるものではないかもしれない。レイラーニなら、知り合い全員に長生きしてくれないか、打診すると思うから。
「いや、無理だよ。魔法使いが云々じゃなくて、師匠さんの家が何か変なんだよ。パドマはね、師匠さんの妹の子孫なんだって。だから仲間に入れてもらえるだけで、テッドをお願いできるかは、わからないよ」
「妹? 妹じゃ、結婚できないな。いや、子孫か。なら、5代下以降なら。いや、無理だな。いくらなんでも、師匠さんはそんな年には見えない」
ヴァーノンは、冗談は言っていない。本気で検討している。レイラーニに聞こえるか怪しい声量で、ぶつぶつとこぼしている。
「何の話?」
「少し前は、師匠さんをパドマの夫にしようと企んでいた。あの人は、パドマよりも長生きできると断言したんだ。だから保険代わりにいいかと思ったんだが。でも近親者であれば、やめた方がいいかと思ってな」
法律で禁止されているからと、ヴァーノンは続けた。パドマのためなら、街議会に打診して法律をねじ曲げる交渉をしても構わないが、意味もなく設定された法律ではないと思われる。ならば、ねじ曲げても妹は幸せになれなそうだと続けた。
「何代下かは知らないけど、妹の子孫と別の妹の子孫だって聞いたから、それなりに代は重ねてるんじゃないかな。親戚同士が結婚したから、血が薄まらないとかまでは、知らないけど。あとね、テッドに1500年は普通に生きるって訂正しておいて。師匠さんは間何年だか死んでたみたいだけど、イレさんは数えてないけどそのくらいは生きてるって言ってたから」
「お前は?」
「わからない。お兄ちゃんが、1万年は寿命が縮まったって冗談言ってたから、そんな感じかな?」
「か、な、り、き、び、し、い、な! 何とか方法を考えよう。俺の目標は、お前より1週間程度長生きすることだった。大丈夫。なんとかする。なせばなる。そうだ。師匠さんは、どうなった? 何かあったか?」
「師匠さん? ああ、変な本を渡された。見る?」
インクが乾いたようなので、持ってきた交換日記をリュックから出して、ヴァーノンに見せた。ヴァーノンは断りを入れてから中をパラパラとめくると、レイラーニに本を返した。
「俺から伝えることがあるとすれば、あの人は変態ではない。頭の構造はおかしいし、常識の通じないところはあるが、こと恋愛においてはかなりの奥手なようだったぞ。以前、結婚をしていたそうだが、妻相手にも何もしていなかったらしいからな」
「大事にしてたみたいだね。イレさんは実弟なのに、奥さんと手を繋ぐだけで殺されるみたいだったよ。でもさ、そんなんだからストレス発散は他所で済ますとか、傍迷惑だと思わない?」
「そんな話は聞かなかったが。きっとお前の勘違いだろう。あの人の許容範囲はかなり狭いようだったから、浮気を企んでも難しい。パドマとレイラくらい似た存在を見つけなければ、無理だろう。いや、パドマも興味がないようだったな。年齢的な問題かもしれないが」
「そうだね。子どもには興味がないみたいだけど、大人なら男でも女でも見境がないんだよ。立場が弱そうな人を狙ってるの。黄蓮華とか、白蓮華とかが危ないの」
「そうか。近寄らないように助言をしておこう」
ヴァーノンは、これをその気にさせるのは大変だな、と呟いた。
「助言?」
「ああ、昨日、師匠さんの恋愛アドバイザーに就任したんだ」
「お兄ちゃんが?」
「ああ。恋愛なんて、したことがないのにな」
「人選ミスにも程があるな」
「それが、師匠さんの恋愛下手の証明だろう」
けたけたと笑いながら、2人は楽しく酒盛りを続けた。
こっそりとレイラーニのリュックに交換日記を忍ばせた師匠は、いてもたってもいられなくなっていた。レイラーニを怒らせていないか、無情に捨てられていないか、転売されていないか、そんな妄想が頭から離れない。
レイラーニに会いに行く勇気が持てないから、ヴァーノンに相談しようかと思った。まだ寝てるかな、もうそろそろ起きたかな、パドマを迎えに行っていた頃は、早い時間に行ってたし、連泊していたこともあるからいいか。最悪寝ていても、優しいヴァーノンならば受け入れてくれるだろうと、アポなしで唄う黄熊亭を訪れた。店舗に顔を出すだけにしておけば良かったのに、子ども部屋に不法侵入を果たしたから、見てはいけないものを見た。両腕を広げて寝るヴァーノンの腕の下に、黒茶のもこもこが2つ転がっている。小さなぼさぼさはパドマだろうが、大きなツヤツヤはレイラーニに違いない。絶対に見間違いでも勘違いでもない。信頼して相談していたヴァーノンは、レイラーニと良い仲になっていたのだ。
ヴァーノンは戸が開く音で目を覚まし、師匠の存在を認めた。師匠が無断で変な時間に訪れるのは慣れている。だから、玄関から入ってきた時点で気付いたものの放っていたのだが、今日はいつもと勝手が違った。送迎する人間もいないし、夜遅いから、レイラーニを泊めたのである。レイラーニは帰るつもりでいたが、帰るのがだるいから従った。元々、自分の部屋だと言う感覚でいるから、抵抗はなかった。
3人いるのにベッドは2つしかないが、パドマがかなり大きくなっても1つのベッドで足りるような生活をしていたから、足りないとは思わなかった。ヴァーノンすらベッドは2つあるのだからヴァーノンとレイラーニで使って、パドマは2つのベッドをころころ行き来するだろうくらいに思っていた。フタを開けてみたら、3人でも1つのベッドで足りてしまったと言うだけの話だ。パドマとだって血の繋がりのないヴァーノンは、レイラーニも同じ理屈で妹認定している。だから、仕方のない妹だなぁと思うだけだが、師匠は違った。
「信じてたのに!」
ヴァーノンは、師匠の声は聞こえないが、状況からおおよその内容は知れた。師匠は泣いているのだ。レイラーニとの仲を誤解しているのは、わかる。
「違います。レイラもパドマも同じ妹です」
「それが、なんだと言うのですか? 私は妹を愛す変態です!」
師匠は魔力を放出し激情をぶつけ、周囲に当たり散らし、唄う黄熊亭は崩壊した。
次回、パドマの部屋の掃除。