376.弟は気を遣って生きている
レイラーニはテッドに蝋板を借りて、カイレンに返信を書き、届けてもらうことにした。何かされた痕跡はないのである。ベッドの上に上がるのに、ブーツさえ脱がされていなかった。誤解を招くような真似は、全てしないように心がけた結果なのだろう。だったら、唄う黄熊亭か白蓮華に連れてってくれたら良かったのにと思ってしまうが、それはレイラーニのわがままかもしれないと思う。冷静になれば、カイレンなりの善意だったのだろうとわかる。暴れた手前、気恥ずかしくて対面したくないから、手紙で済ませた。誠意はない行為だが、これ以上はレイラーニにはできない。会えば、また錯乱して魔法をぶっ放す気しかしないのだ。
その後、レイラーニはテッドに白蓮華に連れて行かれ、久しく見ていなかった収支報告や営業結果等の説明をされた。収支は以前と然程変わらず、子どもの数は増えているらしい。
預かり子だけなら良いが、孤児も増えている。親と死別してしまったなら仕方がないが、第2第3のエイベルも増えているようだ。無償で預かるのに、完全に育児放棄して、子捨てをしてしまうのだ。食わせてくれるところがあるんだから、そこに行けば良いだろうと言うのである。また、武闘会でエイベルが優勝したり、テッドが幼くして店舗経営を始めたり、パドマがアーデルバード1のモテ男の婚約者に収まったりしたためか、出世コースとしての子捨ても流行っているらしい。全員が全員優秀になるものでもなく、彼らはたまたまガッツや適性があっただけだが、識字率の高さだけは明らかに異常値を叩き出しているので、強く否定はできない。字の読み書きができても、全員を紅蓮華が面倒をみてくれない。むしろまともに面倒をみてもらえているのは、テッドだけだ。テッドが数人、小間使い感覚で使っているが、彼らの給金は安い。白蓮華にいれば生活費がかからないだろうと買い叩いていて、雇われる方も勉強だと割り切っている。そういう間柄である。テッドも稼いだ金を私物化して豪遊できるような余裕はないから、分配できないのだ。だから、基本的な生活や仕事は、文字の読み書きができても変わりない。後見人がいるのが、テッドとパドマだけだからである。綺羅星ペンギンなら、全員雇ってくれるが、人が余っているので仕事はなく、呼んでくれる日を心待ちにして、ダンジョンで小遣い稼ぎをするしかない。身分保証のために所属するだけで、ほぼ全員探索者である。出世とは程遠い。
レイラーニがそんなの聞きたくないよ、という顔をしているのがわかったのだろう、テッドは苦笑した。
「つまり、俺が言いたいのは、最終的にはお姉ちゃんのおかげなんだけど、れんれんさんも寄付金を増額してくれて、白蓮華に多大な貢献をしてくれてるから、お手柔らかにってことさ」
「わかってるよ。足を向けて寝られないくらいには、感謝してるんだよ。最初にダンジョンに連れてってくれたのは、イレさんだし。お兄ちゃんに転がされてただけかもしれないけど、いっぱい助けてもらったし、奢ってもらったんだ。だけど、その感謝の先が嫁っていうのがさ! それだけは勘弁して欲しいんだよ」
「ちっちゃい方の姉ちゃんを俺が取っちゃったから、レイラ姉ちゃんへの当たりが強くなったりしたか? それはそれで俺の本意じゃないから、なんとかしないとなー」
テッドは何か思い付いたのか、蝋板に何かを書いて、近くにいた子どもに渡した。受け取った子どもは中身を確認し、どこかへ走って行った。
「え? いや、大丈夫だよ。ダンジョンから出なければ、イレさんにだって勝てるから」
「そんなことをダンジョンの外で言われてもな」
ウチも強くなったんだよと、以前と変わらぬ細腕を見せられて、テッドはとても心配になった。自分から弱点を暴露してしまうクセが、何も変わっていない。
「ウチは魔法使いになったから、うっかり家を半壊させちゃうくらい強くなったんだよ。前は力加減を誤って、一撃で魔力を使い切って死にかけたりしてたけど、すごい竜に魔法を教わって、龍の資格ももらったんだからね」
「いやいや、それ安心材料より不安材料の方が多いじゃんか。死なない約束したよな。覚えてるか? 俺が覚えてるのに、年上の姉ちゃんが覚えてないとかないよな」
「お、覚えてるよ。パドマとは約束しなかったけど、テッドとは約束したね。守ってるから生きてるよ。病気ひとつしてないよ」
レイラーニは、今の今までそんな約束は、すっかり忘れていた。これではカイレンの忘れっぽさを非難できないが、それについても今は忘れているから、問題ない。
しかも、生き返っただけで、1度死んでいた。うっかりそれを漏らしそうになり、変な汗をかいた。知られれば、絶対に死んだ経緯を聞かれる。それだけは何があっても回避しなくてはならない。下手すると、アーデルバード中の噂になってしまう。嘘じゃないから、今までの噂とは段違いの恥である。嫁の貰い手がいなくなる分には大歓迎だが、これ以上に浮かばれないことはない。生き返って最も良かったと思うことは、死因を広められずに済んだことである。
「覚えてるならいいけどな。守れよ」
「お、おう、まかせとけ! ガッテン承知の介だぜい」
「怪しいな?」
明らかに挙動がおかしくなったレイラーニに、テッドは遠慮なく不信の目を向けた。すると、よりレイラーニの挙動はおかしくなった。赤い顔が青くなり、両手が宙をかきはじめた。
「そんなことないもん。好き好んで死ぬ人なんていないよ。だって、死ぬには、死ぬほど苦しい思いをしないといけないんだよ。嫌だよ」
「まぁ、そうだよな。守ってくれる気があるなら、それでいい」
テッドは引き下がった。何か変だとは思うが、あまり追い詰めるとロクなことにならないのが、レイラーニである。気に染まないことをして、もう2度と顔を拝めなくなることも、身近でよく聞く話題なので、譲ってやることにした。弟だと認めてもらってはいるものの、普段はほぼ接点がないから、テッドもあまり自信はないのだ。
その後、唄う黄熊亭に寄り、皆で聖餐を食べて、胡椒の生育確認を名目にテッドとレイラーニは馬車でフェーリシティに行った。
胡椒温室では、モンスターテッドとモンスター師匠が仲良く農作業をしていた。テッドも半目になるほど、モンスターテッドとモンスター師匠は意気投合し、胡椒談議に花を咲かせていて、レイラーニは話題についていけなかった。胡椒栽培に向いている肥料の成分名やその割合を無限に話されても、興味が持てない。楽しそうなのは良いことだし、夢中になれるものがあるのは素敵なことだ。とりあえず、ダンジョン外でも大きな問題はなさそうだなと納得し、北西のダンジョンを視察後、食べたい作物を収穫して、南のダンジョンに戻り、夕食を食べた。
師匠がレイラーニをやっと捕まえることができたと思ったら、今度は男の部屋にテッドがいた。レイラーニは弟だと言い張るだろうが、パドマの現婚約者である。絶対に、レイラーニに矢印が向いている。ずっとずっとずっとパドマと一緒にいたのは師匠だったのに、レイラーニは少しも一緒にいてくれない。パドマは簡単に捕獲できたが、レイラーニはダンジョン内で瞬間移動ができるので、捕捉は難しいのだ。
師匠は、心中でぶち切れた。レイラーニの視界に師匠以外の男を入れたくない。親も兄弟も舎弟も部下も客も、何もいらない。自分だけを見て。自分だけに話して。自分だけに笑って。そう思って見つめているのに、レイラーニは「ダイオウキジンエビが食べたいな」と言った。師匠は料理の腕しか求められていないのを思い知った。自分はお抱え料理人じゃない! と、強く思った。
師匠からドロドロとした感情が漏れているのに気付いたテッドが、レイラーニにツッコミを入れても「今は甘い物を食べる気分じゃないよ」という謎の到達点しか着地しなかった。仕方がないから、テッドは朝ごはんを返上して「兄ちゃんとデートしな」と1人で帰っていった。
おかげで少し師匠は気分を持ち直して、レイラーニをエビ拾いに誘い、いちゃいちゃエビクッキングをして、元通りの師匠に戻った。かに見えた。
次回、師匠は怒った。
もう見るからにぷんぷん( *`ω´)してますが、よくあることなので、気にしない。モンスター師匠の数だけレイラーニは見飽きてる。