355.夜桜
レイラーニを外に連れ出した師匠は、レイラーニが指輪製作をしている間に作った物を、順に見せて行った。だが、レイラーニの反応は薄かった。公民館を見せれば、公民館って何と言い、胡椒温室を作るついでに作った植物園を見せれば、植物園って何と言う。
師匠はレイラーニとの間に、文化的壁を感じた。ジェネレーションギャップが1500年分ほどあり、更に師匠は半分異世界で育った故の壁だ。師匠が住んでいた土地は日本と言い、異世界の中でも特異な文化を持つ場所だった。こちらの世界でも、日本かぶれの養父が主導するおかしな村で過ごしていたのだから、レイラーニの常識とズレるのは、仕方のないことだった。レイラーニも、一般のアーデルバード街民とはズレた感性を持っている。2人が合わないのは当然である。
師匠は父親面して説明すると、レイラーニは簡単に理解した。
「公民館は、集会所みたいなもので、植物園は綺羅星ペンギンみたいなものってことかな」
アーデルバードの集会所は、地域ごとにあり、その地域の人が集まるイベントをやる場所である。結婚式もすれば、街議会議員が地域の困りごとの話し合いにも使えば、犯罪者の一時勾留にも使うことがある。しかし、小さな子どものお祭りをしたり、料理教室が開かれたり、スポーツイベントが開催されるから、師匠の思う公民館に近い気もするし、全然違う気もする。
植物園は、ペンギンを植物に変えたら同じだろうという意見なのはわかる。パドマたちは気付いていないが、あそこの研究部門は、師匠もたまに混ざって手を入れている、いっぱしの学術集団に育った。それでも、アレを師匠の作ろうとしている植物園と一緒にしないで欲しいな、という気持ちがムクムクと湧いてくる。どう説明したら伝わるかがわからなかったし、師匠は一旦、説明を放棄した。便利に使える人材として、綺羅星ペンギンの暇人を引き抜いてきたら、レイラーニの言う通り、ペンギンを植物に置き換えただけになるのは、師匠も認めざるを得ない。
「そうですね。完全に同じではありませんが、アーデルバードにあるものでと限定すれば、それが近いかもしれません」
師匠は過去、品種改良をして、いろいろな植物を養父と作り出した。己れの趣味の延長だったり、母に捧げる花であったり、怪しい薬の材料だったり、理由は様々だったが、その中で養父が母に捧げた花々を街に植えた。母の故郷を代表する花であり、こちらの世界に母を繋ぎ止めたい一心で、養父が作出した花だった。それを村いっぱいに植えたところ、母は嫌そうな顔をして、「毛虫がいっぱいつくんだよ」と言っていたが、師匠は気に入った。始まりの季節に、いつも咲いていたからである。住み慣れた村を離れて学び舎に通い始める時も、成人の祝いをしてもらった時も、妻と永遠の愛を誓った時も、いつでも師匠を見守ってくれ、適当な挨拶の話題になってくれていた美しく便利な花だ。
作り出した品種の中でも、特に色の濃いものを、特に葉の芽吹きの遅いものを何種類か見繕って、道沿いに植えた。魔法で成長させてしまえば、種子でもすぐに大木に育つ。
月夜にけぶる白花も嫌いではないが、師匠の特技は接待である。持てる力を尽くして、想い人に尽くす性分でもある。
「虚空に漂い輝く星々よ。幻想を彩る光の輪を紡ぎ出さん。その煌めきで暗黒を照らし、神秘の微笑みを呼び覚ませ。遥かなる星辰の光明で、我を包め」
魔法で光る小さな星を生み、周囲に沢山散らせた。白一色だった光を花色に、赤に緑に紫にとゆっくり変化させていく。
語彙力のないレイラーニは、ただ「わー」と言っていたが、師匠に満面の笑みを向けた。本当は、昼間に見せる予定だったんだけどな、と思っていた師匠は心の中で舞い踊り、喝采をあげた。
「すごいキレイ。みんなを呼んできたら、すごい酒が売れそうだね!」
レイラーニは、キラキラと瞳を輝かせていた。それは、師匠の見たい顔だった。だが、何か違う。喜んでいるのは間違いないと思うのだが、それは喜ばしいことだが、何かが違う。
「夏になったら、いっぱい桃が食べれるね」
桃の使い道を考えているのだろう。レイラーニの顔がとろっとろに蕩けている。桃なら、ダンジョンでいくらでも採れるのに。師匠は慌てて否定した。
「それは、桃ではありません。桜と言います」
「桜? ああ、さくらんぼか!」
「違います。さくらんぼのような形の実は付けますが、食用には向きません。熟せば毒性はなくなりますが、渋いかエグみが強いか、どちらからしいですよ。妹がそう申しておりました」
師匠は、過去の出来事を思い出し、残念な顔をした。
師匠の妻は、桜の実を平気な顔をして食べていた。種族が違うから、味覚が違ったのだ。それを1番上の妹が真似て、食べていた。相当不味いらしく、毎回泣きながら食べている意味がわからなかった。不味いなら食べなければ良いと言うと、大抵、魔法をぶつけられ、瀕死に陥ったり、死んだりしていた。あまり思い出したくない思い出だった。
「不味いのに毒性もないって、何のために植えたの?」
レイラーニは、本気で不可解そうな顔をした。植物は美味しかったり、毒物だったりするのが価値があると思っているからだ。美味しければ腹が膨れるし、毒があれば売ってお金になって、食べ物が買える。成長期に飢えていたレイラーニには、食の確保以上に大切なことはない。
「花がキレイだからです」
師匠が言うと、レイラーニの顔に驚きが広がった。
「バラさんに初めて会った時、美味しいバラの話をされて、すっごい変な人がいる! って思ったの。バラって、花を見て愛でるものじゃないの? って思ったんだよ。でもね、間違ってたのは、ウチだった。バラも桜も、美味しい方がいいよね。あー、良かった。パドマの婚約者が、バラさんで。ウチも、そんな人とだったら仲良くなれるかなぁ。まぁ、まだ1歳だし、結婚は遠い未来の話だけどね!
そうだ。桜が好きなら、これはこのままでいいから、どこかにどんぐりの木を植えてね。こんなに沢山じゃなくていいから。ホルムオークだよ。ホワイトオークじゃ嫌だからね」
「食べたいのであれば、ダンジョンで育てたら良いのでは? 後、私はどんぐり好きではありませんからね」
先日、故郷からの帰り道、知らぬ間に懐中にどんぐりクッキーが忍ばされていた。師匠に気付かれずにそんなことをできる人物は限られているし、あの場にいた人物で、調理ができるのは師匠とレイラーニだけだ。忍ばせたのは別人だろうが、レイラーニの関与は濃厚である。
「知ってるよ。好きなのはどんぐりじゃなくて、奥さんでしょ。師匠さんの奥さんが、どれだけ素敵な人かは知らないけど、ウチは婚約者さんの味方だから。あの人、可愛いと思ったよ。あの人なら、お母さんって、呼んでもいい」
「あれは、妹です。妹だからこそ、我慢して付き合っていますが、そうでなければ、顔も見たくありません。情けない話ですが、あれの顔を見るだけで、震えが止まりません」
「何で?」
「あれは、息を吸うように、私を殺します」
レイラーニは、殺したらダメだと言っていた緑クマを思い出した。あの時も、おかしなことを言うクマだと思っていたが、ヤツは既にやらかしていたのだ。気温は肌寒いくらいなのに、レイラーニの頬を汗が伝った。
「もう一度、話を聞くまでは、中立でいようと思う」
「ご理解頂けて嬉しく思います。レイラーニも、あれと接触したのであれば、注意する前に逃げ出すことを勧めます。あれは私だけではなく、カイレンも何度か殺しかけました」
「イレさんは、微妙だなぁ。同害報復の原則からすると、ウチはイレさんを殺してもいい権利を持ってるかもしれないんだよ。婚約者さんにも、何かしてたりしない?」
「そうですね。カイレンも信頼しきれません。
あれのことを考えるより、もっと楽しいことを考えましょう。最後のダンジョンは楽しく遊べる場所をと考えております。如何でしょうか」
「賛成。この街には、食べる以外の娯楽がないからね。やっぱり遊ぶって言ったら、どんぐりよりダンジョンだよ」
「どんぐりは、ダンジョンと並列なのですか?」
「そうだよ。だいぶ大きくなってからだけどね、木の実を使うゲームをやったことがあるの。ウチ、すごい強かったんだよ。どんぐりならさ、ただで拾えるから、誰でも気軽に遊べていいよね!」
力強く拳を握りしめて言うレイラーニを見て、師匠はうずくまって頭を抱えた。パドマの過去話をあまり掘り起こしたくないのに、何に触れても掘り起こしてしまう。先程は、同害報復なんて似合わない難しい言葉を言っていたから、危険を感じてツッコまずに回避したつもりだったのに、回避しきれなかった。絶対に、その言葉を知ったエピソードには、聞きたくない話が混ざっていると思ったのだ。カイレンとパドマの間にあった何かは気になっているのだが、レイラーニから聞いてはいけないと思っている。しかし、うっかりするとレイラーニが爆弾を投下してきそうで、怖くなった。
急にうずくまって何も言わなくなった師匠に、レイラーニは首を傾げた。
「どうしたの?」
「いえ、なんだか、不憫すぎて。抱きしめて慰めてもよろしいでしょうか」
「よろしくない。金持ち自慢はいらない」
レイラーニは、ぷいっとそっぽを向いた。師匠は立ち上がり、レイラーニの手を取って、街路樹の下を歩いていく。レイラーニは、怒り顔は崩さなかったが、特に反抗することなくついていった。灯りは師匠の周囲を照らすように設定したから、歩みに合わせてついてくる。
「新しいダンジョンに招待する1人は、決まりましたか」
「なんかね。テッドが、モンスターになりたいって、直訴してきたの。だから、テッドでいいかな」
「構いませんよ」
「それで最後? もう追加はできないの?」
「追加したい者がいるのですね。絶対に無理ではありませんが、今のように、外まで派遣するようなモンスターは難しいですね。ダンジョン内限定であれば、なんとかというところです。それも、素材の調達が難しいので、数多くと言われると困ります」
「何が必要なの?」
「他にも必要な物はありますが、最難関は竜の肝でしょうか。ママか妹を倒す力量は御座いませんし、ペットの蛟竜は育てて火龍にする予定ですし、できたら殺したくありません」
師匠は、小声でレイラーニが望むなら、いっそ一思いに? いやいやでもと逡巡している。レイラーニは、それを見て思い出した。師匠のペットのリヴィアタンを殺してしまったことと、沢山の赤いヘビだかトカゲだかを、パドマから守ろうとしていた記憶だ。
「ごめんね。ちょっと聞いてみただけなの。欲しいとは思ってないから、用意しなくていいからね」
レイラーニはそう言ったが、欲っしていなければ、そんなことは聞かれないだろう。師匠は、レイラーニを引き寄せて、頭を撫でた。
「我慢する必要はありません。私の娘だと言うのであれば、私に頼りなさい。3人分くらい、どうにかしてみせますよ」
師匠は、ミラたちのことを思い浮かべて3人と言ったのだが、レイラーニはミラ姉妹のことなど、これっぽっちも思い浮かべてはいない。3人って、誰を選んで依頼しようかなぁと悩み始めて、外界のことは少々疎かになった。
そのタイミングで師匠はレイラーニを抱きしめてみたが、嫌がられなかったので、好感度が上がった! と喜んだが、レイラーニの心がここになかっただけだった。
次回、5つめのダンジョン。