360.小銭の山
何かが焦げる臭いがして、レイラーニは目を覚ました。深夜でも何でも、火事が起きたなら、逃げなくてはならない。
レイラーニがガバッと起き上がると、異変が起きていた。料理人オニイチャンが、肉を焦がしているのは、まぁいい。兄が肉を焼くだけで失敗したり、フライパンを炎上させたりするのは、想定内だ。料理人レベルが1の頃のヴァーノンは、現実でも大体、そんな風だった。問題は、アーチャンである。
庶民のテーブルセットに座るアーチャンが、やたらとキラキラした服飾を身に付けて、お茶を嗜んでいるのだ。麻の貫頭衣を着ているよりは本人には似合っているが、場違い感が半端ない。レイラーニがまじまじと見ていると、アーチャンはにこりと笑った。
「おはようございます」
「お、おはよう。その服は、どうしたの?」
「ご息女と、世界平和のための旅に出るという話を致しました結果、使って欲しいと、アリッサ様から頂きました。ご亭主の物でしょうか」
「首の辺りが赤いのは?」
「ノミにでも、食われたのかもしれません。痒みはありませんよ」
アーチャンは口角を上げ、笑みを深めた。一部始終を知っているのか、隣に座っているギデオンがオロオロしていた。現実ならレイラーニの味方をしてくれるのだが、ゲームのギデオンは中身がモンスター師匠である。忠誠心はない。
「家に入れてやった恩を忘れて、ウチのお母さんと何してんだ、バカ!」
「私からは何もしていないのに、心外ですね。ですが、そろそろ私の貞操が心配になってきたので、外に出ましょうか」
アーチャンはレイラーニに支度を促して、外に出た。ギデオンが後に続き、オニイチャンも焦げ肉を弁当箱に詰め終えると、追いかけた。レイラーニも出かけようと身支度をしていると、どこからかアリッサが帰ってきた。
「レイラーニ。アーチャンさんは、何処に隠したの? 蛇酒を飲まなきゃやる気になれないって言うから、買って来たんだけど。酒屋がなかなか起きてくれなくて、大変だったわ」
アリッサはかなり大きな貸し徳利を掲げて、レイラーニに見せた。アリッサは本気だ。本気でアーチャンを潰す気でいる。アーチャンは酒に弱そうな顔をしているのだから、勝てないだろう。レイラーニは顔を青ざめさせた。そんなものは見たくない。
「いや、ウチは今起きたところだから、知らない」
レイラーニは、剣帯を抱えて、外に逃げ出した。母は、イケメンと小銭には異常に弱い。わかりやすい肉食化に、血の気が引いた。
外に出ると、家の前にギデオンが1人で立っていた。ギデオンについて歩くと、アーチャンとオニイチャンが、城門の外側にいた。
「こんなところに前衛職じゃない2人がいたら、危ないよ!」
レイラーニが駆け寄ると、アーチャンは人を避けるように城門から離れ、深刻な顔をして口を開けた。
「重大なお話しが御座います」
「アリッサ様に頂いた装備品のおかげで、私はレベル1でありながら、ズァコラン1の前衛職になってしまいました」
「は?」
アーチャンは、レベル1の魔法使いである。魔法使いは前衛職でないからと、ギデオンを召喚したのに、おかしなことを言い出した。
「私が着ているこの服は、竜の羽衣と言いまして、竜の羽から作られたと言われる服です。竜の被膜はそれほど強い素材ではないですが、ズァコランには、これを貫ける魔物はいません。クリティカル攻撃を与えられねば、僅かなダメージも受けないでしょう。中身の私は脆弱なので、7回のダメージで死にますが。
そして、この杖は魔封じの杖です。本来、手に入る地点では、道具として使い、魔物の魔法を封じるくらいしか役に立たない代物なのですが、ズァコランにおいては、一撃で何でも倒せる破壊力を持っています。故に、私はズァコラン1の前衛職なのです。
これをレイラーニちゃんに譲る予定で手に入れたのですが、どうやらレイラーニちゃんには装備が出来ないようなので、こちらをお持ち下さい」
アーチャンは、虹色に輝く透明の大きな石が埋め込まれた凧型の盾をレイラーニに差し出した。朝からアーチャンがキラキラ光っていた原因の1つだ。他にも、拳サイズの宝石を身体のあちこちにつけているが、盾サイズの宝石なのだから、この宝石が1番大きい。
「魔法の盾です。私は既にこの服だけで、前衛に立てますし、この地では無用の長物ですから、遠慮なく持っていってください。魔法を跳ね返す機能がついていますので、敵が魔法使いであれば、かなり有効ですよ」
「ありがとう」
こんな高価そうな盾をぽんとくれるなんてと、レイラーニが申し訳なく思っていると、アーチャンは笑った。
「元々、レイラーニちゃんの家の物ですからね」
「そうだね。むしろ、ウチが相続する物が減ったんだよ」
レイラーニは、遠慮なく腕につけた。
口調は怒っているが、実際は怒っていない。アーチャンが手に入れなければ、一生拝むことはなかっただろうと思っている。レイラーニの家は裕福ではない。金に困れば、二足三文で売られる物だ。家にあったのは、高価すぎて価値通りの値では買取手が見つからなかったからだろう。価値通りに売れる品がなくなれば、買い叩かれてなくなるだけの物だった。
「ええ、仰る通りです。むしりとるようで、申し訳ないのですが、腰の剣もお譲り頂けませんか。それをギデオンに持たせれば、彼も一撃で敵を屠れるようになります。先制さえ取れれば、私とギデオンで、2匹のモンスターを無傷で倒すことができます。経験値はパーティ全員が平等に分配されるシステムですから、装備品が揃うまでは、我らに戦闘をお任せ頂けませんか」
レイラーニは、アーチャンの申し出に頷いて、腰の剣を外した。草むしり用に母から渡された物だった。思い入れはなくもないが、もう少しお小遣いを貯めたら、レイラーニにも買える程度の安物だ。
「わかった。悪いけど、しばらく戦いは任せる。急いで、ポンポーニオを追いかけないと、どんどん逃げられちゃうもんね」
レイラーニは聞き分けよく応じたのに、オニイチャンは困った顔をした。
「これから行くのは、グォルァジュビィじゃない。始まりの洞窟だ」
「何で?」
レイラーニは、剣を抜いた。
レイラーニもレベルは1だ。大した強さではないが、職業差でオニイチャンなら圧倒できる。アーチャンはオニイチャンの前に割り込んだ。
「落ち着いて下さい。少し急いでも、ポンポーニオには追いつけません。彼は、とうに国外に出ています。追いつくためには、船に乗らねばならないのですが、我々には船賃がありません。
レイラーニちゃんの家を拠点として、モンスターを倒し、お金を貯める方法は、私はやりたくありません。できることなら、この城下町に2度と足を踏み入れたくないくらいです。私は、子持ちの人妻と仲良くする趣味は、持ち合わせていないのですから。
この街道を南に進んだ先に、始まりの洞窟と呼ばれる、チュートリアル的な初心者冒険者用のダンジョンがあります。理由不明で、宝箱がコロコロ転がるダンジョンです。そこへ行き、魔物を倒しつつ、宝箱を開けまくり、船賃を貯めましょう。
心配いりません。宿屋に行く金がなくとも、レベルアップすると、神の魔法で完全回復する世界です。宿屋なし縛りプレイでも、魔王ポンポーニオを倒して見せましょう!」
「レベルが低いうちに行けば、レベルアップの恩恵を受けやすく、ダンジョン内で何回か回復できるでしょう」
ギデオンは、そっとレイラーニの剣を奪った。もう少し大人になるまでは、癇癪持ちには、武器は持たせたくないな、という気持ちでいる。
「そっか。船賃か。武器は無手で済ますとしても、海を泳いで渡るのは、無理だもんね」
泳げないレイラーニは、すぐに納得した。
「そうですよー。船員として渡るという手は、最後の手段とさせて下さい。では、先制攻撃を目指して、突っ込みますよ!」
ひざほどに体高がある、巨大虫に向かって、魔法使いがイノシシの如く走って行った。
だいだい色と黒色のシマシマの巨大虫は、アーチャンの杖の一撃で潰れて、戦闘終了となった。
『トゲアリトゲナシトゲトゲを倒した! レイラーニたちは、経験値を1ポイント、2ペリジ手に入れた』
変な効果音とともに、どこからともなく天の声が聞こえた。
仮想現実で遊んでいるだけで、レイラーニは師匠のことを忘れていない。何やってんだろうな、と思った。
『トゲアリトゲナシトゲハムシを倒した! レイラーニたちは、経験値を2ポイント、3ペリジ手に入れた』
『トゲアリナガハムシを倒した! レイラーニたちは、経験値を2ポイント、4ペリジ手に入れた』
『トゲアリホソハムシを倒した! レイラーニたちは、経験値を1ポイント、3ペリジ手に入れた』
アーチャンとギデオンが、ビシバシと敵を駆逐していくので、次々と師匠の合いの手が入る。
「今、師匠さん、ちょっと違うことを言わなかった?」
「師匠さんって何だ?」
レイラーニが暢気に話している間にも、アーチャンとギデオンはヒャッハーと暴れ、天の声がずっとしゃべっている。だから、暇人仲間のオニイチャンが答えた。
『トゲアリホソハムシを倒した! レイラーニたちは、経験値を1ポイント、3ペリジ手に入れた』
「これこれ。倒した、手に入れた、ってヤツ」
「ああ、モンスターを倒したり、レベルアップしたりすると、教えてくれるらしいぞ。親切だな」
『ベニモントゲホソヒラタハムシを倒した! レイラーニたちは、経験値を1ポイント、50ペリジ手に入れた』
「50ペリジ! お兄ちゃんたち、50ペリジを倒して!」
「いや、無理だろ。見た目まったく同じだぞ。それに、選んでるより、全部倒した方が早い」
いろいろな名前の敵を倒しているようだが、師匠の手抜きなのか、見た目は全て同じ虫だった。色も形も大きさも同じである。小さな点のあるなしといった違いもなく、同じ絵を使い回していた。だから、見た目で区別するのは無理だ。
「ノーリスクならいいかと思ってたけどさ。船賃って、いくら? トゲトゲトゲトゲを何匹倒したらいいの?」
「詳しくは知らないが、1人5000くらいはかかるんじゃないか? だから、あの虫は1万匹も倒せば、目標達成だな」
レイラーニは、胸元を押さえて、蒼白になった。
「無理だよ」
レイラーニが懐中から財布を取り出すと、ぱんぱんに膨らんでいた。敵がドロップしたお金は、拾って財布にしまうシステムではなく、神の魔法で財布に自動で入るのだ。
「中銀貨2枚なら余裕で入るけど、小銅貨が2万枚も入る財布なんてないよね。やだやだ。財布が壊れちゃうよ! お隣のお姉さんにもらった、お気に入りなのに! お姉さんが彼氏に財布をプレゼントされたのを、欲しいって駄々をこねたことにしてくれたら、ただであげるって言われて、もらった大事な財布が壊れたら困る!」
目に涙を浮かべてイヤイヤしてるレイラーニの発言に引きながら、オニイチャンはレイラーニの盾を外した。
「それは、大事な財布、なのか?」
「大事だよ。財布なんて買ってもらえないもん」
「なるほどな」
オニイチャンは、盾の持ち手を上に向け、レイラーニの財布の口を緩めたまま盾の上に乗せると、またレイラーニが悲鳴をあげた。服の中に小銅貨が発生して、気持ち悪いらしい。
「師匠さんのド変態!」
謎の悪態をついている意味がオニイチャンには理解できなかったが、現実の師匠たちは、混乱していた。親切設計のつもりで作った設定が、エロゲー設定になってしまった。慌ててシナリオをいじり始める。
オニイチャンが財布が乗った盾をレイラーニに渡すと、財布から小銭の噴水があふれ、服の中に小銭発生事件は収まった。盾を持ったままでは服の中の小銭の回収が難しく、モヤモヤはおさまらないが、イノシシたちが止まってくれないので、レイラーニは盾を抱えたまま、追いかけた。始まりの洞窟に着く頃には、盾の上に小銭の小山ができていたが、目標金額には程遠い。
次回、ダンジョンへ行きます。ただのチュートリアルゲームなのに、長すぎる。