375.パパラチアサファイア
アデルバードはカイレンに正座罰を与え、その間にレイラーニからチビ師匠がケガをした記憶を失くした。魔法で少しだけレイラーニの時間を巻き戻した。元通りになったことをアデルバードが確認したら、レイラーニをカイレンのもとに連れて行った。
「折角、着飾ったのですから、デートに連れて行っておやりなさい。そのままでは魔法の練習をしている間に、フラれますよ」
魔法練習から逃れたいアデルバードは、満面の笑みでそう言った。カイレンは瞳を輝かせ喜んでいるが、レイラーニはカイレンを追い出したいだけだと気付いたから、反発した。
「イレさんを押し付けるのはやめるって話は、どうなってるの?」
アデルバードは、レイラーニが嫌がるのはわかっていたから、不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げてみせるだけだ。そのくらいの指摘では師匠よりも面の皮の厚いアデルバードは、何も思わない。
「私は、貴女のために言っているのですよ。パパラチアサファイアが欲しくはないのですか。外で産出されたものに、効果はありません。景品交換で手に入れねばならないのに、貴女のポイントでは近々には手に入らないでしょう。長期計画だったのであれば、差し出口でしたね。失礼致しました」
「、、、高いの?」
「どちらかというと、高額景品だったと思います」
「お兄さんのカードなら、余裕で交換できるよ。任せて! 食事に付き合ってくれたら、チャラってことでどうかな」
カイレンは無償提供しても構わないのだが、10歳のパドマにはホイホイと人に物をあげてはいけないと、注意された覚えもある。受け取る方の心理的負担を軽減するために条件を考えた。レイラーニとデートしたいというよりは、そろそろお腹が減ったなと思っただけだが。
「そんなことじゃ、チャラにならないよ!」
「そう? それなら、このくらいで等価って思えるまで、何回もデートしてくれるのでも、構わないよ」
「うえぇえぇ?」
何回デートしても等価になる気がせず、そんなに無限に命の危機を体験したくないと思うレイラーニは悩み出したが、ポイント数を見てから決めなさいとアデルバードに放逐された。帰りは徒歩かと残念に思っていたら、カイレンは可搬型階段昇降機をセットし始めた。平地では車イスで、階段ではキャタピラで移動するタイプの人間搬出機具である。
「乗ってのって。触らずに連れ帰ってあげるから」
「うん」
さわりたくない師匠も背に乗ってタクシーにしていたパドマである。自力で帰りたくないから、大人しくイスに座った。カイレンはそれを押して歩く。本当は階段昇降機を背負って走った方が速いのだが、レイラーニのランニングくらいのスピードで進んでいく。カイレンがモンスター避けのぬいぐるみを持っているから、何かに襲われることはない。途中、オオカミや火蜥蜴に懐かれているレイラーニにカイレンは驚いたが、モンスターについて思い出話をしながら、ゆっくりと上階に歩いた。
そんな状態だったので、外に出る前にはレイラーニは完全に寝ていた。舟を漕ぎ始めたくらいでカイレンは走ったのだが、間に合わなかった。
仕方なく、カイレンはレイラーニを自宅に連れ帰り、掃除をして、シーツその他を取り替えてから、自分のベッドに寝かせた。ドレスのまま寝かせるのは如何かと思ったが、脱がせたら怒られるだろう。それがわかるので、やむを得ず放置した。勿論、自分は一緒には寝ない。そんなことをしたら、また我慢が出来ずに殺してしまう。だから、客間に寝具を出して、休んだ。
そして、朝、事件が起きた。レイラーニが、泣いて怒ったのである。寝ている間に自宅に連れ込み、自室に寝かせたことをブチぎれたのだ。カイレンとしては、以前、師匠を自分のベッドで寝かせたのと同じで、一番良い寝床を提供しただけだったのだが、間違えたらしい。上階から物音がしたので挨拶に顔を出したら、怒りの魔法と罵声がとんできて、それ以来、膠着状態になっている。
迂闊に入ってレイラーニに魔法を使わせ続ければ、レイラーニは消耗して死んでしまうかもしれないし、レイラーニはレイラーニで、ドレスも頭も自分で直すことができないから、外に出ることができない。
「朝ごはんだよー」
と、いつか好評を得たぽっぽ焼きを用意しても、攻撃魔法が降ってきた。土地を借りただけで、上物はカイレンが建てたものである。だから損傷しても怒られないとは思うが、借家なのに、2階は半分なくなってしまった。
その時、来客があった。不法侵入する客しか迎えたことのない家なのに、ドアノッカーの音がした。今日は何も注文してないのになと、カイレンが玄関ドアを開けると、憎っくき宿敵の小僧が立っていた。
「うちの姉ちゃんが、来てますよね」
そう言うと、テッドは家主の許可を得ず、カイレンの横を通り抜け、ずかずかと中に入って行った。階段は玄関の真横にある。テッドはすぐに見つけ、真っ直ぐ上に登っていった。
レイラーニがいる部屋は、一目でわかる。2階の部屋が減っている上に、怒りの魔法でドアがなくなっているからだ。人間違えで殺されてはたまらないので、テッドはひとまず階段から声をかけた。
「姉ちゃん、俺だけど、そっちに行ってもいいか? ちょっと聞きたいことがあって、来たんだけど」
「聞きたいこと? 何?」
外まで聞こえる悲鳴と怒号から、正気を失っていると思われていたが、案外平静な声が聞こえてきた。
「ここからだと話しにくいから、そっちに行くぞ」
テッドが部屋に顔を出すと、レイラーニはえぐえぐと泣いていた。外に漏れ出ていた罵声と魔法からすると、怒り狂っているのだと思って来たのだが、泣いていた。レイラーニは部屋の奥にあるベッドの上で、膝の間に手をついて、座っていた。寝起きのパドマであれば、寝癖で髪がトサカのように立っていたり、毛玉ができたりするのが日常だったが、レイラーニは右の髪が一房左にいっている程度で、おかしなところはなさそうに見えた。編まれた髪も、今編んだようだった。服はベッドの上には似合わないドレスを着ていたが、変なシワが増えている様にも見えない。無体を働かれた痕跡は見つからず、テッドはひとまず息を緩めた。
テッドはそのまま部屋に入り、レイラーニの横に座った。懐中から櫛を出し、少しだけレイラーニの髪を整えてやる。泣いている以外はどこに出しても恥ずかしくない自慢の姉が仕上がった。
「櫛なんて、持ち歩いているんだね」
「ああ、俺の商売上の後見人は、ルーファスさんだからな。髪の乱れなんて、許してくれねぇし」
「女装はやめてね」
「俺には似合わねぇよ。女が必要なら、ルーファスさんにやってもらうさ」
テッドにまで女子力で負けたと、レイラーニは今更なことに衝撃を受けたが、女役はテッドやパドマが務めないと聞いて、安心して笑みをこぼした。
「何か必要な物でもあるかと、聞きに来たんだけどさ。何もなさそうだから、行こうぜ」
テッドは手を引いてレイラーニを立たせ、ドレスの形を整えて、涙の跡を拭った。レイラーニはブーツも履いたままだったので、テッドはそのまま家を出た。カイレンが縋ってきたのを「ついてくるなら、仲裁はしない」と黙らせて置き去りにした。
カイレンの家周辺は、野次馬で黒山の人だかりになっていたが、綺羅星ペンギン暇人部隊が通路を開けていたので、問題なく出ることができた。
レイラーニは魔力残量に不安を覚えたため、アーデルバードのダンジョンに寄り、補給をしてからテッドに付き合うことにした。
以前から、テッドが店長を務める店はあったのだが、胡椒長者になったため、とうとうオーナーを務める店舗ができたらしい。販売価格が高価な胡椒だが、仕入れにそれなりの投資がされている。それを無料同然でレイラーニから融通され、ダンジョン産胡椒はテッドが独占販売している。儲かるのは当然の流れだ。レイラーニは自分で食べる以外の作物の流通は感知していない。皆が勝手に売り捌き、各々好きな金額を上納してもらっているだけだった。大金貨の額になるまで上納されず、使い勝手の悪い硬貨しか手に入らないことには不満を覚えるが、既存の農家さんその他に影響を出さない販売など考えたくもないのだから、放置している。
スパイス販売店や八百屋神の恩寵2号店などの見学をさせられ、最終的にテッドが経営しているレストランで朝食をご馳走になった。アーデルバード街民は朝食なんて食べないのだから、営業時間外だろうに、急に来て、おしゃれな料理がズラズラと並べられる様に、レイラーニは驚愕を隠せない。自分と似たような孤児だった弟が、パドマには給仕を任せてもらえないような高級レストランのオーナーになってしまった。雇われ店長でも驚いていたのに、更に出世していた。まだ10歳なのだから、恐れ入るしかない。高台に作られて街と海を見下ろす眺望を持ち、胡椒も砂糖も野菜も惜しまない料理の数々に目眩を覚えているが、食材を無償提供しているのはレイラーニである。個室ではないことに僅かばかり安心感を覚えているが、レイラーニが案内されたのは、宴会用の個室だった。テッドが気遣って大衆食堂スタイルに偽装しているのである。
食事が終わると、テッドは給仕から渡された木箱をレイラーニに差し出した。はてなマークを浮かべながら、テッドの指示を受けてレイラーニが箱を開けると、髪飾りと帯留めと根付けなどのアクセサリーとともに、手紙が添えられていた。綴られていたのは、懺悔や謝罪というよりは、言い訳の山だった。カイレンらしい筆跡だった。
「どうする? 謝罪の品だって。突き返すなら、引き受けるけど」
「どうしよう。これ、いくらか知らないけど高いんだよ。何もされてないし、一方的に迷惑をかけたのに、もらえないよ」
「俺なら、もう買っちまった物を返されても困るけど。嫌がらせするなら、返せば良いんじゃないか。簡単に許してやることはねぇよ」
テッドは、にたにたと笑っている。レイラーニが装飾品を欲しがっているのに、気付いたのだ。レイラーニの好みとはかけはなれたデザインの物を欲しがるのは違和感があるが、何か事情があるのだろう。同じくらい好みではなさそうなドレスを着ているのだから、容易に想像できる。
「確かに。ウチが返品したアクセサリーを他の人にあげるのは如何かと思うし、だからってイレさんには似合わないし、もったいないから自宅に死蔵してるのを未来の彼女に見られて誤解されても困るだろうし、もらってあげるのが、平和的解決方法かもしれない。これも人助けか。ポイントは返せないけど、お金で返して相殺しよう」
レイラーニは謝罪を受け入れることにした。どのように身に付けるのかもわからない品々だが、パパラチアサファイアの装飾品はダンジョン攻略に必要なのだから、仕方がない。
次回、テッド回。彼は彼なりに気を遣って生きている。